5月16日luitomoさまからのおたより
はじめまして、久美沙織様。luitomoと申します。
コラム「創世記」を読みました。そして、どうしても、意見を言いたくなったので、メールさせていただきます。
感想スレッドの方に書き込もうかとも思いましたが、どちらかというと“文句”に近い内容ですので、(感想目的のスレッドに書き込むのはやめて)メールを送ることにしました。
意見を言いたくなったのは、第十二回の、「蒲生邸事件」のことについて、なのです、が。
本題に入る前に。あらかじめ断っておきます。
私は、“作家・久美沙織”のことが好きです。
小学生の頃に「精霊ルビス伝説」をよみました。途中でやめることが出来なくて、真夜中まで読みつづけ、最後まで読んでしまいました。「ヤベヤベさんかっこえー! ディアルトさんかっちょえー!」と心の中で何度叫んだことか。
その後、「小説ドラゴンクエスト」の4と5も読みました。4では、小説の中の声が実際に聞こえる(!)という体験をしました。5は何度も読み返しまして、一部は暗誦できそうです、ハイ。スミスが、「ふ、ふたりぶん嬉しい!」って喜ぶところとか。
ですから。ただ“単に文句が言いたいがために”このメールを送るのではない、です。
どちらかというと、“自分の好きな作家さんに、自分が認めているものを同じように認めてほしいから”このメールを書いています。
どちらにしても身勝手ですね。でも、できれば、「こんな意見もある」という風に受け取っていただければ嬉しいです。
本題。宮部みゆきさんの「蒲生邸事件」のことについて。
私、「創世記」の第十二回の、ある部分を読みながら「いやそれは違うでしょー?!」と叫びました(心の中で)。
この部分です。
>第二に、彼が、ババアの彼女にあえなかったことにガッカリしているよりもむしろ若くて彼女にそっくりな孫がきてくれたことに喜んでいるようにしか見えなかったこと。
自分の感性がおかしいのかと思って、母に「お母さん『蒲生邸事件』覚えてる? ラストでさ、主人公喜んでるように感じた?」と尋ねました。母の答えはNOでした。
さらには本を持ってきて該当個所を読み返しました。
あれは、絶対、喜んでないですよ! 戸惑ってますよ! ボーゼンとしてますよ!
で、その後で、がっくりしてますよ! 遠い目ですよ絶対!
あれを“喜んでいる”と受け取るのは、ちょっと、なんというか。もう、「違う!!!」と、叫んでしまうのです。
たぶん、この受け取り方の差は、「結ばれてラブラブハッピーエンド」を期待していたかどうか、も関係しているのじゃないかな、と思います。
私は、そういう終わり方は期待していませんでした……というかむしろ、想像もしませんでした。主人公は一度、「一緒に平成の世界に行こう、じゃなかったら僕がこっちに残る」ってふきさんに言って、で、拒否されてますよね。あれでもう、主人公はフラレたもんだとばっかり思っていたのです。
母の意見は「ふきさんは主人公のこと、好きは好きなんだろうけど、割り切っているというか……別の世界の人、ということで納得している感じがしたな」というものでした。
どちらにしろ、「平成の世で再び出会って結ばれてうんぬん」という結末は想定していないわけですね。だから孫娘が出てきても、そんなに衝撃は受けません。(ふきさんと主人公が二度と語り合えなかったのは、さびしかったですけどね……)
でも、「結ばれるべきだ」と思って読んでいる方は、孫娘が登場した、その時点で裏切られたような気持ちになってしまうのだろうな、と。そう思いました。
それと。
そういう……“愛”の結末を想像するには、ちょっとタカユキさんとか平田さんとかの男性陣が出張りすぎだと思うのです、後半の展開。“まがいものの神”とか、あの辺りの話ですね。私は、「蒲生邸事件」のメインはそっちの方だと思って読んでいたのです。ふきさんはむしろおまけ。メインは平田さん。(と、黒井の手で運命が変わった蒲生大将とその家族。)
だから、ラストで「時を越えて結ばれた愛!」とかやられたら、私はかえって拍子抜けしてしまっただろうな、と思うのです。
ここまで、自分の思ったこと、久美様に伝えたいこと、を書いてきましたが。
小説の受け取り方というのは感性の問題ですから。何を書いても無駄なのかもしれません。
