生きかたの問題

 

ちょっと距離をおいて考えるためのひとつの提案。

唐突なんですけど……ゲイ(同性愛)のひとたちのことを、考えてみてください。

彼らは、ほとんどの場合、身体的・医学的に、こどもが作れないわけではありません。

妊娠する能力、あるいは、妊娠させる能力は、十分にある。なんら問題なくある。でも、かかわらない。

あくまでも「自分らしい生きかた」をすることを第一番目に考えると、いろんなことをあきらめなきゃならない。

同性しか愛さない、というのがどうしても動かし難いこと、なにより大切なことであるなら、あいにくと、こどもはできないので……こどものいない人生になってしまうことも、しょうがない、そうあきらめるより、しかたがないわけです。

(海外などでは、同性同士のカップルに結婚を認めたり、同性カップルのふたりのこどもとして養子をひきとることをゆるしてもらえるようになっていたりする場合もあります!日本では、まだそういうふうにはなっていませんし、そもそも、血統主義が強く、養子をもらうことに抵抗を覚えるひとが多いので、ちょっと事情がちがいますが)

 

ひとことで同性愛といったって、ひとそれぞれ、さまざまです。

同性愛だと自覚していてもあくまで秘密にすることにして、態度にはださず、結婚してこどもを作るひとも、もちろんいます。一生隠し通して、誰にもうちあけないひとだってきっとあるでしょう。

また、もともとバイセクシャルで、同性にも異性にもどっちにも恋する可能性が同じようにある場合もあります。

こどもなんて別にどうでもいいと思っているひともいるだろうし、とてもこども好きで、こどもと遊ぶのが上手で、こどもに好かれるひともたくさんいます。

「愛するひととたのしく暮らしていきたい」「ステキな家族をつくりたい」という気持ちをもったり、「大好きなあのひととじぶんの間に、こどもができたらいいのになぁ、かわいいだろうなぁ」になることだって、あるかもしれないし(遺伝子工学や医学がもうちょっとすすんだら、同性同士のふたりの間にこどもを作ることだってできなくはないにちがいありません)、「親に孫を抱かせてあげたい」という気持ち、「うちの一族が自分で終りになってしまったらイヤだ」みたいな気持ちも、あるかもしれません。

でも、そういったさまざまなことがらを全部かなえるのが不可能なら……優先順位をつけなければならない。

「自分らしさ」「自分がこの自分であること」「この自分としてうまれてきたこと」が、いちばんたいせつだ。そう考えて、それをまっとうする。そういう気持ちは、共感できます。

 

“不妊”というのも、じつは、生きかたの問題なのではないか、というのはそういう意味です。

 

 

あなたの「あなたらしさ」を、傷つけたり曲げたりそこねたりしてまで、どうしても妊娠しなければならないですか? また、“彼”は、どうなんですか。それをのぞんでいるんですか?

 

 

縁起でもない話ですが、

たとえば、旦那さんに先立たれたとしましょう。未亡人ということばはすでにありますが、「まだ死んでいないひと」というその意味を、どこまで真剣につきつめるか。

たとえば、インドのヒンドゥー教徒の間に「サティ」という習慣がありました。旦那さんがなくなったら、奥さんは、葬儀の炎に飛び込んで後追い自殺をするべしという習慣です。「愛する夫がなくなったら悲しみのあまりそうしたくなっちゃうのが当然だろう!」と考えられていたとか。日本以上に、純潔などについて潔癖な考え方があって、ひとたび結婚したらその旦那さん以外のオトコとは一生ぜったいにかかわってはいけない、誰の世話にもなってはいけない、……しかし女は独り身では生活ができないようになっているから……結果として死ぬしかない、ってことだったのかもしれませんね。とっくに禁止されているんですが、完全には、なくならない。禁止だからこそ、「それでもやるのがほんとに愛している証拠」みたいに考えるひともいるんでしょうね。

はたして旦那さんのほうは、どうなんでしょうか。自分が死ぬときにはとうぜんいっしょに死んでほしい夫婦はいつもいっしょで永遠に不可分だと思うのか、それとも、自分がいなくなっても幸福に寿命をまっとうして欲しいと思い、それが十分可能なようにいろいろと準備ぐらいしておくのが甲斐性ある夫だと考えるか? どちらの旦那さんが、奥さんをより愛しているといえるのでしょう?

これもまた“生きかたの問題”です。