盛岡弁なのかなんなのか、うちの親は「ついこないだ赤ん坊を産んだひと」のひとを「おさんとさん」という。「お産人さん」らしい。
おさんとさんはミズシゴトをしてはいけない!
(誰かがかわりにミズシゴトをしてあげなければ日常生活が破綻する)
というのが母がはるか盛岡から駆けつけてくれた理由のひとつであったらしいのだが、この「おさんとさん」(くみのこと)は、ミズシゴトがそれはそれは好きな「おさんとさん」であった。
献立を考えるのとか料理をするのとかひとに食べ物をふるまうのとかが、大好きなのである。台所関係の洗いもんは苦にならない。実をいうと、酔っぱらって記憶がなくなると、しばしば、ひとんちでもやる。へたすると、プロのいるバーとかでも。知り合いのやっているバーだったりすると、いつの間にかカウンターの中にはいっていて、まるで店のひとのような顔をして、せっせと洗いものをしていたりするのである。どうも、自分は食器洗いがわりと好きだが、世の中のひとはあまり好きではないらしい、と知っているので、みんなが楽しく飲みつづけられるように、いまのうちにあたしが片づけておいてあげようっと! と思うらしい。ただし、洗ったものを拭くのがこれまた、なぜかキライなのだ! 洗ったものは、洗い桶にサカサマにしてほっぽって、自然乾燥を待つのが好きなのだ。へんなやつ。
ちなみにこの「おさんとさん」は、部屋の片づけと掃除はめちゃくちゃキライだし、苦手である。ものを捨てること。整理すること。これがほんとーにへたくそなので、家の中はいつも雑然としている。でもって、埃を気にしない性分で、家の中に犬猫がいたりすると、まぁ、ふつうの感覚のひとからすると「すごいこと」になっているらしい。(もう慣れてしまっているので正直じぶんではよくわからない)
これにたいして、実家の母は必殺掃除人である。いつも家じゅうをきれいにしている。毎日掃除をしているらしい。ペットを室内で飼ったことはほとんどない。生家では、かつてインコがいたことがちょっとある、のと、金魚鉢で金魚飼ってたことあるっけ? ぐらい。父のシゴト柄、転勤が多かったというのもペットをあまり飼えなかった理由のひとつかもしれない。
「おさんとさん」が出産のために入院している真っ最中に、この母と父がやってきた。新幹線で駆けつけて、産院でわたしの顔をちょっとみて、それから、うちの旦那のクルマで家までかえりついた。
我が家の惨状を目の当たりにして、この母は、おぞけをふるったに違いない。
ふだんでも、母の基準からすれば合格点はとてももらえない家であるのに、かててくわえて、主婦がいきなり入院したのである。予定日よりはやいお産だったから、突然のことだった。いちおうある程度は心の準備もしておいたが、臨月の腹はデカく苦しく、自分と自分の腹の赤ん坊以外のありとあらゆることがほとんどどうでもよくなってしまっている状態だ。そんなにマジメに掃除なんてできっこないではないか。
赤ん坊がウチにいるようになるんだから、少しはきれいにしないと。
バカ夫婦も、いちおう頭ではわかっていたんである。
しかし、なにしろもとが片づけ下手で、捨てられないふたり。イザとなったらなんとかしようというだけで、実際にはほとんどなんにもしてなかったのであった。
母は耐えられなかった。じっとしてはいられなかった。退職後、必殺掃除人Uに変身させられてしまった父とともに、ありとあらゆる箇所を片づけまくり、掃除機をかけまくり、クィックルワイパーで拭きまくった。
とはいえ、うちの旦那の謎の鷹匠道具とかそういうのはいじれない。いじれないのが、たとえば居間の混成物のうち7割ぐらいある。たぶん、母的には本懐は遂げられなかっただろうと思う。それでも、我が家としては、近年まれにみるほど美しくかつワタボコリが少ない状態になったのであった。
ワタボコリは赤ん坊にものすごく悪い!
