マミー追悼

 

 きのうはずいぶん寒い一日で、夕暮れ時から降り始めた雨が、夜中にかけて、一段と激しくなったようでした。

 夜の十時すぎ、トイレに入ると、雨の音がしました。小窓が開いていて、雨が、木立ちや屋根や、ありとあらゆるものを叩く音が、ひどく耳触りに聞こえました。居間では、ずっとテレビがついていて、窓も閉っていて、こんなにすごい雨になっているとは気がつかなかった。ざぁっざぁっ、どどう、どどう。打ちつける、無数の水の拳。ひんやり、腕に鳥肌がたちます。

 トイレを出ると、チャイが後ろ足立ちになって、前足を振り振り、くふぅん、くふぅん、と、でっかい耳を揺らします。毎朝、私が、起き抜けのトイレ(六時だったり、七時半だったり、九時なこともある)から出るとすぐに待ちかねたチビらを連れてお散歩に行く習慣であるため、チャイの馬鹿は、自分が寝覚めで、オシッコタンクが満杯に近く、かつまた、私がトイレに行って帰って来るのを見ると、そのたびに、誤解する。『あっ、嬉しいな、嬉しいな♪ お散歩でしょう、ボク嬉しいな♪』踊りを踊るわけです。プーは、チャイの足許で、自分の尻尾を追いかけるように何度もくるくる回ります。これはご想像どおり、プーの、『プもうれし。プもうれし』踊りです。それはそれは可愛いです(あんまり可愛いもんだから、三度に一度はホダされて、さっさとお散歩に連れてってしまう私も馬鹿かもしれない)。

 でも、この時は。

「すごい雨だよ。もう少し小降りになってからにしない?」

 私は言いきかせましたが、二匹は『嬉しいなパ・ド・ドゥ』を止めません。

 やれやれ。玄関がまちへのガラス扉をあけて、お散歩紐を取り出します。二匹の興奮は極致に至り、立ち上がっては私の腿をひっかき、かぷかぷ私の腕を噛みます。

「ぼくがいくよ」

 食卓で、波多野さんが言いました。

「いいよ。あなたは疲れてるから」

 玄関を出ると、大粒の雨に、二匹は慌ててぶるぶるをします。チャイは大きなクシャミもします。わたしも傘はさしません。二匹分の綱と、ウンチ埋め用スコップと、カメ餌採取用ビニール袋を持つと、余裕はないし。犬たちは傘の中には入らないから。あんまりひどく濡れるようだったら、急いで戻ったほうがいいから。

 チビらは散歩が大好きです。どんな時でも、お散歩は嬉しい。濡れようと、寒かろうと、足が汚れようと。まっ暗な夜でも。

 マミーが、そこに、いなくても。

 チビらは、いつものように、夜のお散歩をするのです。

 

 マミーは十才になる雑種犬です。シェパードから生まれ、二度ほど、お産もした、そろそろ更年期のオバサン犬でありました。

 彼女にはじめてあったのは、ちょうどエイプリル・フールの日、軽井沢にようやく春の気配がしてきた頃のこと。

 あるかたの別荘に、その日集った人間は、全部で九人。

 マミーの元の飼い主であるKさんは学校の先生。そのKさんの同僚であり別荘の持主であるご夫婦。そのご夫婦とおつきあいのある小野さんは、たぶん千ケ滝の別荘地にもっとも昔から定住しておられたかた、娘さんを連れて来られた。小野さんと仲良しの藤田さんは、『動物記』第一号に素敵なアトガキを書いてくださったあのかたで、もちろん、パートナーである小池さんと一緒。そして、波多野さんと私。

 Kさんは、事情でお引っ越しをしたばかり。ところが、新居は犬さんおコトワリのマンションだった。十年も可愛がって来たマミーだけど、もう一緒に暮せない。誰か貰ってくれるひとはないか。

 先にあげた順序で、話が回り(他のルートにも回ったんでしょうけれども。なにしろ、もう十才の、けっこう大型なお犬さま。なかなか貰い手が見つからなかったんでしょうなぁ)。

「俺はいいですけど」

 波多野さんに当たったのでした。

「うちには、他のがいっぱいいますからね。少なくとも、チャイとプーイとマーロゥとダイスケと仲よくできるタイプの犬じゃなかったら、無理だなぁ」

 で。急遽、マミーと、チャイ&プーのお見合いが決った。マミーにも、チャイ&プーにとっても、自分のテリトリーでない場所であうほうがいい、ということで、こちらの別荘にお邪魔することとなったのでした。

 当日、エスティマにチャイ&プーを載せて辿りつくと。いました、いました。玄関先に、繋がれてる。白黒で、けっこう大きい(その頃のチャイくんより三回りくらい大きく、我等がジロ公よりは二回りくらい小さかった)。眉のとこが平安貴族みたいにぼっと白くなってるのが、憧れのハスキーみたい。

 わたしたちがそばを通ると、その子は、ウォンウォンと吠えました。でも、そんなにヒステリックな感じじゃなかった。緊張して、怖がってるみたいだった。チャイ&プーを、顔は見えるけどお互いに触れないくらい遠くの樹木に繋ぎました。こっちもすっかり動転して、キャイキャイ鳴いています。

 どうもどうも、はじめまして。ご挨拶もそこそこに、波多野さんは、ひとりマミーの様子を見にゆきました。元飼い主のひとには、わざと、隠れてて貰ったのです。そのひとの顔が見えると、そのひとに頼っちゃったり、そのひとがいることで普段になく強気になったりするから。

 やがて、波多野さんが戻って来て、私を呼びました。

「おとなしい、おとなしい。最初、わんわん言ったけど、チーズやったらたちまちなつかれてしまった」

 行ってみました。

「こんにちわ。マミーちゃん」

 犬ジャーキーを出すと、マミーちゃんは、吠えるどころか、擦り寄って、たちまちはぐはぐっとむしゃぶりつきました。

 とても綺麗で、色つやのいい犬です。ちょっとおデブさんで、前足がガニ股だけど、そういう体形の犬さんっているもんね。

 目はちょっと潤んで、赤くなってました。遠くから車に揺られて知らないとこに連れて来られて、疲れたんでしょう。

 波多野さんがマミーを、わたしがチャイ&プーを連れて、散歩してみました。

 マミーはなかなか動きたがりませんでした。Kさんのそばを離れたくないんでしょう。無理にひきはなしてみたものの、やっぱり、とてとて、なんか、重そう。どうも、あんまり歩くのが得意ではなさそうです。このあたりの道は坂がきついので、ちょっとシンドいみたい。

 でも、とりあえず。チャイもプーも、マミーも、お互いそんなに相手のこと、イヤじゃなさそうです。

 波多野さんはKさんから、マミーの癖や、好み、普段の生活ぶりなどを聞きました。マミーは、傘が嫌いなんだそうです。なんでもよく食べるけれど、お豆腐だけは、好きじゃないかもしれない。

「貰いましょう」

 話が決り、青い屋根のハウスとピンクの毛布、食器や、お土産のドック・フードなどなどが、Kさんの車からウチのエスティマに運び込まれました。正直に告白すると、私はその時、チラッと思ったりしました。今日はお見合いのはずだったのに、しっかりもう、ウチの子にしちゃう用意をしてらしたのだなぁ、と。そんだけ、せっぱつまってらしたのだろうとは思いつつ。

 もし、ウチがダメだったら、どうしたんだろうなぁ。

 

 その日のうちに、例によって、十八号線ぞいの土屋先生のところに、連れてゆきました。そして、すぐさま、ショックな事実がわかってしまったりするのです。

「フィラリアが心臓まで来てる。早く駆虫をしたいけど……こいつは、ちょっと、太りすぎですよ。十八キロもあるけど、この骨格だったら、十五キロ程度に落とさないと。肥満に体力取られちゃってるから、いまは、手術はヤバい。ダイエットしながら、ゆっくり薬でフィラリアを弱らせて、だんだんに治すしかないでしょうねぇ」

 一ケ月に一回飲ませる薬を、いただきました。

 

 その後。

 目白にみんなで行った時、ジロ公かかりつけの目白の動物病院、二十四時間営業のダクタリさん(ほんとうに助かります)の、Drアライに見ていただくチャンスがあり。マミーは、Drの勧めで、毎日飲む水薬を貰うこととなりました。

 

 お庭で育ったマミーは、はじめ、家の中に入るのをすんごく躊躇しました。けど、軽井沢の夜は寒い。外にいたら、こごえてしまいます。

 居間の中に、マミー小屋を入れてやりました。マミー毛布つきです。マミーはほとんどの時間、小屋の中に隠れています。チビらが遠くにいると、ノソノソと起き出したりもします、その時には、あの、ピンクの毛布を引きずってゆきます。が、チャイくんが、尻尾ふりふり「遊ぼうよ」って寄っていくと、無言のままキビスをかえし、また、小屋の中に入ってしまいます。

 その夜、夜中じゅう、マミーは、ふぇぇぇぇん、ふぇぇぇん、と、のぶとい声で遠吠えをしていました。

 チビらが夜走り回れるように、寝室のドアは閉めない習慣です。ふぇぇぇぇん。ふぇぇぇぇん。よく聞こえます。クィーン・サイズのベッドの上で、チャイとプーイとマーロゥと波多野さんと私(ダイスケは夜は、ひとりでどっか行って寝るのが好き)は、薄暗い中で顔を見合せました。

「ホームシックだね」

「……ヴォフ……」

「チャイくんチャイくん、怖くないのよ。だいじょうぶ、だいじょうぶ」

「今に、きっと、マミーもここに登って来るようになるんだろうな」

「……あの巨体が……」

「いいなぁ。きっと、可愛いぞぉ!」

 

