yumenooto uminoiro |
N2
わたしが住んでる星海町は、日本でいちばん海から遠い。 人口が一万人にちょっととどかない小さな地味ないなか町だ。 きっと、世界のアチコチに、こんな町がある。 十何年も同じ場所に暮らしているので、地元のたいがいのひとは見かけたことぐらいあるけど、顔と名前が一致しているひとばかりじゃないし、ちゃんと話したことあるひとはそんなに多くない。みんながみんな、私のことを知ってるわけでもない。一万人ってそんな数。 そんな数分の一のわたしが、ここにいる。
世界じゅうのひとびとがみんな幸福にならないと自分は幸福になれないと思いつめてしまった詩人がいた。誰か教えてあげれば良かったのにと思う。そんなのぜったい無理だって。どんなにやさしくても、才能があっても、みんながあなたのことを大好きになってくれたとしても。分身の術がつかえない残念なヒーローみたいに、あちこちにに同時多発的に発生する問題や危機に、対処なんかできない。
だから、 「世界じゅうを自分ルールで仕分けして、自分がオーケーだと思うものだけにしたい」 と考えるひともいて、 「そうなっちゃえば、いいじゃん」 と思うわけで、 自分にとって必要でないものや足をはっぱる邪魔ものやましてまっこうから楯突くものは 「滅ぼしちゃいた」 くなるのだ。 自分の意見や感覚がぜったいで、それがなんといってもいちばんで、それが間違ってるわけがなくて、だから、みんなが自分と同じになればいい、そうなって当然だし、そうなったらみんなハッピーなのに、そうならないのがおかしい、そうなろうとしないのはわるいやつだ、と思うひとたち。 多様性を大事にするひとは、他人と意見が一致しなくても平気で、しかも、一致しないことについて話すのが好きだ。いくら話しても一致しないんいだけど、相手がどんなことをどう考えてるのかわかれば、それは意味のあることだと思うし、なんらかのことがらについて意見が一致しなくたって、ちゃんとそれなりに仲良くやっていくことはできると信じる。 意見が一致しないままではどうも落ち着かないひともいる。なにかがずれたり違ったりしていたら、どっちにつけばいいかを迷ってしまう。そりゃあ、正しいほうにつきたい。でも、正しさって、なに? より多くのヒトの賛成? 偉いひとのひとこと? 論理的な整合性? 権力や戦力の大きさ? 歴史や伝統の長さ? 前例があるかどうか? 時の運? サイコロがどっちにころがるか? なんでもいいけど、とにかく、一致しないままで仲良くなんてぜったいできない。旗幟鮮明にすることが人間としていちばん大事なことだと思う。そういうひとは、多様性にはほんとうのところ我慢ならない。
時間のない世界で、私は見た。 スミカと、ウユルと、ロクとセイと、他にも誰かいたと思うけど、そういうひとたちといっしょに。 いろんなひとの夢を
見た――。
人間の遺伝子は縄文時代とかの昔からほとんど変わってなくて、二百人ぐらいが定員の集落の規模に適応している。外部とはめったに接触がない。ごくごくごくたまに、よそから旅人が来たり、商人が来たり、盗賊が来たりするし、こっちからも出ていって二度とかえらないひとも出現するけれど、「ふつう」のひとは、そうではない。その集団の中で生まれて、その中で立場とか役目とかを得て、その集団から一度も出ないまま死んでいく。きのうとそっくりな今日をおくりながら。天変地異とか、よほどのことがなければ。 そういう一生の中での「最適」を過ごすようにできている。 顔見知りのひとばかりの中で、一生つきあう、ご先祖さまの代からずっといっしょで、子々孫々ずっといっしょであるだろうひとたちと「絆」がある。それは切れない。はずすことができない。 その小さな集落の外に、まったく習慣なものの考えかたが違っているひとたちがいて、思いもよらない世界が広がっているとしても、関係ない。 そこでの常識がたいせつで、よそでどうであっても、関係ない。 その中にいるかぎり、つねに、自分たちが正しくて、当然で、なにか異論をとなえるとしたら、それは相手が間違っている。