と、母は熱弁をふるうのであるが、ウチには三匹の犬一匹の猫一匹のプレーリードッグ一ダースほどの猛禽類その他さまざまなイキモノが生息しているのであって、これらがみんな「生きている」からには代謝をする、代謝をするということはなんらかの老廃物をまき散らすんである。我が家の空気はいつも、さまざまな異種タンパク質とそこから培養されつつある何かのすばらしいコンタミ(contamination。雑菌混入。夾雑物がまじること。汚染)状態なのであった。
いうたらなんだが、
超アトピーもちの旦那がその中で平気で生きている。
徹底的に無菌培養するならともかく、この我が家で生活するムスメになっていただくからには、赤さんにも、多少のコンタミには強い負けない体質になっていただかねばならぬ。いきなり大量のアレルゲンにふれさせるのと、少しずつ徐々にふれさせるのと、どっちが「アレルギー反応の抑制」にとって有利であるのかに関しては、実はまだ研究結果がはっきりしていない。はたまた、うんと幼い頃からアレルゲンにわざとふれさせてその影響力を減じせしむる(脱感作ダツカンサといいます)のと、ある程度の年齢になって免疫やら抗体やらがちゃんと働くようになるのを期待してからそうするのとどっちがいいかについても、「これだ」という理論がでていないんである。よくわけがわからない、万人に通用するリクツがまだはっきりしない、それがアレルギーやらアトピーやらの現状だ。
ちなみに生後すぐの赤ん坊には、母体由来の免疫がバリバリにきいている。何カ月かするうちにだんだんにこれが減ってきて、たちまち皮膚疾患やらなんやらがでてくる。「アクのつよい食べ物を好んだ妊婦の乳のせいで赤ん坊が皮膚疾患になった」とか、「ンカ月以前に生タマゴを食べさせてはいかん、一生タマゴが食べられなくなる!」とかといった話もなくはない。
きよらかな新生児赤ちゃんをこの世という「汚染」だらけの環境に順応させるのは並大抵のことではない。
(ていうか、わたしの子宮の中はほんとうに充分にきよらかだったのだろうか? あやしい。気もする。まぁいちおうちゃんと禁酒禁煙はしていましたけどね)
かくて。
とりあえず、歩くとそのつどフワフワとなにか(おもに犬毛)が舞いあがるようなものすごいワタボコリは母と父の手でかなり撤去された。
犬猫さんたちは、かつて体験したことがないほど清潔な匂いにぴかぴかのつるつるにされてしまった床に、ちょっと違和感を覚えたかもしれない。
母としては、赤ん坊が寝ても平気な床というもの存在しない居間には言語道断なものを感じたにちがいないのだが、我が家にはあいにくと「和室」がない。たった一畳もタタミがないのである。ほんといって玄関先でクツをぬぐことにするかしないかについても、ちょっと話し合いがあったぐらいだ。イナカ道の春の雪解けごろなどに、あまりにも泥んこがひどいため「やっぱクツぐらい脱いであがろう」とキメてそういうつくりにしたが、ニンゲンはクツを脱いでも、犬は散歩からかえったらそのまま(あまり泥がひどい時にはちょっと拭われたぐらいで)あがる。ようするにうちの床は「外」のようなもの。もともと「めっきり洋風」な思想に貫かれた家なのである。
タタミの和室があったなら、その床に、ちょっとザブトンをおいたぐらいで赤ん坊を寝かすことができてあたりまえかもしれんが、
本来、クツ脱いであがる洋風のウチで、床に赤ん坊が寝かせられんからといって、非難されるいわれはないぞ(きっぱり!)。だいいち、インドを見ろ、中国のド田舎方面を見ろ、アフリカ諸国をみろ。そーとーとんでもない環境があるぞ。赤ん坊なんてどこどんなとこでも平気で生きている。ていうか、どんどん増えてる(夫の、したがって、それにすぐに追随してしまうわたしの見解)。
母は思うたことであろう。わかいもんにはわかんもんのものの考えかたがあって、家にはそれぞれのペースとか信条とかがある。それはそうだ。なるべくなら口をだしたくない。娘にいうならまだしも、ムコさんに文句つけたりはしたくない。したくないが、でも、このままじゃどうなっちゃうのよ? 赤ちゃんがかわいそうすぎるじゃないの! 我慢できない〜!