 かくて。

 マミー・ダイエット作戦の日々がおっぱじまりました。

 主食はヒルズのダイエット用ドライ。それだけだと召上がってくださらないので、鶏のササミを三本ほど、チビらのお肉と一緒に煮ます。同じササミでも、チビらのごはんによって、ビーフすじ肉味だの、ポーク・スペアリブ味だの、ラム・チョップ味だの、レバー味だのが、かすかにつく。これを、昼前と夕方の、二回。味付はほとんどナシといっていいくらい薄くしておいて、あと、水をたっぷり。老犬で、そろそろ歯が寂しくなりそうなので、煮干しやらダシがらになった骨やらも時どきやります。

 そして、できるだけ元気に散歩。長い距離散歩。弱った心臓を鍛えるためには、ゆっくりとした坂道の登りはピッタリだし、たるんだ筋肉を引き締めるには、下りがピッタリです。

 朝のお散歩のあとは、チビらにやる習慣であった幼児用チーズを、ちょっぴりだけ分けてあげます。夕方のご飯の前には、フィラリアを少しずつやっつける、苦いらしい水薬をスポイト一本分、どんなに逃げようと嫌がろうと、ふんづかまえて、飲ませます。

 ちなみに、欲しくない薬を犬さんに飲ませる方法には、

 @ おいしい餌に混ぜる。粉薬に適す。

 いつものご飯の量の全体に混ぜてしまうと、残した時、処方箋どおりの薬量が摂取できないので、少量の薬マブシをまず先にやり、それを全部食べたのを確認してから、残りのご飯をやる。

 ウチのように、何匹か一緒に飼ってる場合には、他の犬がそれを食べたり、患畜が他の犬の薬抜きごはんを食べたりしないように、厳しく制御しなければならない。

 A 口をこじあけて、喉の奥に放り込む。丸薬に敵す。

 なんなら、いい加減に放りこみ、顎を閉じさせておいてしっかりと片手で握り、残る片手で、ポンと頭を叩く、という手も使える。反射的に飲み込んでしまう。

 西根家のチョビみたく、飼い主がホーラといいながら投げ与えた餌はみんな飛びついて食べてくれちゃうようなよい子だと、便利。

 B 下唇をめくって、頬袋の内側に注ぎ込む。水薬に敵す。

 ただし、思い切り勢いよく注がないと、ぺっぺっと舌で押出して吐き出してしまう。迷わず、確実に、素速く、やること。

 ……などなどがあります。

 いずれにしても、あんまり頑迷な犬、狂暴な犬、不埒な犬が相手だと難しい。

 わたしは、この『飲ませかた』のAをチャイ・プー相手で波多野さんに教わったあと、なにげなく、あのジロ公にやってのけようとして、しっかり『飼犬に手を噛まれ』ました。いや、ほんとは、テキは噛んだつもりはなく、牙をむきだしにしたまま、ヤダよ! と頭を振ったら、そいつがあたしの手に当たっちゃった、とゆーことなんでしょうが。なにしろ、トンコツなんか、バリバリ砕いちゃう牙ですからね、ぶっつり穴が開きまして。

 ジロはハッとして、あわてて目を伏せ、ごめんなさいの顔をしましたが。

「なにすんのよっ!」

 あたしはジロの首ったまに腕をかけ、床に押さえ込みました。

「あんたのカラダのための薬でしょうがっ、嫌がらずに飲みなさいっ!」

 ちなみに、ジロは小さい頃から頑迷で、けして、この方法では薬を飲まなかった、とは、あとからきいたのでございます。ジロは体重で、チャイのすっかり二倍あります。それでも中型犬だけど、中型犬の中では、一番大きいほう。

 はっきり言って、襲われたら、人間、死にますよ。ありゃ。

 でもさー。自分とこの犬怖がってちゃしょうがないし。チャイ・プーに、薬やる時だって、最初は、おっかなくって、尻込みしたけどさー。このぐらいできなきゃ、ボクがいない時困るでしょ、なんて言われて、そーかそーか、やらなきゃならないもんなんだと覚悟を決めたらこれだからね。

 とにかく。

 嫌なことをさせるのは、怖いです。どんな犬にたいしてでも。なにしろ、敵は、あのオオカミの血さえもひく肉食獣、反撃する気になられたら、ちょっと面倒。

 とか思って、ついつい、無理じい、というより、機嫌とり、の方向にいってしまうから。概して、犬は、ヤサシイひとをナメちゃうんだと、波多野さんが言う。嫌がることをさせられたことのない犬は、ほんとうにどうしてもさせなきゃならないことができた時、言うことをきかないから、危険この上ない。実は、蛇よりワニより危険なのに、ヤサシイひとは、そのことに気がつかない。ヤサシクしてれば、世の中うまくいかないはずはない、そう思ってる。そう言います。

 わかっちゃいるんだけどねぇ。

 なかなか。できませんよね。

 これは、サベツ的発言になっちゃうとマズイんだけども、わたしの偏見かもしれないけど、概して、女のひとのほうが、ヤサシイというか、楽観的というか、平和主義というか。権威がないと言うか。

 たとえば、怒るべき時に、

「まーぁ、○○ちゃんったら、こんなことしちゃって、ダメじゃないの。悪い子ちゃんだこと。メッ♪」

 と、猫撫で声で言ったりしちゃう。

 コトバの中身は、『ダメ』とか『悪い子』とか言っても、態度が、甘やかして、機嫌とって、ゆーこときかせようとしてる限り、これは、犬には、なかなか伝わらない。

こういう時はやっぱり、

「コラッ! 蒲団は噛んだらいかん! いかんったらいかん! 絶対にいかんのだぞ、わかったかっ!!」

 と、やらきなゃならない。顔も、『怒ってるんだぞ』の表情にして、声も、『怒ってるんだぞ』の声にして。きっぱりと、冷たく。はっきりと、わかりやすく。

 撲ったりは、たぶん、しないほうがいいんだろうけど、そっちがその気ならこっちはいつでも受けてたつぞ的緊張感で、いまにも撲ちそうな雰囲気はいいかもしれない。

 そのように、しっかりと『怒ってるんだぞ』ポーズをすると、『悪い子ちゃん』は、彼我の力の違いをしっかりと認識します。誰がボスで、誰が子分なのか、ちゃんとわかるわけです。それは群れで暮して来た種族の、理屈以前のルールなわけです。

 で。『悪い子ちゃん』が、畏まって、ひれ伏して、ビビったら。耳をねかし、尻尾を丸め、姿勢を低くして、ちゃんと、ごめんなさいのポーズをしたら。ほんとうにこれはまずいことをやったらしい、こんなことすると怒られるんだ、怖いんだ、と納得するのを、見届けたら。

 おもむろに、黙る。怖い顔のまま、黙る。クドクドといつまでも文句を言ったりしないで、ピタッとやめる。

 すると。

 性格のねじけていない犬ならば、まず必ず『許してください』をやりに来る。へりくだった様子のまま、そっと近づいて来る。『もうしませんから、どうか、ひとつ、よろしく』って感じに擦り寄ってきて、足とか、膝とか、垂らしてる手なんかに鼻を押しつけて来る。

 ここで、態度、百八十度かえる。

「よぉーし! わかったな。よしよしよし。○○はいい子だ、可愛いなぁ」

 こんどは、あからさまに『もう怒ってないよ、大好きだよ』を、顔と声とアクションで表現する。抱きしめて、撫でてやる。

 こうなると、犬ちゃんはもう感動して、嬉しくってしょうがなくって、尻尾なんか千切れんばかりにふります。そうして、ちゃんと『強い』くてほんとうに『優しい』ボスを、こころの底から信頼する。

 この、怒る時には夜叉のよう、許す時にはベタベタりん、と、百八十度違う演技、波多野さんは、うまいよぉ。まぁ、よくもまぁ、こんな怖い声がだせるもんだって声をだし、よくもまぁこんな甘やかした顔ができるもんだという顔をする。カリソメにも、もと高校演劇部員の久美沙織、真似っこぐらい、できないはずはないと思うんだが。イザという時にはねぇ。

 せいぜいがんばっても、『怒る』より『叱る』になってしまう。こっちの、不機嫌がヒステリックに表出されるだけ。なにしろ、『怒る』べき時なんて、いつだって突然。予想もつかない時にいきなり起こりますからね。咄嗟に、冷静に、ここは向こうに理解できるように、こういう風に怒ろう、なんて考えてられるわけがない。

 いやぁ、難しいんです。

 特に、威厳を持ってきっぱりと顔を怒らせること、太く大きくはっきりとした声で恫喝すること、これが難しい。

「あ〜〜〜あ」

 って時には、あ〜やれやれの顔に、つまり、怒っているっていうより、情けない顔になっちゃうし、声も、キイキイ高くはなっても、力強く響く声にならない。

 だいたいね。

 文明人(?)は、そういう、わかりやすいカタチで怒りをモロ出しにしたりすることに、慣れてないわけですよ。腹のたつこと、気のくわないことがあっても、ソフィスティケートされた『うんざり』フィイスや、やんわりとイヤミったらしい言い回しのほうが、ずっと得意で。

 特に、わたしのように、コトバを商売のネタにしてる奴なんかだと、ついつい、言ってきかせようとしちゃう。理屈、コトバの意味、概念に、頼ってしまう。

「よしなさいって、もう何度も言ったでしょぉぉ」

 いやいや。それじゃあ、何度言ってもダメなんです。ただひとこと、

「よせ」

 本気で言うことができれば、そのほうがずっと伝わるんです。そういうものらしいです……。

 まぁ、そんなこんなで、苦手なもんで。

 ジロ公なんかには、もう、あきらかにナメられてますが。

 こんどは失敗したくない。マミーには、なんとか、ナメられないようになりたい。そう思った私は、最初、波多野さんに任せてた『飲ませる』方法Bを、自分でも、やるようにしました。