でもグローバルでインターネットな世の中になって、地球は丸くてたったひとつで、世界じゅうの「小さな集落」はみんな数多ある「千差万別の集落」のうちのたった一個にすぎないということが常識になった。みんなわかった。知らされてしまった。知ってはいる。知ってはいるけど、でも、遺伝子は納得してない。それでも、目の前のいまが、このここが、自分の居場所が大事。家族が大事で、地域が大事で、組織が大事で、絆が大事。自分が生まれながらいつの間にか所属するようになった小集団の中で、より良い立場を確保したいし、褒められたいし、その集団の利益になることをしたい。同胞つまり同じ集団の構成員のひとたちの理解や評価がとにかく欲しい。どこかよそに所属するひとたちに何か言われても、身内に言われることほどには気にしない。だって、利益はしばしば相反するし、身内を大事にしないこと、「裏切る」ことが、いちばんいけないことだから。
せかいがどうだろうと よそのひとたちがどうだろうと 目を閉じればいい しらない 関係ない
自分にとっての「ぜんたい」の範囲をなまじひろげてしまうと、いちばん近い家族とか地元の身内の利益をそこなう。 「地球の未来」のために、自分の周囲のひとたちに犠牲や我慢をしいるなんて、無理。 「未来のこどもたち」のためには、誰かそのこどもたちの身内ががんばればいいのだ。 いま、つつがなく暮らしていくことが。 いま、豊かに楽しく過ごせることが。 いま、身内がみんな安全で幸福であることが。 いちばん嬉しい、いちばん望ましい、いちばん誇らしいことだかたら。 みんな、そこに向って進んできた。
世界全体の難題に立ち向かうなんてのは、誰か、特別な、こころざしのたかい、うんと偉いひとがやることだ。 どこか、よそのひとがやることだ。
表舞台に立つひと、表舞台で真ん中に立ってスポットライトをあびているひとが、やること。
そんなところに私はいない。 わたしはほんの端っこにいる。 観客席にいるのかも。 もしかすると、袖の暗がりにいてスタッフの黒いシャツを着ているかも。 がくやで番をしてるかも。 そもそも劇場の外にいるほうがずっとありそう。 劇場のある町の別の区画で仕事をしているかも。劇場からの生中継が壁の大画面に映し出されているカフェで、厨房で働いているか、できた食べ物を素敵なデートをするカップルに大急ぎで運んでいる。感じのいい笑顔を浮かべながら。 その同じ劇場からの生中継録画のレンタルDVDを流すモニター画面の前でポテトチップスを箸でつまみながら(だって手がよごれるし、箸ならあまりはやくたべすぎない)感動に涙を流していて、ともだちにこれおすすめだよってLINEしたほうがいいかもって考えいる。
まんなかにいない。 はしっこにいる。 わたしは、はしっこ。 わたしたちはそれぞれの世界のあちこちのはしっこにいる。
でも。
夢
夢はつながってる。
ときどき、はしっこが、まんなかになる。 はしっこもまんなかもなく、ぜんぶみたいになる。 世界中みたいになる。 誰かよそのひとがつくったものとか、ふと目を止めた葉っぱの一枚に、やどっている、感知してしまうなにかに、すっごく心をゆさぶられたり、ああなんかいいなって思ったり、ほんとうにそうだって思ったり。 共感したり、
りいいいんんんんん
同じ音で鳴る二本の音叉のように震え震わせ震わせられ共鳴する否応なくひとつになる
素敵な一体感
「もしかすると」 どこかにわたしの物語があるのかもれない。
舞台のまんなかで輝いているあの子も、わたしとそんなに年齢がかわらない、ああなる前があって、そのころはどこかの小さな町に生まれた、ただのごくふつうの女の子だったのかもしれない。 どうしてあの子はあの子になれて、わたしはわたしなのか。 わたしだって、なんとかすれば、なにかになれるのかもしれないと。
わたしはどうすると私になれるのだろう。
かわいているひとに水を
夢を歩く
一人前のひめに
わたしはなりたい