ホコリが舞い、犬どもが好きかってに徘徊するような界隈の床付近にはとてものことにきよらかな赤ん坊を寝かせることなどままならぬ! となると、「なるべく高いところに」寝かしたいのが偽らざる母のキモチである。しかし単に高ければそれは無防備というもの。
「とりあえず、クーファンがあればいいじゃん」
能天気ムスメはいってしまうのであった。
「だって、新生児ちゃんなんて、どーせほとんど動かないんだし」
「それをただゴロンと床に置こうっての?」母は怒ってる。「犬がきて舐めるじゃないの! そんなのダメダメ!」
いや犬は舐めたければそうとう高いとこでも困難なとこでもいって舐めると思うけど、というコトバをのみこんでいると、
「だいじょうぶ、サークルをつけますから!」
頼もしい旦那さんがきっぱりと言うのであった。
それは、かつて、オオタカのヒナを育てた時に活躍したブツであった。台所の壁とかに張って使うアミアミありますね、金属にビニールコーティングしたみたいな? あれをつないでサークル状態にしたやつで、かこっちまうんです。東西南北、そして、もちろん上も。なにしろ上があいてたら猫とかはいりますから。
ちょっとだけはずしてたたんでしまってあったお手製のそれを、旦那はもういちど組み立てなおし(ちょっとホコリをはらい)クーファンをいれてみるとまぁびっくり、ジャストサイズ! しかも、蓋つきだから、ばっちりしまえる。守れる。
ていうか、赤さんをクーファンごと可愛い「檻」にいれたようなカッコなんですけど。
「『ソロモンの指輪』のコンラート・ローレンツのお嬢さんもそうやって育ったンです」と旦那が解説する。「犬とかアヒルとかその他いろいろイキモノがたくさんいて、みんな傍若無人にふるまっている中でムスメを安全に育てるために、ローレンツは、立派な檻をつくって、ムスメさんをそこにぶっこんでおいたそうです」
その状態だと赤さんがなんだか苦しそう、「もしかして床暖房にくっついてて、暑いんじゃない?」とわたしが指摘したのが説得力があったらしく、旦那は三分間で(←さすがに嘘かも)檻全体に「あげぞこの床」を作り出し、クーファンの下をサワヤカな空気が常にとおりぬけるように改造しましたです、ハイ。
「でもやっぱり」と母がボヤく。「なんだかねぇ。そのベビーベッドはどこに置くの?」
その、と母がいうのは、オトウトのとこからおさがり(おあがり?)で送ってもらったやつで、隣には「母が」送ってくれたベビーふとん一式もあるのであった。まだ梱包を軽くといただけで、ほうってあった。だって、ベビーベッドどこにどう置くか、きめてなかたんだもん。
そんなことは赤ん坊がくる前にやるべきだ!
とここですかさず正論を吐いたひともいるにちがいないが、ウチの旦那には旦那の言い分がある。旦那としては、なにをどうしてどこにどう移動したいか、結果としてなにをどうしたいか、遠大にして完璧な計画があるのだ。ところがそれは一種の箱根細工、ナニかをどうにかするにあたっては、まず、いちばんハシッこにあたる部分のなにかをどっかにどうにかしてから、それによってあいたスペースに次のナニをどうして、それでまたあいたところにナニがナニされ……といった、連続的な作業が必要になるんだそうだ。でもって、その全体を挙行するには壮大な時間がかかり、あいにくとそれだけの時間が彼にはまだとれなかったのであった。
「それでもなんでも」
と彼にとってのMother
in low。
「ベビーベッドはすぐさま必要です! 赤ちゃんが寝る場所はとりあえずそっちでいいとしても、いろんな赤ちゃんグッズをおく場所にもなるんだから。ね、ここでいいわ。ここにおきましょう。ねぇ、パパ、それ組み立てて。わたし片づけるから」
妻母の実力主義が発揮され、いきなりベビーベッドが組み立てられだすと、さしもの旦那もあきらめて(?)協力、たちまち部屋の片隅の「そうではなかった場所」がベビーベッドにセンキョされました。そこがもとどうなっていて、なんだったか、わたしにはもう思い出すこともできません。
しかもベビーベッドの上は、オムツ用品、大量のタオル、赤ちゃんの体重をはかる秤、などなどですでにギッシリ……クーファンにはいりきらなくなったとき、彼女が寝る場所はどうするんだろう……し〜らないっと。
そんなこんなの苦労のあげくなんですけど、娘は新生児の頃、一日の半分ぐらいをクーファンで、のこりの半分を「ハイ&ロー・チェア」で過ごしておりました。
ハイローというのは、赤ちゃん用の椅子のたぐいで、コンビ・アンレーブ・オートスイングゆらぎ。
←この画像に、アフィリエイトのリンクが張ってあります。
これはですね、ベビー用品になじみのないかたにはわかりにくいと思うんですが、ベビーカーの「おすとこ」のないやつを想像してください。それがテーブルぐらいの位置まで高くもなるし、床近くまで低くもなるんです。新生児のときには水平でたいらなベッドみたいなもんなんだけど、背もたれを起こしてゆくことができて、四歳とかぐらいまで使える椅子になる。でもって、ちょいと押すとちょっと揺れる。電源をくっつけると、デンキの力で十五分ばっか揺すってくれもする。なんなら伴奏つきで。
洋風の生活をしたいご夫婦にぴったりの赤ちゃん用品どす!
