妊婦さんに愛を |
このおまじないは物理的にはとても簡単なのですが、心理的にいうと、とてもむずかしいものでもあります。また、あいにくと、ひとりではできません。妊婦さんをみつけなければなりません。
赤ちゃんが欲しいのにできなかった時、わたしは妊婦さんが大嫌いでした。 「なによ、デカイ腹しちゃって! みせびらかしちゃって!」 「ったく、じゃまくさい。みっともないわねッ!」 「あーあ、あんたはいいわね。さぞ幸福なんでしょうよ」 「きっと、人生とかなーんにも考えないでデキちゃって、彼氏に寄生して生きていくんだワ。頭の中なんてからっぽなのにちがいないわ」 もちろんひがみです。バリバリのやっかみです。嫉妬です。 となりの芝生はどこまでもピカピカに青いのです。 妊婦さんと階段などで出会おうものなら、手を貸してあげるどころか、突き落としたくなります。実行しないように、いっしょうけんめいガマンしました。 産婦人科にいくのがイヤだったのは、妊婦さんたちにあうからです。自分がとつぜん逆上して妊婦さんたちを襲ったらどうしよう? と心配だったのです。 しかし…… イザ自分が妊娠してみて、仰天。 うらやましがられるようなもんじゃない。 「おめでた」とういのは、あれは「めでたいんだから辛抱しろ」という意味にちがいありません。 お気楽どころではありません。 妊婦の気分はジェットコースター。幸福な時は、多幸症の発作がおこったか、ワライタケでも食べたかのようにゲラゲラですが、いったん落ち込むと、不安と心配と戸惑いだらけ。ホルモンが荒れ狂うと、気分も疾風怒濤、いわゆる「感情失禁」状態になったりします。 おかげさまでつわりがほとんどなく、「あきれるほど順調、⇒ まさかの大安産」だったこのわたしですらそうだったので、体調を崩したひとは悲惨です。エイリアンに内臓を食い荒らされているかのような、苦痛と不快で七転八倒な日々を過ごすことになるらしい。しだいにからだは重くなり、手足はむくみ、重心がとんでもないところに移動し……とにかく、「うっそー、なにこれ? こんなのあり? きいてないよ」状態ばかりになり、それが何カ月もつづく。しかも、分娩台にあがってからの阿鼻叫喚はまた別の話です。 しかも妊婦は、たぶんそろそろちょっとウンザリしています。そりゃあ「おめでた」というくらいで、妊娠したことはうれしいし、赤ちゃんは欲しいけれど、でも……いまって、自分史上最悪にデブだし。なんか信じられないほどみっともないし。オシッコちかいし、クシャミとかすると、ときどき漏れちゃうし。へんに敏感になっちゃってかぶれるから、パーマもかけにいけないし、お化粧もできないし。眠くてなんにもできないし。だるくて、動けないし。もうほんと、なんなのこのトド? って感じ?。
そのむかし、松田聖子さんは、妊娠していた時、おおきなお腹でさんまさんとの対談番組に出演しました。さんまさんが、「汚れた手でさわったらいけんから」とかなんとかいって、手袋をして、彼女のおなかにさわってみていました。 妊婦さんのおなかにさわると運がつく。 これは、すでに言われているジンクス。都市伝説。 なにしろ妊婦さんは「あたった」ひとですからね(笑) 宝くじ、懸賞なども、妊婦のときにはあたりやすいとか?おかげでわたしもデカ腹のときには実家の母の分も年末ジャンボ買いましたけど(あたりませんでしたけど)。
妊娠したいと思っているひとは、妊婦さんにさわらせてもらうべきだ。
ある日、突然、ピカッとひらめいたのでございます。
憎いとか、うらやましいとか、恨めしいとか、見るのがイヤだとかつらいとかいって、 妊婦さんから遠ざかってはいけない。 あなたはそのひとのようになりたいのではないのか。 そのひとにあやかりたいのではないのか。 だったら、勇気をだして、さわらせてもらおう。 そして、ちゃんと、言おう。
「わたしは妊娠したいと思っています。 とてもとても強く思っています。 だから、あなたのそのステキなおなかにさわらせてください。 あなたの幸運にあやからせてください。 あなたのおなかの赤ちゃんに、 どこか遠くにいるはずのわたしの未来の赤ちゃんに 連絡係をたのみたいのです。 わたしがこころから待っていると、伝えてほしいのです」
あなたのその行動は、その妊婦さんを幸福にするでしょう。
なにしろ(さっき書いたように)いいかげん疲れてますし、自信を喪失しています。自分のことを「とど」と思っているときに「あなたがうらやましい、あなたにあやかりたい」っていってもらってごらんなさい。「ああー、そうなんだ。こんなわたしが、ステキにみえちゃうひともいるんだ」と思えます。「ああー、そうだ。わたしは幸運だ。妊婦になれてよかった」そう思うことができる。 あなたがそう思わせてあげることができたわけです。
「ひとを喜ばせてあげることができた」ら、嬉しくないです?