でもやっぱり、自分の好きな小説を書いている人が、自分と全然違う考え方をしている、というのは悲しいです。本当に自分勝手ですけれど。でもやっぱり、分かって欲しい、と思ってしまうのです。
なんだか、うまくまとまりません。ごめんなさい。もうやめます。
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
久美のお返事
こんにちは。メールをありがとうございます。
おっしゃりにくいことを、おっしゃっていただいたことに、まず感謝いたします。
イヤ、なにしろ、わたしはあまりのショックに、あの本には二度と手を触れておりませんので、まったくの「オボロゲな記憶」の「印象批評」なのでございます。
ですから、もしかすると……ていうか、たぶん、ハイ、認めます。事実は、「冷静に普通の感覚のかた」が読むと、戸井さまや戸井さまのお母上さまが読まれるように読まれるのでしょう。
SF菌に異常に感染したわたしのような極少数の「ビョーキ」持ちだけが、「強いアレルギー反応」を起こし、たぶん、そこまで読んできた内容(とその感動)すら「ふっとんで」しまった、のではないかと思います。
というわけで、
「……なのにそんな無責任なことを言ったのかおまえはーっ!」
と、ちょーつっこまれそうなのを覚悟で申しますが、
問題は典型的な「SFガジェット」が出てきた場合、わたしが物語の重心をどうみてしまうかだったのではないか。
タイムスリップ
という、これ以上ないほど典型的な「SF伝家の宝刀」が設定として出てきた時点で、
他のかたはどうであるか、多くのかたがどうであるかはともあれ、
「このわたし」は、
きっぱり「タイムスリップもの」として読んでしまった。
だから、「時空に隔てられた恋人たち」の運命が、他のなにをおいても一番大切になっちゃったんですね。
そこで、強い違和感を感じてしまって、他が全部白紙になってしまった。
わたしは「どんなSFでもSFならそれだけでモンクなしにひれ伏したいほど好き」なヘンタイなんだと思います。
正直いって、ミステリとか、恋愛小説とか、歴史小説とか、官能小説とか、そういったさまざまなほかのジャンルには、特にそーゆー激しく抑え難いキモチは持っておりません。
ファンタジーには、ちょびっとあるかな。「正調」本格ファンタジーには、ちょっとヨワイ。
他は、読んでおもしろいものはおもしろい、イマイチそうでないものはそうでない。それだけ。「ある条件をみたしているかどうか」へのコダワリとか、ないです。
たとえば、ミステリ界でも、「本格」かどうか、という点にものすごく強いコダワリやら信仰やらを持っておられるようなひとがありますから、これはもう、ひとそれぞれでしょう。
なぜかわかんないけど、「SF」は、わたしにとって、主観的に選び取って消費したり利用したりするものではありえない。そんなこと考えるのも畏れ多いほど、神聖おかすべからざるものなんですね。だから、誰かがそーゆーことしているのをみると、「ウッ」ってなってしまう。
たぶん、SF信者なんですよ。
でも、これは、圧倒的にマイナー。
「多数決」でいったら「負け」にはいるほうの少数派です。
宮部さんは、たぶんとっても誠実に、真剣に、あのお作品を書かれたのだろうと思います。
ミステリとして、あるいは、正確な時代考証がなされた歴史小説(つまり伝奇ファンタジー系ではないもの)として読み、タイムスリップはあくまで「工夫のひとつ」あるいは「ちょっとした逸脱」だったのではないでしょうか。いや、なんだかんだ細かく分類するのは無意味なのであって、エンターテインメント小説として、よみものとして、ほんとうに素晴らしい水準でお書きになったのだし、スナオにそのように読み、そのように捕えるのが、正しい。たぶん、SFモンではない大多数のかたはそうなさるでしょう。
でも、ひねくれたSFモンの目から見ると(あくまでビョーキの、特殊な反応をしてしまうやつの目から見ると)それは、タイムスリップという、わたし(たち)にとって、ものすごくものすごく神聖で大切なものを、とっても無造作に、安易に、あるいは乱暴に、そして商売本位に(ミステリや歴史を主眼として語るのための単なる部品や材料のひとつとして)、使われてしまったもののように見えた。
ふつうの日本人の目にはただのミミズののたくったのにしか見えないイスラーム文字で書かれたコーランを、イスラームのひとたちは「神聖」視しますよね?