 はじめは、おっかなびっくりだったけど。しまいには、断固たる決意をもって成し遂げることができるようになりました。

 やるって決めたら、絶対やめない。どんな抵抗になっても、途中で放り出さない。それが大事みたい。こっちが、絶対にやめないんだってわかってたら、向こうだって、諦めるけど、こっちがいい加減で、

「あー、そんなにやなの、やならいいよ。やれやれ、あとで波多野さんにやってもらおう」

 って態度だと、あ、こいつはやめちゃうやつなんだ、と。

 犬さんってのは、そりゃあ、あからさまに見抜くもんです。

 

 それにつけても。

 マミーは、とってもいい子でした。どんなに嫌でも、絶対に噛みません。

 我慢強い。そういう言い方が、ぴったりかもしれない。なにしろ、トイレだって、すんごくすんごく我慢してしまうらしい。したくなったらジャーのチビらを見てきた私には、奇跡のような我慢強さに思えましたが……我慢強いやつって、実は、けっこう、頑固でもあるんだわよね。

 雨が降ると、マミーはウンチをしません。ほんといって、散歩にも行きたがりません。傘が嫌いだと言うのは、あれは、傘ではなくて、雨が嫌いだったのではないかと私は思う。

 

 マミーの遠吠えは、二日で止りました。ピンクの毛布を寝室の床に敷いてやると、のそのそと、やって来るようになりました。

 何日めだったろう。気がついたら、ベッドの上にあがってた。そのうち、登るのを見る機会がありました。そりゃもう、重そう。ジャンプ力がないので、ヨッコラショと、必死。前足かけて、戸惑って、既に上にいるチャイやプーにじっと見つめられて、やめちゃったりなんかもします。

 でも。

 みんながベッド・ルームにいると、マミーも、いつの間にか、そばにきて、ひーん、ひーん、と鼻声で甘えてたりする。ぐうぐう寝てるあたしの、蒲団からはみだしたアシを嘗めてたこともある。そういう時、

「マミた、マミた、おいで、おいで!」

 励ましの声をかけてあげると、安心して、ドサリと載って来たりした。あたしの、お腹の上に。

 

 マミーはマミーっていう名前だったわけだけど、うちでは、『マミ』とか『マミたん』とか『マミた』とか言うことが多かった。

(マミたんとゆーのは、楠桂さん大橋薫さん姉妹のどっちかの愛称と同じだが、他意はない! ありませんよ!

 ……断るのは他でもない。私はフタゴであるこのお二人の見分けがつかないのですが、たまたま、何かの単行本で片方のかたが結婚なさったと知った直後にあったパーティーで、おふたかたのどちらかであることだけは間違いのない美女をお見かけし、ついつい『おめでとうございます』と言ったら、『わたしじゃない』と諌められてしまったという前科を持っているんだ。けど。

 実は、いまだに、どっちのかたが、既婚者で、どっちのかたが、まだお嫁にいってらっしゃらないほーなのか、ちっともわからない!)

「どうしてマミーってつけたんだろう」

「お母さん犬だったからかな。……いやいや、お母さんになったのは、マミーってつけてからだし」

「ひょっとして、ミイラ男からとったとか」

「……『マミー』って聞いて、ミイラ想像する奴、どこにいる?」

「ここに」

 西武のロフトにでかけて、マミーのネーム・プレートを注文しました。なにしろ軽井沢は、だだっぴろいし。うちでは、山に連れてくと、綱を離してやるから。万一、ゆくえ不明になった時ようの、迷子ふだ。

 チャイくんとプーちゃんのを作ろうと考えた時に、あれこれ検討したんだけど、世の中のデキアイの犬の迷子ふだには気に入ったヤツがなかった。ロフトの表札オーダー・コーナーで、薄い金属板に文字を彫ってもらい、首輪の幅に切って、針金とビニール・テープで止める、という方法を考えつきました。首輪から、チャラチャラ下がってると、ブッシュやなんかにひっかけて取れちゃうかもしれないし、犬どうしジャレて怪我をしても危ない。プラスチックは割れやすいので、強くて、しなやかで、彫った字が消えてしまわない金属板がベストだったわけです。

 一匹分作るのに、五千円とかかかっちゃうけど。

 

 MAMIE HATANO

 うちの電話番号。

 

 新しいネーム・プレートを、マミーの、ピンクの首輪(Kさんが、どうも、新品をつけてくださったようで、ぴかぴか。とってもお洒落で素敵な首輪です)にくっつけました。

 

 『マミた』を風邪ひいた時に言うと『ばびた』になる。『ばびた』って、なんか、とっても、あの子に似合ってるような気がしたのは。

 すっごい甘ったれだったから。なんか、鼻声で呼びたくなるような感じだったわけ。

 『ばびた』はどの子より、一番、人間のそばにいたがります。私や波多野さんが夜遅くまでテレビを見てたりすると、チャイやプーはさっさとベッドにあがって先に寝てたりしますが、マミーだけは、人間の足許で丸くなって、うつらうつらしてます。人間がどこかよそに行くと、すぐついて来ます。

 撫でられたがりです。人間に触られるのが好きです。ちょっと撫ではじめると、もっともっと、もっともっとって、いつまでもやめさせてくれません。

 マミーの尻尾はぶっとくて、けっこう長い。ぶんぶん振ると、なかなかのワザモノであります。何かで嬉しくなっちゃったマミーが、いきなり尻尾ぶんぶんをやって、ぼーっと後ろにいたチャイくんが、顔はたかれて、目シロクロさせてたりします。

 

 マミーとチビらは、わりとすぐに仲良しになりました。ご飯のお皿も、

「はい、こっちがチャイ・プー。こっちが『ばび』ね」

 言ってきかせると、ちゃんと、よそのほうは食べないし。

 オバサン猫のマーロゥとも、相性が良かったみたい。二匹で、お尻とお尻をくっつけて、居眠なんかしてたりする。

 問題は、ダイスケだったのです。

 

 ダイスケは『末っこ』タイプで、元気でヤンチャで、ワガママで衝動的です。のーっとしてる時は、ずーっと、のーっとしてますか、ひとたび気合いが入ると、居間から台所、寝室、お風呂場まで、暴走します(んでもって、いつ、そういう衝動が起こるのか、誰にも予測がつかない!)。とにかく、そうだな、多い日だと、一日に十回くらい、そういうスピード狂ダイチャンになります。あたかも、かつて、明け方の首都高速の環状線で赤いオープン・カーのドライビング・テクニックを磨いていた、某先生のように? 

 が。

 なにしろ、ダイスケは右後足が変形したままです。爪がひっこまず、指がいっぽんたりず、ちょっとケロイドの残った状態で癒着してしまってるから、限界速度に挑戦すると、後輪がスリップするみたく、右後足を軸にドリフトしてしまう。ガーッと走って来て、そのまま床の上をザーッと滑ってったりもする。

 チャイやプーやまーちゃんは、もう、そういうダイスケの『発作』は見慣れていきるので、驚きませんが。

 ばびた、吃驚したんだろうねぇ。

 うつらうつらしてても、安心して座ってても。いきなり、目の前をすっとんでく白黒の弾丸があると、思わず、バッと立ち上がり、牙を剥き、耳を後ろにひき、ばうわうわうっ! と吠えてしまう。

 それがまた。ダイスケの阿呆には、面白かったらしい。応援してくれてるとでも思ったのだろうか、まるで、選んだように、マミーのすぐ鼻先を、かっとんでみせる。

 しゅぱぱぱぱぱ、ザザーッ! 

「ばうばうばうっ!」

「ダイスケッ!」

 しゅたたたたたた、つるりん、つるりん、つるりん、ズザサッ!

「ばうっ、わうわうわうっ!」

「こらっ、ダイスケッ! ばびたを構うのやめなさいっ」

 これが、何度も繰り返されたあげく。

 ばびは、いや、マミーは。人間が、ふと、ダイスケ、と言うと、ビクッと顔をあげる、ダイスケということばをきくと、緊張する、そういう、条件反射ができてしまったものでございました。

 けどさ。

 不思議なことに。

 マミーは、ダイスケを嫌いってわけじゃなかったと思うんだ。ダイスケがすっとんでない時には、ほっとくし。時には、カラダのどっかが触ってる状態で寝ちゃってたりもした。

 そして、ダイスケは、あれは、マミーのこと、大好きだったんだと思う。ほら、赤ちゃんなんかにあるでしょう、何か、芸みたいなことすると、オトナが喜んでくれる、すると、何度もそれ繰り返す、みたいなこと。いっぱい反応してくれるオトナの前では、特に盛んに、芸をやっちゃう、みたいなこと。

 椅子に座って何か熱心にやってる人間の背中には、爪をハーケンのように打込んで飛びかかって来る馬鹿ダイスケも、マミーには、けっして、ただの一度も、ほんとうに痛い思いなんか、させなかったんだよ。

 

 ばびたを連れてピクニックに行ったのは、三回こっきりでした。もっと行きたかったんだけど、雨の降ってる時はダメだし、あたしや波多野さんがあんまり忙しいとダメだし。

 目白←→軽井沢のクルマ旅なんかは、もっとやったんだけど。そういう時には、パーキング・エリアとかで、ちょっと休憩、なんかもやったことあるけど。

 最初のピクニックは、足だめし、足ならしの、ちょっと長めのお散歩。別荘地の奥の、車の入れなくなってるあたりで、綱を放すと、チャイやプーは、もう戻って来ないんじゃないかってぐらいドピーュンと行ってしまうんだけど。マミは、どっかり、その場に腰を降ろし。困ったチャンな顔で、波多野さんやあたしの顔色を伺う。