しかも、さらにダブルでききます。 妊婦さんにしてみれば「さわらせて欲しい」といわれてさわらせてあげたのですから「ちょっといいことできた」「ひとのためになった」。あなたは、見知らぬ妊婦さんに「わたしは、ひとに、ちょっといいことができたんだわ」と思わせてあげることができたという意味で、さらにちょっといいことができた。
もしかすると、なかには「さわらせて」といわれてびっくり仰天して、「エッ、いえっ……だめですっ、困ります!」と逃げてしまうひともいるかもしれません。 また、妊婦さんを見つけても、お願いするどころか、どうしても殺意がたかまってしまう、殺気をほとばしらせてしまうようだ、声をかけようとするのだけれど、ちょっと近づこうとすると、みんな真っ青になって蜘蛛の子をちらすように逃げてしまうのだ……などということもあるかもしれません。 でもね 妊婦になってみると、「あー、わたしって女のひとりだ」と思うんですね。 女同士の連帯感みたいなものを、わりと感じやすくなるんです。競争意識とかじゃなくて。 そして、 いまどきの妊婦さんは「不妊になやんでいるひとがいる」ということを必ず知っています。 自分はこうして恵まれたけれど、そうでないひともいる、と知っています。 そのひとたちの役にたつなら……ほんの少し気持ちをポッと明るくするだけのことでも、うれしい、と思う、のが、ふつう、じゃないかと思います。 なにも、すごくむずかしいこと言われるわけじゃない。 ただ、おなか、さわらせてあげるだけなんだし。 そのおなかは、妊婦さんにとっては、「自慢」でもあり、同時に「恥ずかしい」ものでもあります。「なんだかよくわからないけどとんでもないもの」でもあります。いまこんなだけど、そのうち、消えてしまうものでもあります。 おなかは自分であると同時に、赤ちゃんのものでもある。つまり、自分とは別の個人のためのものでもある。そこから世界につながっている。広くいうと、「おおやけ」なもの。(赤ちゃんが、将来、どんなひとになって、ほかのひとたちとどうかかわっていくか、わからないですから)いわば、「公共機関」としてのデカ腹。 (そんなことまで意識している妊婦さんがどんだけいるかわかりませんが)
まぁ、 ほら、 「いちばんコワイものをガマンするのが修行」って考えかたもあるじゃないですか。 あなたにとって、 いちばん鼻持ちならないものでもあり、 あこがれの存在でもある妊婦さん。 その妊婦さんに愛をかけるのは、 ものすごくタマシイをキヨメルことになるんじゃないかと、思うんですね。
だから 妊婦さんに話しかけてみてください。 仲良しになれそうなひと、みつけて。 妊娠生活の不安とか、きいてあげてください。 そうして、 「わたしにあなたのラッキーをわけてちょうだい」 と、 心から頼む。
見知らぬひとに頭をさげて、ものを乞う。 いわば、「相手の優位」をみとめる。 その姿勢が、あなたを受容体質にし、副交感神経優位になりやすくし、 妊娠運をたかめるにちがいない! とわたしは思うのであります。
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