目次

 

1・軽井沢の自然・風土

2・軽井沢の家事・生活

3・軽井沢のひと・文化

 

1・軽井沢の自然・風土 つづき

 

[過疎]

 

 軽井沢町の面積は156.05ku。

 東京二十三区がだいたい160ku。

 今年、ウチの町は人口が一万六千人に達したそうです。

ついこないだやっと一万五千人になったかと思ったら、新幹線開通やオリンピック以後、どうもぐんぐん「増加」しているみたい。県内でもダントツの「増加率」だとか。

 東京都の人口はだいたい一千万人なはずですよね。三多摩地区や離島地区などに20パーセント取られるとしましょう。八百万人残ります。これが二十三区の人口だとして

 ほぼ同じ面積の土地に、かたや 8000000人。

かたや   16000人。

こう桁が多くなるとうっかりミスをしちゃいそうなので、思わず電卓を持ち出してみましたが、何度たしかめてもやはりちょっきり500倍です。

 

もちろん!

「自然に恵まれた」軽井沢町の面積の9割以上が「原野山林」で、つまりはひとの住めない土地だったりはします(単行本には是非、町要覧の円グラフを載せること。山林91ku、町面積の59パーセント。原野11ku、7パーセント)。

個人や法人の所有地であったり、水源地保護林で営林署の管轄だったりしますが、ようするに深い「山」で樹ばっかりある「森」。

 ウチのダンナさんのような(鷹匠という特殊な道楽を持った)人間でない限り、シロウトには、あまり用がない場所かもしれない部分が「ほとんど」ですね。

町で一番標高が低いのは湯川というちいさな川の下流のほうで、およそ標高八百メートル。浅間の頂上が前にも言ったように二千五百とちょっと。等高線がこんでいるから、当然斜面や坂道が多い。中には、ひとが立って歩けないほど急なところもたくさんあります(我が家の庭にもあります……とほほ)。

 そういった不便な「ど僻地」を思い切ってぜんぶ除外しておよそ一割の「宅地」「居住区」だけを考えることにしても、単純計算で平均を出すと、軽井沢町民のひとりひとりが都民ひとりひとりの「約五十倍」広い面積を使いうることになる。

 この面積に、ひとがもし、きちんと等間隔に満遍なく散らばったとして、隣のひとはいったい何キロ先にいることになるやら。オーイ」と声をかけて、届くと思います?

 これが過疎でなくてなんでしょう?

 

 もちろん!

 東京は日本一過密な場所で、都内のほとんどの場所は、エブリディひとけに満ち溢れています。早朝だろうと深夜だろうと、五分ほど歩いて「誰にも会わないし、車一台とも擦れ違わない、他人の気配をまったく感じない」なんてことは滅多にない。元日でもないのにへんにすいていたら「いよいよ核戦争でもはじまったのか」と不気味に思うのが都民のふつうでしょう。

 だいたい五分も歩いたら、コンビニの一軒にあたっちゃったりする。

そんな東京と比べるのはそもそも「間違っている」のかもしれません。

だったら、あなたが知っている「最高のド田舎」を想像してください。ご親戚の住んでおられる土地の中で一番交通が不便なところ。おともだちの出身地のうち、それまで「きいたことのなかった」場所。ドライブにでかけて道に迷って、たまさか見えたひとの家の明かりに、思わず「うわぁ、こんなとこにも住んでるひとがいるんだぁ」と思った、そんな場所。

軽井沢というのは(名前が有名なのとは関係なく)カテゴリーで言うと、きっぱりそっち側に属する世界なのです。

 

 電気と電話はさすがにちゃんとありますが、上水道は、ほとんどの部分でいまだ簡易式です。蛇口をひねれば水が出ますが、その水は、ウチの場合、別荘地ぜんたいの地主さんである「西武」の「水道」を使わせてもらっているかたちです。

 それはそれはおいしい水です! 夏は冷たく、冬はほどほど。天然ミネラルが豊富っぽいです。

 なにしろ熱帯魚の飼育のために夫が市販の水質検査キットを使ってみたところ、塩素はじめさまざまな「あるとおサカナにこまる」成分が「一切検出でき」ませんでしたからね。ようするに、そこらの川の水からゴミを濾過した「だけ」に近いものなんじゃないかと思います。

 浅間山という自然の大浄水器を通した「水源地」の水ですから。

  

 下水道は、整備中。町のほうはだんだんに整ってきたようですが、ウチは「浄化槽」です。年に四回、点検のひとがまわってきます。年に一回ぐらい「くみとり」をしてもらわないとなりません。費用はけっこうかかります。えーと、浄化槽点検屋さんの保守点検の契約料金が年額五万円だったかな?