 そこまで歩いただけで、充分疲れちゃって、もう走るなんてとんでもない、って感じだった。

「ばびたったら。少し、走っておいでよ。チビらと遊んでおいでよ。痩せるよぉ」

「はやく、もっとじょうぶになるといいねぇ」

 そんでも、ばびたは、綱をはなしてもらった時よりも、もう一度綱をつけて、さ、帰るよ、と立ち上がった時のほうが、なんか、嬉しそうだったなぁ。

 二度めのピクニックは、途中まで車で行きました。

 『サライ』で素敵なピクニック・マットを見て、欲しいなぁと言ったワタシのために、波多野さんが、遥か英国に英文でFAX注文を出して、航空便で取り寄せてくれたのを、記念して(?)のピクニックでありました。それは、片面ビニール・コーティングで、片面赤いチェックのウール、丸めてパチンとするとバッグみたいなかっこうになって、とっても便利なマットでした。

 波多野さんのナップザックには、『アサヒ高級茶葉ウーロン茶』の空ボトルにつめた水と、タッパーに入れた牛乳、キャンプ用のコンロ。犬さん用ドライ、バケット一本と、チーズふた通り、『アンデルセン』のパック入りロースト・ビーフ、きゅうりと、ミニ・トマト、それに、ゆうべの残りのコールスローなどなどは、分けて持ちました。阿呆なわたしが、紅茶のティー・バッグを入れるのを忘れたのは、まことに悔しいことでした。

 車を止めたところから、小一時間。砂利じきの緩い登りをゆっくり進むと、ぽっかりと開けた空間があります。あいにく、ちょうど渇水の時期で、地図では、近くにあるだろうと思われたセセラギが、ほとんど、石の下になっちゃってたけど。

 赤いチェックのマットを広げると、マミーはすかさず、その上に座りました。とにかく、なんか敷くものがあると、喜んで座っちゃうヤツなんです。みんなで、たっぷり、お弁当を食べました。

 カンカン照りじゃなかったけど、風もなく、いい感じの気温でした。山はまだ、ようやく、冬であることを止めようかどうかようか迷いはじめたぐらいで、緑はぼんやり霞んでるみたいだし、草も小さいけど。空の高みを、鳥のシルエットが飛ぶと、波多野さんは大急ぎで双眼鏡を出します。

「ちぇ、ノスリだ」

 波多野さんは、このへんにきっと巣があると信じている、オオタカの姿が見たくてたまらないのです。

 食後、波多野さんが、マミーの毛を梳いてあげました。チャイやプーの毛皮は一重ですが、マミーのは、二重。おもての、まっ黒でツヤツヤな毛をブラシで擦ると、まっ白い下毛が、たくさんついて来ます。

 それから、元気なひとたちは、もっと奥まで散歩に行きました。マミーとわたしのオバサン・チームは、赤いマットを分け合って、ごろりと横になりました。

 ぴよと、ぴよと、ぴよと。

 ふーいー、ちちちち。

 鳥が鳴きます。

 厚い雲を貫いて来る見えないお陽さまが、閉じたまぶたの上に、ちりちりと静かなキスをします。

 それは、ほんとうに、のんびりと安らいだ、至福の時でした。

 

 三度めのピクニックは、ついこの間、先月の末のことです。

 ふ〜こちゃんという、わたしの中学の頃からの友達が、二才になるムスメを連れて、遊びに来てくれて。みんなで、近くの川原まで、お昼を食べに言ったの。

 前回、食糧を犬さんたちから守るのがけっこう大変だったので、こんどは、あらかじめ、家でサンドイッチを作り、一個一個ラップで包んで持ってゆくことにしました。ハムと蕩けるチーズのやつ、ツナと炒めたタマネギのやつ、卵焼のやつ。この三種類が、ホット・サンド。『中山農園』のピクルスをミジンにしてあるやつ(レリッシュ、とかいいます。マヨネーズと混ぜるだけで、タルタルソースの卵ヌキみたいなのができます。美味しくって、便利)と、いちごジャムの、くるくる巻きサンドは、二才児のウケを狙って、キャンディーみたいな包みかたをしました。

 雨が降りそうだったのと、2才児がまだあんまりたくさん歩くのが得意でないので、近くまで車でゆき。道なき道をかきわけて、湯川に降りました。犬たちは、もう夢中で、先頭の波多野さんと、しんがりの我が友&2才児の間を、風圧で顔がブル・テリアになるくらいの速度で、フリコ運動します。

 せせらぎの横の笹薮で、例のマットを広げて、お弁当を食べました。こんどは紅茶も忘れなかったし、アメリカン・チェリーひと袋も持って来ました。さくらんぼ食べて、種を、そのへんのクサムラに、プーッと吹いて。川はちょっと増水ぎみで、ごうごう流れてます。木々のみどりはつやつやと新しく、お陽さまのひかりが、いくつものヴェールみたいになって、キラキラ落ちて来ます。

 と。

 ごろごろごろ。

「うぉぁっ、来るぞ! 急げ」

 超特急であたりを片付けて、車に戻ったら、ちょうど雨が降り出したっけ。

 あの頃は、マミーも、元気だった。

 他の犬たちは、すぐにちょっとはしゃぎすぎて手におえなくなっちゃうけど、マミーの、どっしり、のんびり、ゆったり、とした雰囲気と、大きさと、いつでも、人間のそばにくっついていたい性格。それが、二才児アオちゃん(葵ちゃんと言うのです。この名によって、ふ〜この近所のお子さんの『赤ちゃんなのに、アオちゃんなの?』との名言、素朴な疑問が、導き出されました)のお相手には、とても都合がよかった。

 遊んでもらった、というか、遊んであげたというか。

「マミーちゃん」

 アオちゃんは、ちゃんと、正確な名前、呼んでくれたしね。

 

 いつだったか、真夜中に、マミーに起こされたことがあります。どうも、お腹を壊してる気配があったので、ひー、ひーと、小さな鼻声を聞いて、思わず、とびおきました。

「ウンチなの? 外に出る?」

 マミーは地団太を踏むような足をします。わたしは、おお急ぎで、玄関を開けました。綱をつけてやるヒマも惜しんで。

 すると、マミーは、たったかたー、と走って行ってしまったのです。

 わたしは驚きました。だって、マミーは、いつだって、綱放されても、その場に立ち止まってしまうタイプなんです。遠くから、おいでおいでと、何度もしつこく呼んで、時には、「行っちゃうよ」と歩き出して、ようやく、ヨッコラショ、とついて来る、タイプなんです。人間のそばを、放れない。綱がない時には、歩いてはいけない。そう思っているんじゃないかというフシがあったのに。

 わたしは戸惑いました。わたしはパジャマです。外は、さすがにシモは降りなくなってた頃だったと思うけど(軽井沢では、五月の頭まで、平気で最低気温が零下になったりします)すこぶる、寒い。おまけに、そうとう暗い。このへんには、街灯がないので、よっぽど月の明るい夜でないと、あたりは、ほとんど、真っ暗闇といってもいいような状態です。

「マミーっ!」

 呼んでみましたが、戻って来る気配がない。しょうがないから、とにかく、懐中電燈を持って、靴もつっかけただけで、ダーッと走りでました。

「マミーっ、どこーっ?」

 庭の常夜灯の明りの届く範囲には、マミーの姿はありません。さぁっと背中が冷たくなりました。なぜ、綱なしで外に出しちゃったりしたんだろう。なぜ、もっと早く目を覚まさなかったんだろう。あんなにせっぱ詰まる前だったら、ゆっくり、外にでかける支度するヒマだってあったはずなのに。

「マミーッ!」

 ざささっ! 草が揺れました。ハッとして、懐中電燈を向けると、母屋(うちの敷地の中には、何軒か家が散らばってます。母屋というのは、夏の盛りになると、波多野家のおじいさま、完治先生が避暑にいらっしゃる建物です)の前の通路で、振り向いたふたつの瞳が光りました。

 ご存じのかたはご存じでしょうが、夜も人間より目の見える犬や猫は、目玉の構造が違ってて、光に当たると、鏡みたいによく反射します。ペットの写真を撮る時に気をつけないと、フラッシュが目に入って、怪物みたいな顔になっちゃうのは、このためです。

 わたしは走りました。つっかけてただけの靴が脱げそうになって、砂利じきの庭はひどく滑って、暗くて足許が見えなくて、あんまり速くは走れない。マミーは、なんと、また、サッと横を向いて、下のほうに向かって行ってしまいます。よく、タヌキさんや、野良ネコさんのいるほうです。フェンスを越え、下の道路を越えられたら、まず、追い付けません。

 踏み分け道のカーブを回りこんだわとたん、足が流れて、転びました。どき、どき、どき、どき。胸が早鐘。

「マミーーーーッ!」

 と。

 ぽてぽてぽて。

 マミーが、こちらに向かって歩いて来るのです。

「なっ……なんで早くこないのよう!」

 わたしは飛んでゆき、しゃがみこんで、マミーのからだを押さえました。それから、ピンクの首輪をがっちりと掴んで、ぎゅうぎゅう家においたてました。

「……あんた……わざわざ見えないとこいって、ウンチして来たの?」

 マミーはなんにも言わないから、なんで、あんなことしたのか、わからないけど。足をふいてやって、居間にあげると、マミーは、水を、がぶがぶがぶと飲みました。

 がっぱ、がっぱ、がっぱと。

 勢いよく。

 それはそれは、美味しそうに飲みました。

 

 そう。もともと。マミーは、ご飯の食べかたも水の飲みかたも、実に豪快で、気持ちいいヤツでした。

 チビらは、どんなにお腹すいてる時でも、餌箱に口つっこんだまんま、むぐむぐむぐってな食べかたをしません。お肉のかたまりなんかをつまみ出しては、そばの床において、ゆっくりとハグハグする。これは、チビらが、うちに来た時からずーっと二匹一緒で、ずーっといつでも二匹で並んで食べてたからかもしれない。食べるのに夢中になりそうな時でも、相手のこと、すっごく気にしてるから。プーなんか、チャイくんが床にひっぱりだしたモノにすぐ気をとられて、あっちこっちあっちこっちしちったりしてた。