コレをわたし、旦那のナカヨシの前田さんのご夫婦がウチにもってきたときから「必須だ」と思ってて、臨月の頃にはもう買っちゃおうとしてたんだけど、旦那にマッタをかけられてたんですね。つまり、ほんとうに必要かどうか、赤ちゃんがきてから考えても間に合うってことで。でも、母と父とオットとベビーとうちの居間にそろったその瞬間に「注文しよう!」ってもうココロにきめましたけど。ネット通販で「ここぞ」というところ(安かったし)に目ぇつけといたので、本気で買うきめてからブツがとどくまでがとっても短くてよかったですけど。
それから、
年のいった妻の母と父がやたらまめまめしく働いてみせてくれてしまったからか、片づけ下手にして掃除嫌いなはずのウチの旦那さんもいきなり燃えた。燃えました。
台所方面までぴかぴかにしてくれてしまったんである。それというのも、なにしろ三時間おきの授乳のために「調乳じょ〜ず」という哺乳援助グッズ(湯わかしを、粉ミルクをとくのにふさわしい約60度に保温しっぱなしにしてくれる装置)を設置したかったのだが場所がない、場所はあけることができたが、ちょうどいい位置にあいているコンセントがなかったのがいかん。延長コードをまわして、しかるべきあたりにニューコンセントを設置するにあたって、彼としては、周囲をとにかくキレイにしたかった。それには、ステンレスの調理台をすみからすみまでほとんど「研ぐ」ようにあるいは「ひとかわ」むくように磨きたてることもふくまれているのであった。
とかなんとかで。
……ああ、やっと話がもどる。
おさんとさんはミズシゴトをしてはいけない!
はずなんだけど、他のひとたちがみんな掃除をしているので、メシのしたくはあっしがやってたわけです。
それでも、ウチにかえってきて最初の日とかはサボッて、買い食いと、ありものでなんとかしたんだけど。
だって入院中ってば、ずーっと、ひとのつくってくれたごはんで(おいしかったけど)自分で料理とかしたくてたまらなくなってたし。
実家の母と父があまりにマメマメシク働いてみせてくれてしまっているのて申し訳なく、わたしは確かに片づけものは下手だし掃除はきらいだけど、でも、料理は好きだし得意だし、わりとちゃんとやるんだよ、というところを見せたいという気持ちがあったりとかしたのかもしれない。
まぁ、昔は、ミズシゴトをしようとすると井戸水をくまなきゃならなかったり、ミズがすんごいつめたかったり、そもそも台所が土間だったりとか、そういうことがあったんじゃないでしょうか? あるいは、シュートメが厳し過ぎて、日頃ヨメは朝から晩まで牛馬のように働いているのがあたりまえで、お産直後ぐらいは「せめて」すこしは休ませてあげなきゃ、みたいな、そういう話だったんではないかと思いつつ、
慣れない赤ん坊の世話よりかは、ずっと手慣れてるミズシゴトをしているほうがよほど精神的にもらくちんだったりもしたのでありました。 |