ナポリのイベントにちょこっと参加させていただきました |
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Fabio Lastrucci ファビオ・ラストルッチさんからご質問をいただきました。
イタリア語←→日本語の翻訳はMassimo Soumare'マッシモ・スマーレさんです。
内容
1)久美さんの、ファンタジー・SF文学に対しての個人的なビジョン(見方) で、それについて少し話していただけませんか? 物語はすべて空想の産物であり、たくみな嘘であるという意味では、広義のファ ンタジーでしょう。現在のふつうを舞台にしない物語のうち、物理法則や生物学 などについて科学的に「ありうるような雰囲気の」嘘しかつかないのがSF。それ 以外(ありえないことをおそれないもの)が、狭義のファンタジー。
科学はずいぶん発達しましたが、人間の脳のしくみの全容はいまだに解明され ていません。たとえば、夢や臨死体験、宗教的あるいは恋愛的陶酔、ドラッグで トリップしたひとや統合失調症のひとが「リアルに体験」するものなどには、不 思議な魅力がある。文化、習慣、民族、性別、年齢、実世界での境遇などがまる でちがった他人同士がなぜかよく似た「体験」をする。自分では体験したことが ないひとにも、その体験談は魅力的ですよね。わくわくするものだったり、スリ ル満点だったりする。こういうことが起こるのは、たぶん、特殊な状態にある脳 が特定の反応をするからでしょうが、同時に、もろもろの限界に縛られて孤立し ている肉体より、こころのほうが可能性が大きいこと、「ここ」にも「いま」に も限定されないことを示している。
傑作といわれるファンタジーは、そういう意味で、すごくよくできた夢に近い ものなのではないかと思います。退屈な日常からつれだし、煩雑で瑣末な事実の 裏にあるピュアな真実を実感させてくれるような夢です。ファンタジーを読め ば、肉体は安全圏においたまま、未知の世界を冒険することができます。
そして、ファンタジーを共有・共感できたら、仲良くなれる。互いの都合や過 去の因縁、思想的傾向などの枠をこえて、理解しあえるし、尊重しあえる。オタ クにとって、「祖国」とはファンタジー世界ぜんたいのことだし「ぼくたち」と は全人類、いや、ひょっとすると、知的生命体全部のことですから。いやぁ、 まったく、ファンタジーって素晴らしいですね。 2)こちらのイベントなら、俳優は短編を朗読することですが、日本でも幻想文 学の小説を朗読されることがありますか? それについて短く話していただけま せんか? 残念ながらほとんどありません。幻想文学に限らず、日本では、作者や俳優に よる朗読の需要は多くありません。そのかわり、比較的なんでもセッセとドラマ 化したり、アニメ化したりします。日本人は、視覚的民族なのかもしれません ね。おとなしくジッと座って耳で聞くことのみを愉しむ習慣があまりないようで す。深夜のラジオ放送などにはわずかに朗読の時間があり、日常的に長距離を運 転するひとにファンが多いようです。
ただ、SF大会には朗読のコーナーがもうけられたことがあります。外国のイベ ントの真似ですね。作者とファンが間近にふれあうチャンスになります。
また、フジテレビというテレビ局が、定期的におこなっているイベントで、人 気アナウンサーたちによる朗読と演劇をミックスしたものが披露されることがあ るようです。 3)こちらのイベントなら、若い人向けの新人賞みたいなものも行い、参加する 少年たちは、ラストルッチさんたちが指示したエッセイ(要素でしょうね)に従 わなければならない短編を執筆するのです。 久美さんは、それが若い人に幻想文学を知らせるための良いシステムだと思い ますか? 良いと思います。若い書き手にとっては、自分の作品がひらかれたものである のかそうでないのか、つまり、ただの自己満足なのか、他人におもしろがっても らえるものなのか、プロとして通用するレベルのものなのかどうか、判断を仰ぐ チャンスになりますから。
生まれついてのモノカキは、ひとが読んでくれようとそうでなかろうと書かず にいられないものですが、発表するチャンスもないものをコツコツ書きつづける のはたいへんです。パトロンがいて生活は保証されていたとしても、マルセル・ プルーストでも悩んでいたぐらいで(笑)。やっぱり、誰かに「おもしろー い!」「もっと書いて」といってもらえないとね。
自由題材ではなく、課題があるというのも、いいと思います。商売としてモノ を書いていくのなら、クライアントの依頼にしたがわなくてはなりませんし。そ もそも、書くのが好きなら、多少の「縛り」があるぐらいはなんでもない。ライ バルと技を競えますし、挑戦意欲が刺激されるでしょう。
ちなみに新人賞は日本にもたくさんありますが、現在は長編応募がほとんど で、入選作は直ちに出版されます。ほんとうのところ、出版点数は多すぎ、作家 も余り気味で、競争は激烈熾烈。マンガ作品もほんとうに多数あり、こちらは翻 訳もけっこうさかんだったりして、小説はすっかりおされぎみです。日本の小説 は(英語作品などと違い)翻訳されることがとても少ないですから。ただし、小 説がマンガになったり、アニメ化になったりすれば、イッキに世界が市場になり ます!
話はそれちゃいますが、実はわたくしめも、『ドラゴンファームはいつもにぎ やか』という自作ファンタジーが現在ウェブでマンガ連載中なのです。この勢い でアニメになればいいなぁ、と思っております。もしそうなったら、イタリアの みなさまにも愉しんでいただけるかも。そうなるよう、祈ってやってくださいね〜! BACK TOP