 浄化槽を使っていると、浄化槽の中の状態が「健全」であることにイヤでも敏感にならざるを得ません。水をきれいにするバクテリアが健康でがんばってくれられないコトはやってはいけなくなる。つまりですね、商売のジャマをすると訴えられそうだからこっそりいいますが、たとえば、トイレの洗剤。ブルーなんとかとかって種類のもんがいろいろあるじゃないですか。タンクにおいといていつも働かせるやつ。あれなんかが典型的に「やってはアカン」ものなんですね。あれをやると、トイレの掃除はらくちんになりますが、浄化槽にすんでくれている善玉の細菌さんたちが、やられて死んでしまうんですね。すると、たまってるもんがすごーくクサくなッちゃって、あたりいちめんにとんでもないニオイがする。そのうち、いちおー水洗なトイレからも臭気が逆流してきたりするんですね。

 いわゆる都会の下水は、いったん捨てた水は、パイプでもつまらないかぎり、とにかくどんどん遠くにもってっちゃいますからね。イヤな匂いがしたりするのは、はるか遠くの総合下水施設までいってからだから、みなさん、知らない。だから、炊事や洗濯や掃除にとっては確かに便利でラクチンかもしれないけど、川や海をきれいにしておきたいほうからすると、あまりよくない選択であるところの化学薬品まみれの水を、ぜんぜん無意識のうちに平気で流しちゃってるんじゃないかと思います。

 うちのちっこい浄化槽によくないもんが、都会のでかい浄化施設では平気だってことはないと思うんですよー。そりゃあ大型かもしれないけど、流入する下水のほうの量だってハンパじゃないでしょうから。薬剤つかって掃除しているひとの割合が一定以上に高くなっちゃったら、施設のバクテリアさんたちも身が危険なんじゃないですかね? そう思うと「フッ素コートでおそうじらくらく」とか(自分がそれを享受できなくて羨ましいだけに)そういう問題点の可能性を内緒にしてこんなにいいことばっかり宣伝してでいいもんなのかなぁ、なんて思ったりします。

 でもって。ウチから降りていく水は、やがては麓の(つまり関東平野の)みなさまの飲み水にもなるものでもあるわけですから。

 だからわたしは使い勝手が多少悪くても、「川を汚さない」「環境に影響が少ない」洗剤のたぐいをなるべく使うようにしています。台所では主としてフェリシモさんの、ミズ・オレンジっていうやつを愛用しています。ちなみにうちにはメイちゃんという白くてデカくて毛深い優秀な「エコ係」もいて、ひとの食べ終わったお皿や、食品のプラスチック容器などにコビリついたものを「よーくよーくよーく舐めてきれいにしてくれ」るので、助かります。アイスとかヨーグルトとか。ほんとキレイになるもんなぁ。メチャに舐めさせられないような、味の濃すぎるものとかタマネギのはいっているものとか古くなったアブラとかは、紙で拭いて、その紙は暖炉のタキツケにしてしまったりします。

 ヤマに住む人間の全員がだんぜんエコロジー擁護派でなきゃイカンだろうとはいいませんが、あえて選択して自然の中に住みたいと言い出すからには、文明の便利を多少犠牲にしても、ヤマと自然を守る方面の暮らしかたをしようって気持ちぐらいはあったほうがいいんじゃないかなぁ、と思ったりします。

 まぁこのへんは「生活」のほうで続きを。

  

 えーと、ガスはプロパンで、民間のガス屋さんと契約をしておき、なくなったら電話をして「ボンベ」を届けてもらうスタイルです。

 灯油もタンクにためてあります。

 テレビ放送の「地上波」は、地形のせいで届かないため、有線テレビ会社に契約をしなくてはなりません。近所までその「有線」の「線」がきてればいいですが、もしまだだと、オタクまでそれをひっぱる費用もかかります(ただし、東京キー局の全放送、長野ローカルのほとんど、民法BS全部がはいりますが)。