 食べてる途中で、犬の食器などに触るのは危ない、などとかいてあるものを読んだ覚えもありますが、こいつらに関しては、途中の皿とりあげよーと、何しよーと、ぜんぜん平気。

 まー、ほんとうにクタクタになるまで飢えたことがないから、そんなに食い物に執着がないってことなのかもしれませんが。

 マミーちゃんだって、ずーっと可愛がっててもらった犬さんです。たぶん、うちの子よりずっと、頻繁に、たくさんのご飯をもらってたんだろうに。

 なぜか。

 マミーの喰いかたには、『いまのうち、いまのうち』みたいな、危機感が漂って、迫力がありました。

 ひょっとしたら、繋がれてたお庭に、野良ねこさんかなんかが入ってきて、ご飯取られちゃったことかなんか、あったのかもしれないなぁ、と想像したりしました。

 

 だから。

 マミーが、どうも、おかしい、変だ、いつもと違う、と気がついたきっかけは、ご飯のたべかたと、ウンチでした。

 あの、ふ〜こと葵ちゃんが来てくれた日から、そう何日もあとのことじゃなかった。

 ひどい雨が続いて、マミーは、お散歩のたびに、ウンザリって顔をしていました。

 落ち着いている時のマミーの目は、とてもとても綺麗で、どこか妙に人間的で。ちょうど、手塚治虫先生のマンガの犬にそっくりでした。その目が、玄関の軒先に降りしきる雨を見ると、しょんぼりと、曇ってしまうのです。

 ウンザリのお散歩で、マミーは、ウンチをしませんでした。朝の散歩でも。昼の散歩でも。夜の散歩でも。翌日の朝の散歩でも。

「ね、マミー、便秘かもしれない。ぜんぜん、出ないのよ。雨のせいかもしれないけど。そんで、たぶん、詰っててくるしいからなんじゃないかとは思うんだけど、食が細い。大好きなチーズも、ひと口も食べなかった」

「うーん……。そいつはよくないな。うちに、便秘薬ってないの? あの、お休み前の何粒でおだやかな効目、とかいうようなやつ」

「ない」

 はっきり言って、わたしはフツーの便秘を知りません。生まれてから今日まで、たいがい毎日一度や二度はする、へたすると、何度もする癖がついちゃっている。盲腸の手術をしたアト、なにしろ、ご飯食べてないから出ませんよね、それが丸二日続いただけで、もうなんか気持ち悪かったぐらいなもんで。忙しかったり、体調崩したりして、ほんの一日リズムが狂っただけでイヤな感じするけど、そういうのは便秘とは言うまい。

「そうか。じゃあ、買って来るか。今日は木曜日で、あいにく土屋先生が休みだから。薬でも出なかったら、明日、病院つれてくよ」

 ところが。

 出てしまったんですね。その日の、夕方の散歩で。雨の中だったけど、してくれた。サスガに苦しかったんだろうと、勝手に解釈し。

 なまじ出てくれたもんだから、多少グッタリしていても、この雨がイヤなんだろうって、甘く見てた。土屋先生にも、電話をしただけで、連れてゆかなかったのです。

 

 けれど、雨があがっても、マミーの様子はなんだかちっともよくなりません。散歩の途中で、あたしが亀ちゃんの餌用のオオバコだのタンポポだの摘むために立ち止まると、ぺったり道路の真ん中に座り込んだりしてしまう。

 そうして、なんだか、やけに、抜け毛が多い。生え代りの時期なのかもしれないけれど、とにかく、多い。

 もうマミーはあんまりちゃんと散歩にいけませんでしたから、波多野さんと私はふたりそろって散歩につきあい、まず、チビらと三匹一緒につれだしておいて、マミーが戻りたくなってから、ひとりがマミーと一緒に戻る、そういう手段を取っていました。天気のいい午後、玄関のタタキに座って、チビらが帰って来るまでと思いながら、全身にブラシをかけてやると、それはそれはたくさんの毛が抜けました。

 小鳥さんたちが巣材にできるように、それは、小鳥さんたちの、通り道のほうに出しておきました。

「抜け毛も、フケも、すごいなぁ。元気になったら、お風呂にいれてやろうね」

「ねーぇ、なんか、どんどんオバアチャンっぽい顔つきになって来ちゃったみたいだと思わない?」

「うーむ。夏にジロが来たら、マミーとだけは、仲よくさせないとダメだな。じーさんとばーさんと一緒にして、チビらと分けて」

「日向に並べて、毛え梳いてやったりして」

「いいじゃない、そういうの」

「いいね。なんか、平和な老後って感じ」

 けれど。

 あの一回以来、また、便秘が続いています。いつでも、文字通りぺろぺろ底までなめて空っぽにしてしまうことの多かったご飯が、なんだかいやに残っています。そのうち、口をつけようともしなくなりました。

 そうして、なんだか、やけに水を飲むのです。飲んでは、大量の水を吐きます。

「熱いんじゃないか」

 波多野さんが熱を計ってみました。犬さん用に買って来た体温計(水銀のだと、万一の時危ないので、電子体温計です。犬さんの場合、肛門にさしこんで計ります)が、三十九度くらいをさしました。

「犬にしたら、平熱だと思うけどなぁ……まぁ、いっぺん、行ってみますか」

 ようやく、土屋先生につれてゆきました。

 診断は、風邪。風邪で、食欲がないので、出るものも出ないのでは。そういうことで。

 マミーはこんどは、風邪薬も飲まされることになりました。

 

 でも、やっぱり、水ばっかり飲むんです。毎日、家のどこかの床に、ざぁっとこぼしたような水がたまっていました。

 そして、ある朝、わたしが起きると。

 居間のかたすみに、茶色っぽい、粘液質のものがこぼれていたのです。

「血、じゃないかしら」

 わたしは波多野さんに言いました。

「いや。胆汁じゃないかな。……何にも食べてないから、胆汁まで、でちゃったんだろう……可哀想になぁ。苦しいだろう。

 土屋先生に言って、吐き気止めを貰って来るよ」

 

 たまたまなんです。たまたま、ふたりとも出たいパーティーがあって、どうせなら前の日からいって、新しいホテルでお食事をしようよと、波多野の両親と約束があり。

 一家をあげて、エスティマで移動しました。犬三匹、猫二匹(猫たちは、万一ブレーキの下などに入っちゃうと大変なので、篭にいれられて、ですが)の民族大移動でした。

 たまたまなんです。たまたま、マミーの例の水薬がなくなり、くださいと電話したら、ダクタリさんに、フィラリアの治り具合を見たいから連れて来るように言われていたんです。

 軽井沢から、前橋を経て、関越を越えて、練馬出口から目白の家にゆく途中に、ダクタリさんはあります。この際だから、まず寄っちゃお、そんで、チャイとプーも、定期検診って感じで、見ていただこう。そう決めました。

 弱虫チャイは、診察台にあげられると、ぶるぶる震えました。草っぱらを走るのが大好きなプーは、そこしかトリエのない(?)顔に、でっかく、ダニさんに喰われたあとがあるのを見ていただきました。

 そして、マミー。風邪らしいという話をひとしきりすると。

「水を、たくさん飲みますか?」

「そうでもありません」

 波多野さんがいい、

「いえ、いっぱい飲みます」

 わたしが言いました。波多野さんは、昼間はあんまり居間にいないので、あの、マミーの凄じい飲みかたを見ていないんです。

「いっぱいのんで、しょっちゅう吐きます。前から、けっこう飲むほうでしたけど、今の飲みかたは、普通じゃありません」

「うんうん……それは、あんまり、よくないかもしれないねぇ。

 しかし。

 こういうことは、女のひとのほうが、よく見てるものなんだ。我々男は、データででてくるものを分析するのは得意だけれど、ただなんとなく変だ、ということに敏感にきがつくのは、やっぱり……サベツに取られると困るけど、おかあさん的なものを強くもっている、女のひとのほうなのかもしれない。

 うちのスタッフでもね、(と、診察室の女医さんを示し)彼女たちのほうが、いやぁ、よくこんなことにきがついたなってとこまで、見ていたりするんだよね」

 ダクタリさんには、若い女性の獣医さんが、何人もおられます。みなさん、美人で、度胸がすわってて、腕も確かで、素敵です。きっと、院長先生の厳しい訓練についてこられたひとだけが残っているんだろう、なんて波多野さんとウワサをしたことがありましたが。 

「しかし。……よくないかもしれない」

 Drアライは、ちょっと考えこまれてから、血液検査と、レントゲン撮影をしてくださいました。はらはらして待ってるわたしたちのところに、やがて、マミーと、先生が戻って来られました。

「波多野くん、こんなの持って歩くの、カッコ悪くってイヤかもしれないけれどさ」

 手にしておられた、膿盆をお見せになり。

「オシッコ、取れないかな? オシッコを見ることができれば、もっとはっきりするんだけど」

「いや、そんな。カッコ悪くなんかないですよ。ただ、いま、ここに来る直前にさせたどかりなんで、どうでしょうか……でも、行ってみましょう」

 波多野さんとマミーが行ってしまうと、わたしは、Drアライとふたりで残されました。

 Drアライと波多野さんは、もう、十数年のツキアイです。つまり、Drは、彼のいことを、ほんの小学生だった時から、ご存じというわけです。

 わたしがはじめてダクタリさんに連れていってもらった時、Drアライは、しみじみと『ぼくは、旦那さんには、ほんとに、獣医になって欲しかったんですよ』とおっしゃいました。『このひとくらい、動物を好きで、研究熱心なヒトは、ぜひ、我々の仲間になって欲しかったんだけど。なにしろ、もう、いろんな動物を連れて来たからねぇ……骨折したオオトカゲだの、飢死寸前の猫だの……』