知らずにでもうっかり床におとして踏んづけたりされたら、怒りますよ。
「なんてことするんだ!」って、怒鳴ります。へたすると殴りかかります。
それと同じ。
「なに」をダイジに思うかは、ひとそれぞれ。
他人のそれは、なんでそんなにダイジなのかわからない、つまんないものにしか見えないかもしれない。
ただ、わたくしめはカリソメにも「小説の送り手」でもあるわけですから、受け取り手のかたがたがどう感じるかについて、「しらねーよ」などとは言ってられません。
よく心得て理解し、できることなら、そちらに歩み寄る「べき」なのです。
じゃないと、本が売れなくて、セイカツできなくなりますから。
で、わかることはわかるんです。理解はできます。頭では。まちがいなくそっちが普通です。
そしてそっちのほうが商売的にも遊離です。
ただ、より強く激しく感じてしまうことに、どうしても抵抗できないのです。
長々といいわけかいちゃいましたが、なにかは伝わったかなぁ……。
お母上さまにもどうぞよろしくお伝えくださいませ。
luitomoさまと、お母上さまと、読書ずきなご家族のみなさまがたに、これからもステキなことがたくさんたくさんありますように!
くみ
5月30日、uitomoさまからの再メール
こんにちは、久美様。丁寧なお返事、ありがとうございます。
返信が遅れまして申し訳ありません。2週間分、じっくり、たっぷり、考えました。
それで、ですね。
お返事を頂いてから……というよりもむしろ、最初にコラムの第十二回を読んでから、ずっと感じていた違和感がありまして。それについてずっと考えていました。まだちょっとうまくまとまらないんですが、どこがポイントなのかは分かりました(あるいは、分かったつもりです)。
久美様の「蒲生邸事件」についての意見は、『タイムスリップという、SFのガジェットについて、ちゃんと考えずに適当に使ってしまった作品』ということですよね?
でも私は、「蒲生邸事件」は、『タイムスリップというものに対して、真摯に向き合い、(SF的な視点ではないけれど)宮部さんなりの答えを出して、その答えを中心に書き上げた作品』だと感じたのです。
この違いが、私の中で、『違和感』となった。
何が違うと、ここまで正反対な意見になってしまうのか。そのポイントは、きっと全部、前回いただいたお返事の中の、この段落にあると思います。
>タイムスリップという、これ以上ないほど典型的な「SF伝家の宝刀」が設定として出てきた時点で、他のかたはどうであるか、多くのかたがどうであるかはともあれ、「このわたし」は、きっぱり「タイムスリップもの」として読んでしまった。だから、「時空に隔てられた恋人たち」の運命が、他のなにをおいても一番大切になっちゃったんですね。そこで、強い違和感を感じてしまって、他が全部白紙になってしまった。
とお書きになりましたよね。
この段落。この中の、
>きっぱり「タイムスリップもの」として読んでしまった。
から、
>だから、「時空に隔てられた恋人たち」の運命が、他のなにをおいても一番大切になっちゃったんですね。
この文へのつながり。この順接、この『だから』が、私には理解できなかったのです。三段論法のまんなかの部分が抜けてる感じがするのです。 きっと、久美様にとっては、わざわざ書くまでもないアタリマエのことなのでしょうけれど。
『タイムスリップものには、「時空に隔てられた恋人たち」という要素が必要不可欠である』 こういう前提があるのでしょう。これが入れば、
>きっぱり「タイムスリップもの」として読んでしまった。
『タイムスリップものには、「時空に隔てられた恋人たち」という要素が必要不可欠である。』
>だから、「時空に隔てられた恋人たち」の運命が、他のなにをおいても一番大切になっちゃったんですね。
私にも理解できます。三段論法、成立です。