 わうわうなどの「おさらを設置して自分ちでキャッチするやつ」も、町のほうならいいんですが、ウチあたりで設置しようとするととんでもなくたいへんなことになるらしいです。なにしろ、進路に葉っぱ一枚あっても電波が届かないそうで、パラボラのむいてる方角の樹木を「ばっさばっさとなぎ倒さないと」うつりません。冬はいいんです。ほぼ枯れ木になっていて、じゃまになりませんから。夏になると繁って、ジャマになるんですね。もったいないあるいは自然破壊はイヤだとして樹木をきらないとすると、「地上から5メートルとか」のとんでもない高いとこにパラボラを設置せんといかんらしいです。

吉永小百合さんが液晶テレビを持ち歩くCFがありましたが、あれは、そこらに電波がなければ役にたちません。もし何台もテレビが欲しかったら、その数だけ線をひっぱらなければなりませんし、正直にやろうとおもったら、有線契約をいくつも結ばなきゃならないでしょうね。

ウチは、ついこないだまで新聞配達区域外でした。信濃毎日をその日の夕方に郵便で受け取れるサービスがあっただけ。おかげで新聞を読まなくなりました。

郵便局の「速達」も、二十年前には届かなかったそうです。

ご近所の小池真理子さん藤田宜永さんのオタクのひとつは、高いところにあるので、冬になって雪が積もったり路面が凍結したりすると郵便局の配達のバイクが「のぼれなく」なって、ゆうびんが「局留め」になったそうです。

携帯電話も、使える機種が限定されます。めったなやつだと「三本」立たないんです。

 

都会とは、長靴を履かなくても生活できる場所のこと……とわたしは思っています。

都内なら、梅雨時でも、防水加工のパンプスで用が足りる。一日じゅう歩く地面のどこにも土も泥も雪も、たいした量の水もないはずだからです。

山には長靴は必需品だし、大活躍の消耗品です。庭や未舗装の砂利道は、雨の後にはぐちょぐちょのドロドロ。雪が降って積もったら、長靴のように高さがないと靴の中に冷たいのが入ってきて適わない。新雪の時だけではなく、クルマがワダチを作る時に掻き分けた雪の小高くビショビショになったものをよけながら歩く必要もあります。

もしかして、屋根つきの車庫が家屋と繋がっていて、出かける先もまたアスファルトやタイルなどの舗装のゆきとどいた場所ばかりであるようなかたなら、ひょっとすると、一日じゅう乾いた靴でいられるかもしれません。が……ひとたび、スーパーマーケットや駅など他人が濡れた靴で歩いた場所にでかけてしまえば、当然、それなりのどろんこ路面に適応しなければならないのです。

 

仲良しのマンガ家藤臣柊子がウチに最初に遊びに来る前には、地図をかいてFAXしました。

途中で電話がかかってきました。

「地図に書いてある信号が、ぜんぜんみつかんなくてさ。通り過ぎちゃったのかな」

 いいえ。彼女は、信号より「遥かに手前」で電話をしてきていました。

 中軽井沢駅前の信号と「その次の」信号の間は、何キロもある。

 普段走り慣れている我々にとっては意識にも上らないほどたいしたことのない距離でも、知らない道をはじめて走る時には長く感じます。東京では道路にたって前を眺めれば、三つも四つも信号が見え、その四つ先の信号にたどりつくころにはさらに三つも四つも先の信号までまた次々にみんな見えるようになるのがあたりまえです。

「うそ。まだなのか? まだか? なんだかずいぶん長いこときたけど。そんなにずっと信号がない? 見落としたんじゃないかな。この道はまちがってるんじゃ?」イナカ道をはしりなれているはずの柊子ですらそう思ってしまった、そのもうちょっとだけ先に、ようやく「次の信号」はあるのでした。

 目標になるようなモノがなんにもないから、地図をかくほうは途中はザクッとはぶいてしまいますよね。距離や平均所要時間を数字で書いておいても、ラリードライバーでもないかぎり、計器走行なんてしませんからね。「次の目標物」が、予想よりずっと長いこと出てこないと、あまりになにもないところをただまっすぐ走っていくことになり、運転者は「なんだかおかしい! 道に迷ったかも!」と思ってしまうのです。

 迷ってない。ただまだ到達していない、なんのへんてつもない長い道の途中なだけだとしても。

 