「大変でしょう」

 ふと、Drがわたしにおっしゃいました。

「いろんな生き物がいっぱいいて。世話がかかるでしょう」

「でも、楽しいです。新鮮だし。たいがいのことは、波多野がしてくれます。彼は、ほんとうに動物が大好きなんですから」

「うんうん。……彼は、がんばり屋だ。けれど、あなたがいっぱい協力してあげなきゃいけないよ」

 そこに。

「取れました、取れました」

 波多野さんが戻って来ました。マミーはちゃんと、オシッコをしたみたいです。

 けれど。

 オシッコ検査の結果は。

「言いにくいことを言わなきゃならない」

 Drアライが、診察室に、わたしたちをお呼びになります。レントゲンが何枚か、かかっています。

「腎臓が両方、腫れているのが見えるかな。こんなになっていたんじゃあ、そりゃあ、苦しいはずだ。……こっちの数値でわかるように、血液中の尿素窒素の量が、正常値の五倍に達している。この汚れた血が脳にいって、嘔吐反応を誘発するわけだ」

 既に、人間なら、即刻透析を開始しなければならないくらいの、たいへんな状態、なんだそうです。

 けれど、犬には、人工透析の装置なんかありません。外科的手段はないのですか、と波多野さんが聞きました。あるよ、とDrアライ。腎臓移植。もちろん、これも、理論上の可能性であるだけです。

 とにかく、できるだけたくさんの水分を体にいれて、できるだけたくさんのオシッコをさせなければなりません。弱ってる腎臓の働きのぎりぎりで、どんどん老廃物を出させなければ、からだじゅうの細胞が、汚れた血で、やられてしまいます。

 けれど、急激な治療はダメ。そうでなくとも、フィラリア持ちのマミー、なにごとも、ゆっくりのんびりやらないと、まず、心臓に負担がかかってしまうのです。

 どのくらい持ちます? 波多野さんが、ふたたび尋ねます。

 普通なら、もうダメだと言うところだ、とDrアライ。

「でも、他ならぬジロさんの例があるからなぁ」

 ジロも、やっぱり、去年ぐったりと元気がなくなってダクタリさんに診ていただき、腎臓に障害が出ている、と診断されたのでした。けれど、処方していただいた、腎負担を軽くする特別のドライ・フードのおかげで、毎日元気に散歩するまで回復しています。ジロはもう十六才、マミーはまだ十才。

 この急激な症状が、うまく、慢性化して、それなりに安定すれば、なんとかなるんじゃないか、と、Drアライ。

「とにかく。今夜は、徹夜で、点滴だな。明後日まで東京にいると言ってたね、明日まで、自力でがんばってみる? ……できるかな?」

 わたしたちは、顔を見合せました。目白の両親との、ご飯の約束。パーティー。キャンセルして、二晩徹夜するか。

「すみません……無理です。入院させてください」

 

 わたしたちは、ふつか続けて、椿山荘フォア・シーズンス・ホテルに行きました。目白の両親と一緒の中国料理も、コバルトのパーティーも、楽しみました。

 ジロの前例があったし。

 マミーも、まだまだ元気そうに見えていたので、この時点では、まだまだ、二ケ月や三ケ月はがんばるだろうと思っていたのです。

 

 二日後に迎えにゆくと、マミーは、ずいぶん元気になったように見えました。

 ドッグ・フードは食べなかったけど、バタつきパンを少し食べたということです。

 波多野さんは、点滴のやりかたをドロ縄式に習いました。点滴の管、注射器、針、ハルトマン液とかいう点滴のいれものいくつか、ブドウ糖、その他その他。たくさんの道具を受け取ります。マミーの前足二本は、針がはいりやすいように、毛がりがしてあります。

 そうして、わたしたちは、軽井沢に帰りました。

 

 翌日さっそく、第一回の点滴がはじまりました。

 心臓の負担を軽くするため、一秒間に一滴程度のしごくゆっくりした点滴をしなければならず、パックひとつが終わるまで、五時間もかかります。

 他の犬猫にじゃれかかられないように、また、万一沮喪をした時のために、点滴の場所は、お風呂場と決りました。うちのお風呂は、床暖房が入っているので、タイルでもひんやりしないのです。シャワー・ヘッドが高い位置についてるのも、点滴ぶらさぜるのに、ぴったんこでした。

 波多野さんは、本を持って、しばらく、お風呂場にこもりました。素人のやった点滴が、ちゃんとうまくいってるかどうか、みはる意味と、マミーが心細くならないようにと、ふたつの理由で。

「あとで、ちょっとでかけるよ。三時になったら、土屋動物病院の午後の診察がはじまるから、行って、報告して、点滴の薬をもう少しもらって来る」

「じゃあ、その間は、あたしがついてるわ」

 波多野さんが出かける時間が近づいて、いったん、マミーに、オシッコをさせようということになりました。

 いきなり、血管の中に水分が増えるので、オシッコにいきたくなるのは、点滴をやったことのあるひとなら誰でも覚えのある通りですから。

 ところが、しばらくお風呂場の床に寝そべってたマミーは、なんとなく、低血圧みたいな感じで、ぼーっとしちゃって、外につれていっても、歩こうとしません。そのくせ、へんにモゾモゾするので、針が取れてしまいました。波多野さんが、あわてて、針をつけなおしました。

 

 彼がでかけて、十分後かそこら。やっぱり、本をもって、お風呂場にいたわたしが、ふと顔をあげてみると、点滴の、あの、速さのわかるとこ、あそこに、液が落ちてゆきません。

「あれぇ?」

 急いで、速度調節の回すやつを調節しても、ぜんぜん出ない。吃驚して、針のそばをはずしてみたら、ここまでは来てます。

「あーっ。針だ!」

 わたしはあわてて、ぐるぐる巻きのバンソウコをはずし、針を取ってみました。針と行っても、柔らかいプラスチックみたいなのでできていて、血管の中で柔軟に曲って、なかなか抜けなくなってるヤツです。普通の金属の針と二重にしてさしておいて、金属のほうを抜いて、こっちだけ残すようにしてつかいます。

 息を吹込んでみると、やっぱり、詰ってます。

 そう言えば。

 波多野さんが、点滴のやりかたをきいてた時に、となりで、ぼんやりきいてはいたんです。でも、自分がやるとは思わなかったので、そんなに真面目にきいてなかったんだけど。

「この子は、もう血が濁っちゃってて、血栓がとてもできやすいから、もし、針がはずれたりした時には、注射器で、○○○を少し入れてやって。そうしないと、詰るから」

 確かに。女医さんが、そんな風に言ってらした。でも、ちゃんときいてやかったわたしは、○○○のところがわからない。何か、血のカタマリをできにくくするヤツを貰ってきてるはずなのに、それが何なのか、わからない。

 しょうがないから、新しい針をつかって、やりなおしてみることにしました。貰って来たセットを、必死でひっかきまわしました。けど、あの、プラスチックみたいなのと二重になってる針が、どれなんだか、わからない。そんなの、ないように見える。針らしいやつを二つほど向いてみましたけど、どっちも、普通の、ありがちの、よくあるタイプの針でしかない。

「うわぁん! どうしよう、どうしよう」

 あたふた、迷って、考えて。

 とうとう、普通の針で、トライしてみることにした。

 

 わたしは、注射が、だい、だい、だい、だい、だいっきらい。

 昔ね。高校生の時、貧血で、おまけに、上が四十下がゼロなんちゅー、ひどい低血圧になっちゃったもんで、しょっちゅう病院に行ってたんです。そんでもって、なにしろ、血が悪いから、しょっちゅう、血をいっぱい取ったり、静脈に長々と注射されたりするよね。あれが、もう、苦手で苦手で、何度も具合悪くなった。あんまり真っ青になったので、ただの血液検査で行った日に、あいてるベッドをかりて、一時間ほど寝かしてもらったこともあるぐらい、あの、静脈関係の注射が苦手。

 病院の、隣のブース(?)で、よそのオバーチャンとかが、注射されて、血ぃ取られてるのを見ると、それだけで気が遠くなるという、注射恐怖症。

 ……だと、思っていたんだけど。

 

 不思議なんですが。

 自分が、注射、する側になるんだって思ってみると、なんか、すーっと落ち着いてしまって。ほら。車酔いのひどいひとが、自分で運転すると、絶対酔わないっていう、あれみたいなもんです。

 大きな声ではいえないが、なにしろこれでも小説家なんてものです、好奇心、ひと一倍。

 やってみたい。

 そう思わなかったとは、言えないと思う。うるうる。なんてやつだ。生体実験だぞ、それじゃあ!