ソファに眠る那智くんはもういつもの可愛い那智くんだ。 「どうしてさっきは、狼男みたいなのになっちゃったのかな」 「智天使§ケルブ§じゃないか」と、父。「無意識のうちに、なぞらえたんだろう。みずからを。エデンの番人に」 「なりたかったんだと思うわ」とママ。「ずっと抑えてきた自分が、出ちゃったんじゃない? マハネを誰かにとられそうだって思って焦ったとか、長年のライバルである槙野さんまできちゃったし」 槙野晴彦くんは無言でお茶をのんでいる。庭を眺めてしみじみしている。癒恵の群落に感動しているみたいだ。 「『気をつけるが良い、娘よ』」お代わりを要求してカップをさしだしながら真名瀬がいう。「『男はみな魂にリュカントロープを飼っているのだから』」 「その声やめて」 わたしは鼻に皺をよせる。 「卑怯だよ」 「そうだ。いいかけてたことを思い出した。姉のヒロだけど。俺、みたんだよ。わりと最近……あーちゃちゃっ!」 ママが顔をあげちゃったもんだから注ぎたしてあげていたお茶をうっかりかけたのだ。 「どこで」 「TV」 「えっ、てれびなの?」 「震災のさ。復興の。なんだっけ、仮設住宅? みなさんいまこんなふうに生活していらっしゃいますみたいな番組にうつってた。ちゃきちゃきひとの面倒みて、頼れる姐さんって呼ばれてた」
layla
吉里吉里だ。
それはきりきりだ。レイラは直感した。 そうだったんだ。ヒロさんは、あのあと、あの町にいったんだ。もどっていたんだ。きっと、いろいろなことが気になっていたんだろう。マツエさんとか。フクちゃんとか。みんながあれからどうなったのか。もしかするとお墓をつくりにいったのかもしれない。 そこで、そのまま暮らしていたのか。知らん顔して。たまたま流れついてきたみたいな顔をして。商店街のひとや、町のひとに混じってくらしていたのか。 そして、……そうだ。この前、あの町には、またとんでもない大きな悲劇がおそった。わたしたちの事件なんかほんのちっぽけなことにすぎないと思えるほどの、猛烈なことが。 なぜ、あそこだったのか。 なぜ、あの海だったのか。 なぜ。
――ずっと、ずっと、思ってた。 海にはもう二度といきたくないと いろんなことを思い出すから。 まして娘を連れていくなんてできなかった。マハネは――アキコは――あそこにいたのだから。ほんの赤ちゃんだったけど、もしかすると覚えているかもしれない。記憶のどこかに刻みこまれているかもしれない。なにかが。景色とか、音とか、匂いとかが。 思い出してしまったら、かわいそうすぎる。だからぜったい、ぜったい連れていけない。 どこの海だって危険だけれど、まして、あの海は。 あの夏は。 封印しておかなきゃならない。 そう思っていた。 ただでさえそうだったのに。 地震があった。津波に、ひとが、町がのみこまれた。 わたしの好きだったあの町がたいへんなことになって、大勢のひとが悲しい目にあって、とても困っているのはわかっていたのに。怖かった。逃げていたかった。直面できなかった。 あの砂浜に、なにがおきたか。 あの海が、どんなになってしまったか。 知りたくなかった。 でも。 めをそらしちゃいけなかったんだ。 そこに、ヒロさんがいるなら。 いま、まさにいて、生きているなら。 いまいけば、会えるなら。 ――会いたい――。 「ね、行こう! ママ」 マハネが言っている。 「そこにいってみよう。ヒロさんに、会いに行こう!」 「そうだな」 ポチも言った。 「なにか助けがいらないか、聞かないとね。そして、もし、うちに来てもいいっていってくれるなら」 「そうだよ! 迎えにいこう。ここに来てもらおうよ!」 マハネは言う。 「家族なんだから!」
行こうじゃなくて、還ろうかもしれない。とレイラは思う。
あの海に。
mahane
わたしが住んでる星海町は、日本でいちばん海から遠い。 オーベルジュ・ル・ヴェルジェは、もうちょっと宣伝したほうがいいのかもしれないと。 これからは、紹介がないとだめとかいわないで、お得なランチメニューとかつくって、どんどん来てもらいたい。 星海町のひとたちにも。学校のみんなにも、かまえずに、気軽に来てほしい。 てはじめに、パーティーをしよう。
夢を歩く。 水をそそぐ。 苗を、植えよう。 癒しと恵みの苗を。 やがて芽をだすだろう。 育つには少し時間がかかる。なかなか成長しないかもしれない。雨が降らないとこまるし、お陽さまが照らないと困る。途中で枯れてしまうかもしれない。 けれど、もし、だめでも、あきらめずにまた植えればいい。 何度も。何度でも。 やりなおせばいい。 生きているかぎり。いのちの最後のときまで。 夢はつづく。 魂は消えない。
あの白い水中めがねだって眠っている。 きれいな静かな海の底で。 それは、わたしがじぶんのちからで潜って見つけにいくのを、きっと、きっと、待っているのだ。
おわり
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