そして、久美様が「蒲生邸事件」に対して『怒りの涙に暮れ』た理由も、納得できるのです。「(私は違うけれど)そういう前提がある人ならば、そういう感想をいだくのだろうなあ」と。
私、このことに……久美様の中には、私にはない前提がある、ということに思い至ったとき、それまで感じていた違和感(ちょっと変な表現ですが)が急にスッキリしてしまいました。
自分の好きな小説を書いている人が自分と全然違う考え方をしている、というのは悲しいです。特に、具体的にどこが違うのか分からない、または『具体的にどこが』と言えないほど違いすぎる、というのは。
それが今回、久美様の考え方・感じ方の、『具体的にどこが』私と違うのか、は分かった、と思うのです。
こうやってメールを出して、お返事をいただけて、本当によかったと思います。ありがとうございました。
久美のお返事
luitomoさまさま
お返事ありがとうございます。気になってました!
余計に怒らせてしまったのかなぁ……と思っていたら、二週間ずっと考えていてくださったんですね……どうもありがとうございます!
余計な心労をおかけしてしまってすみません。
三段論法のところ、わかりにくくてすみませんでした。
「時空を隔てて再会するふたり、という、とびきり美味しいネタがあるのに、なぜせっかくのそれをもっと前面に押し出さないんだろう? もったいなさすぎる!」と感じてしまった、といったほうが良かったなといまでは思っています。
たとえば、どっか外国の南の島にいって、すてきなホテルでディナーをとることになった。
すっごく美味しいお魚が、バーベキューされたかなんかして出てきたとする。
そこで日本人はともすると「ああっ、いま、ここに、白いゴハンとワサビとおしょうゆがあればいいのに!」と、つい思ってしまったりする(ちなみにこれは一般的にそうだろう、というハナシで、実はこのわたしは本人はゴハンもおしょうゆも日本にいてすらなくて平気なほうで、むしろ異国にきたからにはエスニック系な味付を楽しみたいほうなのですが)
そこで、わざわざ異国にきてるんだから異国の料理をそのまま黙っていただいていればいいものを、
「あーあ、ごはんとおしょうゆがあればなぁ……ねー、そう思わない?」
と、大声でいってしまった。
luitomoさまのおっしゃる、『タイムスリップという、SFのガジェットについて、ちゃんと考えずに適当に使ってしまった作品』 みたいな、偏屈な断定ですね。
もともと「白いごはんやおしょうゆになんら愛着のないひと」からみれば、そんなことで不満に思われても不愉快、心外なのに違いないし、
「だったらアンタ、ずーっと日本にいればいいでしょ。せっかく旅行にきたんだもの、旅先でしか食べられないゴハンをみんな楽しんでるのに、雰囲気こわさないでよ! ソレはソレとして、楽しみなさいよ!」といわれても、いやホンマ、しかたがない。
だから
『タイムスリップというものに対して、真摯に向き合い、(SF的な視点ではないけれど)宮部さんなりの答えを出して、その答えを中心に書き上げた作品』 ……さっきの例で言えば、ホテル側としては、自分とこのシェフの自信の料理であり、材料を生かすべく最大限の工夫をして、よかれと思って、ちゃんと美味しいバーベキューを用意してくれているのに……、
文句言うなんて、おとなげないわね、第一、ホテルに失礼よ!
でしたね。
ほんまに反省しています。
『創世記』スレッドを見ていただけばわかるように、この件に関しては、全面的にわたしが短慮でバカだった、間違っていた、と既に陳謝しております。
でも、luitomoさまから、直接、再メールをいただいて嬉しかったです。
ではでは、また、もしご縁がありましたら。
くみさおり
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