 しかし。

 ゴムひもで、間接の下を締め、カンシっていうんですか、あのハサミみたいなカッコのやつ、あれで、ぱちり、押さえて。

「ゆくよ、マミー……我慢してね」

 ぶっすり。

 針をさすのは、怖くなかった。静脈を探るあたりから、ちょっと怖くなった。ぶわーっと血が出てきて、あっ、やった、当たったと思ったとたんに、だんだんモロに怖くなって来た。大慌てで、管つないで、ふうっ、と息をついたとたん。

「わぁん!」

 マミーの腕が、みるみるふくれてきたのです。最初、あんだけ、ブワーッと血が出て来たってのは、間違いなく当たりだったと思うんだけど、いつの間にか、針がズレちゃったらしくって、静脈じゃないトコ(皮下って言うのかなぁ?)に、ばんばん点滴を送っちゃってる。

「わぁん! これはいかん。これはいかん。ごめんマミ、ごめんマミ」

 しょうがないから、またしても、全部はずして。

 波多野さんの帰って来るのを、いまかいまかと待ちました。

 長かったなぁ。

 

 わからなかった○○は、ただのブドウ糖でした。

 糖分なんかつかったら、よけい、ベトつきそうな気がするんだけど。

 そうじゃないらしい。

 

 わたしはKさんに手紙を書きました。マミーが、どうも、具合が悪いこと。もしかしたら危ない。逢いに来てくださると、喜ぶと思う。

 元気な時の写真をたくさん入れました。あの、赤いチェックのマットの上で、すまして座ってる写真なんかも、入れました。

 

 それから、マミーは、ほとんど、少しも、ご飯を食べませんでした。あんなに、あんなに、おお喰らいの、がっぱがっぱの、あっと言うまに底までツルりのマミーが。ドッグ・フードはもちろん、ダメ。お肉をやっても、てんでダメ。

 この非常事態に、うちでは、はじめて、バタたっぷり塗りのパンもやってみた。もうダイエットなんて言ってられませんから。それでも、食べない。顔の前に出してやっても、鼻を背けるばかり。

 牛乳を、二なめぐらいと。

 鳥のそぼろの薄味にしたてたのを、ほんの、何粒か。

 それが、それからマミーが、食べた、すべてでした。

 点滴は、一日二本になり、それから、人間の起きているあいだじゅう、ぶっ通しになりました。それでも、最初は、お風呂場から出て、夜は、あたしたちのそばで寝てたんです。ベッドの上にあがれなくなってからは、あの、ピンクの毛布を敷いて。

 

 ある夜中。

 ひ〜い、ひ〜い、ひ〜い。

 ゾッとするくらい哀しいマミーの声で、あたしは、飛びおきました。オシッコでもしたいのかと思って、玄関から連れ出しましたけど、ほとんど、歩くことができない。すぐに、腰くだけになってしまう。

「やれやれ。困ったねぇ。もういいから、オシッコは我慢しないで、どこでもしたいとこでしな?」

 そういった途端。馥郁たる香りが鼻についた。

「あれ?」

 居間の電気を全部、こうこうとつけてみると。

 ありました、ありました。ベッド・ルームから、いちばん遠い隅っこに、ひと抱えのナニ。真黒で、どろっとしてて。ちょうど、ココアをお湯で練ったヤツにそっくりだった。

「……そうか、そうか。しばらくぶりだねぇ。やっと出たんだねぇ。良かったね、良かったね」

 なにしろ、我慢強いマミです。吐き戻しは何度かありましたが、こういう、本格的な沮喪は、はじめてでした。それだけ、もう、カラダがきかなくなっているんだってことは、可哀想だったけど。

「あんた、動くのタイギなのに、こんなに遠くまで来たんだね。少しでも、迷惑かけないようにって、考えたの?」

 いいんだよって。そんなに具合悪い時は、しょうがないんだから、もう我慢なんてしなくっていいんだよって。そう言ってやりたかった。

 よく見ると、部屋じゅうに、ココア色の足跡がてんてんとついていた。マミーの左の後足の指の間にも、それがしっかり染み込んじゃってた。たぶん、それが臭くて、いやで、哀しくて、それで、あんな声で鳴いてたんだと思う。

 タオルをお湯でしぼって、ていねいに拭いてあげました。

「そうだ。お風呂にいれてあげようって言ってたのにねぇ……お風呂場にいるけど、お風呂入ってないもんねぇ」

 なんだか、バホッと埃っぽく、老いの匂いをただよわせて草臥れてしまったマミーの毛を、わたしは、ホット・タオルで、できるかぎり、拭いてあげました。マミーは、とってもとっても気持ちよさそうに、目を細めてくれた。

 また、哀しい声で鳴かれるかもしれないと思ったので、そのまま、しばらく、お酒なんか飲みながら、起きてました。マミーは、あたしの足許で、バッタリと倒れたようなカタチで横になって……それは、安らかな寝姿というよりは、やっぱり、苦しくて、そうなってしまう寝かたのように見えたけど……それでも、もうあの哀しい声で鳴きはせず、そのまま、眠ってしまいました。

 

 十五日と十六日、わたしは東京で用事があったので、そんなマミーを波多野さんひとりに押しつけて、上京してしまいました。

 十七日、午後三時。中軽井沢の駅について、あたりを見回しても、エスティマがない。上野から、三時につくよって電話した時には、じゃ、迎えに行くねと言ってくれてたのに。おかしいなぁと思っていると、場内放送で呼ばれました。家に電話するようにって、伝言を受け取りました。

「ごめん。マミーが、ひどく悪いんだ。タクシーで帰って来てくれる?」

 二泊三日ぶりに戻った家には、あきらかに死臭がただよっています。

 わかるんでしょう。チャイもプーも、まーちゃんもダイスケも、なんだか、しぃんとしています。

 マミーは、もう、立つことができなくなっていました。あんなに、我慢強い、いわば、誇り高いマミーなのに、オシッコをするために、ほんのわずかな時間、立っていることもできないのです。二十四時間、ぶっ通しで点滴をしているので、お風呂場からは、出られません。

 お風呂場と、その一体は……なんともいえない、いやな空気でいっぱいでした。

 意識も、なんだか、はっきりしないみたいです。呼んでも、そっと触っても、ほとんど動きません。へんな、硬直したようなカッコで、目は、あらぬどこかを見つめたまま、開きっぱなしのまま。目の回りの、真っ白だった毛は、涙焼けで、赤く爛れたようになっています。口のまわりも、べっとりと汚れています。拭いても拭いても出てくるヨダレで、すっかりかぶれてしまっているのです。

 はぁはぁはぁはぁ。辛そうな荒い息は、オシッコの匂いがします。もう、血の中に、からだじゅうに、オシッコのモトが、すっかりいっぱいになってしまったのです。

「きのうは、四回洗濯機を回した。二度洗いすると、匂いは残らないみたいだし。だいじょうぶ、人間のヤツを洗う時には、ちゃんと、全体を水だけで洗ってから、入れたからね」

「ご苦労さまでした……」

「Kさんから、あなたの手紙がついたって電話があったんだ。こんどの日曜に来るっていってたけど……日曜までは、持たないかもしれない。なんとか連絡をつけようとしてるんだけど、今日は夜にならないと戻らないみたいなんだ」

 波多野さんは、わたしがマミーを見ていられる間に、土屋先生のとこに行って来ると言いました。

「点滴がもう足りなくなるから、貰ってくる。……麻酔も貰って来たほうがいいかもしれない」

「……安楽死ですか」

「尊厳死です」

 

 その夜、電話がつながると、Kさんは速断なさいました。

 おシゴト休んで、明日、すぐに、いらっしゃると。

 もともと、マミーを可愛がっていた、おかあさまも連れてゆくと。

「……それじゃあ、そこでモメるより、いま、言ってしまいますけど」

 と、波多野さん。

「ぼくは、麻酔を貰って来てあります。いらしてくださるのなら……そして、そうしたほうがいいと思ってくださるなら、Kさんの腕の中で死なせてやりたいと思うんですが、どうでしょう?」

 

 波多野さんは、ひどい汗っかきで、汗をほっておくと、すぐ皮膚が赤くやってしまうアトピーのひとなんですけど、きのうは、あれやこれやで、お風呂に入り損なったそうです。なにしろ、洗い場のは、デーンとマミーがいるわけですから。

「でも、今日は入ろう。マミーには、ちょっとの間、脱衣場に寝ててもらおう」

「じゃあ、新しいタオルを敷いてあげよう。……さ、マミー、おいで」

 腕をからだの下にさしいれて、もちあげようとしたとたん。

 はうあん、はうあん、はうあん、はうあん!

 マミーが、悲鳴をあげました。

 きいたこともない、すごい声。あの、ウンチしちゃった夜の、ひーんよりも、もっともっと、すごい声。

「マミー、マミーどうしたの、だいじょうぶよ。ちょっとだけ、ちょっと動かすだけだから。痛くしないから」

 はうあん、はうあん、はうあん、はうあん!

「……誘撃音だ……」

 振り返ると、波多野さんが、なんだか白い顔をして、立っていました。

「ユウゲキオン?」

「ああ。……攻撃を誘発する鳴きかたさ。群れで暮してる犬は、この声をきくと、たちまちみんなでいっせいに掛かって、殺してしまうらしい。昔、ムツゴロウさんの本で読んだことがある。

 弱った犬が、誘撃音をたてたとたん、生後二ヵ月のこいぬまでふくめて、残りの犬全部が襲いかかって、一分もたたないうちに、ボロボロにしてしまったって」

「…………」

 ユウゲキ音をたてた時に、洩しちゃったのか、マミーの敷いてた、あの大事なピンクの毛布には、またしても、ココア色の染みがついちゃってました。

 結局、抱き上げることができずに、そのままの位置で、毛布とタオルだけをひっぱって取り替え(「はうあん、はうあん」。ひとしきりきかされましたよぉ)、人間たちは、湯舟の内側で、できるだけ跳ね散らかさないように、シャワーをつかうことにしました。

 眠ってる犬の横、すっぱだかで浴びるシャワー(ま、そりゃ、そーだ。服着てシャワーってほうが変だが)。なんだか、横を向けません。じーっと、マミーを見ながら。

 てん。……。てん。……。てん。……。てん。

 点滴の、落ちるリズム、見つめながら。

「マーミちゃん。明日、Kさん来るよ。逢えるよ」

 わたしはシャワーを浴び終え、マミーのお尻のあたりを、そっと洗ってやりました。

 

 翌朝は、いつもネボスケの波多野さんも、早起きをしました。ヒトが来るわけですから、少しは、家を片付けないとみっともない。掃除機をかけたり、洗濯物を陰のほうに干したりし。

 冷蔵庫がからっぽだったので、ツルヤ(スーパーです)などに行って来て。

 最後の点滴を取り替えました。また、詰ってしまっていて……もう血が、普通じゃなくなっていて、すぐに詰ってしまうのです……さしなおすのに、三十分もかかったような感じでした。

 マミーの前肢の、毛がりのしてある部分は、マヤク患者みたいに、針あとだらけになってます。すっかり静脈注射に慣れた波多野さんでも、何度も何度も失敗します。やっと静脈をみつけて、針から血が出てくるとこを確認しても、それを管につなぐまでの間に、もう詰ってしまうのです。そこで大丈夫でも、こんどは、点滴のスピードを調節しているうちに、また詰ってしまうのです。

 あの、便利なプラスチックみたいな針でも、奥まで通すことができません。ほんの先っちょだけひっかけた状態なら、ちゃんと届いているのですが、それ以上、入らないのです。たぶん、もう、血管が、むくんじゃってるか、モロくなっちゃってるか、そんなようなことなんでしょう。

 先っちょだけでは、また、すぐ取れてしまいます。波多野さんは、根気よく、何度も何度もやりなおしました。あれは、何度めだろう、十六回めかそこらじゃないかな。ようやくなんとか繋がり、また、あの、一秒に一回のリズムで、てき、てき、てき、と雫がしたたるようになりました。

 ホッとしたけど。

 この次は、もう無理じゃないかな。

 そう思い。

 この次は、たぶん、ないんだ。

 そんなことも、思いました。

 

 この先は、あんまり詳しくかきません。

 マミーは、死にました。

 いいえ。わたしたちが、死なせました。

 KさんとKさんのおかあさんに、そっと触れていてもらいながら。点滴の管の途中に、獣医さんからもらってきた麻酔薬の注射器をつないで。

 数十秒もかかりませんでした。

 波多野さんは、まるで、ほんものの獣医さんみたいに、落ち着き払っていて、穏やかな様子でした。けれど、Kさんが、遺骸を入れる段ボール箱を取りに戻ったすきに、何も言わぬまま、動かなくなったマミーの鼻に小さくキスをしました。

 あのおデブだったマミーは、十三キロかそこらになっていました。痩せてしまったからだの中には、驚くほどたくさんのオシッコが残っていて、そのままでは、車に乗せていれてゆくことができません。波多野さんは、無言のまま、マミーを抱きかかえて、することのできなかったオシッコを、いっぱいいっぱい、させてやりました。

 Kさんたちは、マミーを、連れてかえって、火葬にしてあげる、と言ってくださいました。

 段ボールの中に、あのピンクの毛布(もちろん、あの、最後のヨゴレは洗濯して、乾燥機で、しっかりふわふわにしてあげましたとも!)をしいて。Kさんが、持ってきてくださった、真新しい、ピンク色の花柄のタオルケットに包まれて。

 マミーは、それはそれは久しぶりに、しずかに安らかに目を閉じて、ほんとに、文字通りに、眠ってるみたいに、横たわっていました。鑑札とHATANOのネーム・プレートを外した、ピンクの首輪。庭の花をいくつか、入れてあげました。まっ白いペチュニアと、真っ赤なサルビアと。

 薄青い、ワスレナグサも。

 

 その夜、波多野さんは、お酒をいっぱい飲みました。わたしは、先に寝てしまったので、どんな様子だったのか、ちゃんとは知らないけど。朝になったら、空っぽの瓶がいっぱい、転がっていました。

 その次の朝、波多野さんは、すごく久しぶりに宿酔いで、なんか暗くて、なんか怖くて。ちょっとつつくと、破裂してしまいそうな感じでした。

「泣いちゃえばいいのに」

 わたしが言っても、

「そんなんじゃないんだ」

 くちびる、ヒクッとさせて、笑うばっかり。

 

 こういう時、わたしは思う。

 男のひとって、大変だなって。

 わたしは、いつだったか、わぁわぁ泣いて、涙ぼろぼろ流して、それで、ある種、自分でもあんまり冷たいんじゃないかと思うくらい、スッキリとしてしまったりしてる。

 だいたい、そうでなくても。

 わたしは、自分のお腹を痛めた(えっ?)チャイやプーに比べて、マミーのこと、なんとなく、おミソにしてたと思う。それが何より証拠には、チャイやプーには、歌がありますが、マミの歌って、ないんだもんね。

 それを、波多野さんは、とっても気にしていて、できるだけ、みんな平等になるように、あたしがチャイやプーをかわいがる時には、ワザとのように、その何倍もマミーをかわいがっていた。

 食事は、ちっとも、マミーの望み通りにしてやれなかったから(アトになってみると、こんなに生命が短いのなら、もう、好きなもの、贅沢なもの、何でも食べさせてやれば良かったんだけど……知らなかったもんなぁ。ダイエット、させなきゃいけないって、思い込んでいた。だから、痩せ出した時には、やったね、わぁいって、喜んでたのに)。

「ああ、マミーはかわいい。なんてかわいいんだろうねぇ」

 ことあるごとに、撫でたり、話し掛けたり。

 波多野さんは、ほんとうにいっしょうけんめい、マミーを愛したと思う。いっしょうけんめいなんていうと、『ほんとは違うのに』無理してそうしてたみたく読めるかもしれないけど。そうじゃなくって。

 縁あって、家に来た子だから。

 大事で大事で。しょうがなかった。

 かわいくってしょうがなかった。

「マミーって、どことなく、不憫だと思わない?」

 まだ、元気なうちに、言ってたことある。

 十才にもなって(人間なら、もう四十とか、五十とかでしょう)、知らないウチにやって来て、それまでとぜんぜん違う生活に、無理に、慣れなきゃならなかったのに。それでも、こんなに、自分を信頼してくれる、こんなに頼ってくれてる。それが、健気で、あんまり健気で、なんだか、痛ましくなってしまう、って。

「でも、マミー、幸せだよね?」

 そうだよ。そうだよ。

 山の暮しも知ったし。チャイくんやプーちゃん、まーちゃんやダイちゃんと、毎日遊べたし。

 幸せだったよ。きっと。幸せだったよ。

 

 いつだったか、ふたりで、プルーンを食べていると、波多野さんが言いました。

「変な話だけどさぁ、これって、マミーのおモラシの色に、似てない? ……なんか悲しくなっちゃうなぁ」

 いつだったか、シャケのアラ汁を食べていると、波多野さんが言いました。

「ああ、豆腐だ。マミーが、嫌いだって言ってた。思い出しちゃう」

 

 モノを大事にする、たいがいのモノは、ほんとうに使えなくなるまでなかなか捨てない波多野さんが(なにしろ、わたしが、あの夜中のマミのはじめのウンチ事件の時に、ホット・タオルにしたタオルを捨てたと言ったら、『もったいない、洗えばいいのに』と言ったひとですからね)、マミーのお散歩紐と、胴輪を、捨ててしまおうと言いました。

 捨てました。

 ピンクのタオルは帰したし、あの大量の抜け毛は、小鳥さんたちが、少しずつ、運んでいってくれます。

 彼女の名残りは、少しずつ、消えてゆきます。

 波多野さんが、捨てようとした、あの、マミーのプレート……MAMIE HATANOになってる、迷子ふだ。あれを、わたしが、こっそり隠して、とっておいただけ。

 

 ………………。

 

 マミーの話は、これで、だいたい終わりです。

 たった二ケ月半しか、うちにいなかったなんて、とっても思えない。

 

 最後に、いくつか。

 

 土屋先生と、電話で話した時。

「ほんとうに、よく面倒を見てあげましたね」

 土屋先生が、言ってくださいました。

「なかなかできないことをなさいました」

 そう、言ってくださいました。

 

 目白のお父さんと、電話で話した時。

 彼が、Kさん親子の前では、ほとんど、感情なんてないみたいに冷たいヤツだったって話をした時。

「人生なんて、半分は芝居さ」

 お父さんは、言いました。

「あれは、小さい時から、そういう芝居ばかりしていた。

 夫婦で、わかってればいいんだ。それでいいんだ」

 

 ほんとの、最後に、ひとつ。

 

 この原稿の途中(ちょうど、ダクタリさんで、腎臓ウンヌンの宣告を受けるあたりを書いてた時)で、チャイくんが、ひどく吠えました。

 庭で、波多野さんが呼んでます。

 見にゆくと。

 どこかの犬さんが、うちの庭に迷い込んで、動けなくなってました。鶏の囲いのネットをぶっちぎったものの、それが、枯れ枝に、さらには、電線にひっからまって、とれなくなったわけです。

 おかげで、鶏さんたちが、みんな、あちこちに散らばってしまっていました。

 チーズと、犬ジャーキーで気分をよくさせておいて、ネットを切りとり、解放してやりました。首輪のついてる、秋田犬みたいなヤツです。まだ、チビなのに、ずいぶんコロコロ太っています。

 前肢のガニ股具合が、はっきりいって、マミーに似てるったらありませんでした。

 首輪には、チェーンが繋がってました。どうも、チェーンを引き千切って、遊びにでて、そのまま、迷子になったみたいです。

 波多野さんが警察に迷子犬の電話をかけている間、わたしは、なんとか、ベランダに上げようとして、奮闘していました。

 すると。

 車の止る音がして。

「メリー。メリーちゃーん」

 おばさんがひとり、エスティマの横からのぞきます。

「この犬ですか?」

「あっ! まぁっ、メリー・ メリーちゃんだわ! 良かった、良かった」

「からまって、動けなくなってたんです」

「散歩の途中で、いなくなっちゃって。声はするのに、呼んでも戻って来なかったもんですから」

 かくして。

 メリーちゃんは、無事に、飼い主さんの元に帰りました。わたしたちが、メリーちゃんと交流したのは、わずか、五分ていど。

「もうちょっと、後から捜しに来てくれれば良かったのに」

 なんて、波多野さんは言ってましたが。

 

 あのう。メリーちゃんの飼い主さま。

 どうせ首輪をつけるなら、飼い主のひとの名前と電話番号ぐらいは、わかるようにしておいてくださいませ。どうぞよろしく。

 それから。

 実は。

 うちの鶏が。一羽、どっか行っちゃったんですけど。