地図を見てください。

軽井沢に存在する「有名ファストフード店」と「コンビニ」の、20××年●月●日現在の、これが正真正銘、全部です(単行本では出そうと思ってるわけです)。

さすがにマクドナルドは二軒もありますが、どちらにも「モーニング」がないことは是非言っておきたい。マックのあるスーパー「つるや」店は9時半からあいていますが、「朝マック」メニューは一切作りません。9時半から「ふつうのマック」です。私はたまにソーセージエッグマックマフィンがたまらなく食べたくなります。東京にいっている時というのは、シュウトシュウトメと「正しい伝統的な日本の朝ごはん」的朝食を共にするのがふつうなので、たまーに、両親が不在の時など、わざわざ必要もないのに早起きをしてまでダッシュでマックにいってしまいます。

旧道のケンタは「夏季限定営業」です。●月●日ごろから●月●日頃までは、店舗はそこにそのままありますが、電気がついておらず、鍵がかかっています。問答無用って感じです。私はたまにツイスターキチンがたまらなく食べたくなりますし、亭主はたまに突然ケンタのチキンが食べたくなるので、西隣(?)の上田町にある年中やってくれているケンタまでクルマを飛ばしてもらったりします。

ピザーラは去年まで「バーガーキング」でした。今度は長持ちしてくれるといいんですが。ためしにウチの場所をいってみたら、デリバリーはすみませんがムリです、と断わられました。利益より、行き返りについやすバイクのガソリンと人件費のほうがかかってしまうのだろうと思います。

ほとんどすべてのコンビニエンスストアは、国道18号線とバイパス、それらと「長野自動車道軽井沢インター」をつなぐ道路いわゆる「プリンス通り」の延長に存在します。全部が全部年中24時間営業とは限らないので注意する必要があります。

この地図のいろんなものがあるあたりは、そりゃあそれなりに便利にできています。しかし、少しここからそれるといきなりパタリと「なんにもなく」なるのは一目瞭然でしょう。

もうひとつの図を見てください。軽井沢町で1999年に配られた町勢要覧『軽井沢……終わりなき風の物語』の27ページに載っている図を転載させていただきました(予定です)。

ファストフード店およびコンビニはこの図で区別しているうち、いちばん濃く塗られている三つの島の部分すなわち「居住・観光ゾーン」にのみ限定的に存在しているということがおわかりいただけるのではないでしょうか。

 

都会から移住してくるかたが住むのは、これまでの場合たいがい「別荘地」でした。

もともともっていた「別荘」に、リタイヤしたかたがそのまま「常住」したり、夏向きだったのを寒い冬にも対応できるようにリフォームしたり立替たりして住むことが多かったのです。

そういう別荘は、ふつう、この「居住・観光ゾーン」にはありません

「保養・レクリエーションゾーン」にあります。つまり「なにもない」のが名物であるところのど真ん中にあるわけです。

その「なにもない」あなたのおうちから、「いろんなものがある」麓の18号線まで、クルマでだいたい数分はかかります。信号もなくてすいているイナカ道の数分は、軽く数キロメートルです。山手線でいえば隣の駅までぐらいは離れている。それがしかも、浅間沿いにただならぬ標高差をもって広がっているわけです。

ゆきはよいよい帰りはこわい。延々と続く登り坂五キロは、かなり健脚なひとでも気軽に歩ける距離ではありません。すくなくとも現代日本では、日常、頻繁に歩いて行き来する距離ではありません。ほとんど正月の箱根駅伝の「往路優勝がかかってくるあたり」の温泉がいっぱいあるとこみたいな感じですからね(あんなにクネクネはしてませんが)。30人31脚に挑戦しにきたケニヤの小学生のみなさんはこんな感じのとこを毎日通っているのかもしれないんだけど。登山経験のあるひとや、スポーツ部に所属してバリバリ鍛えている中学生高校生でないかぎり、まず全員が途中でネをあげるでしょう。

自転車? 軽井沢に行くとレンタ・サイクルをするもんなんじゃないかって? ありゃあ旧道のほうだけでしょう。ええ、まぁね、下りはいいですよ。下りはね。ゆきが下りなとこは帰りはのぼりになるんですよ。この長いながーーーい坂を、大荷物と前後にお子さんを載せた自転車を押して登るなんてことなどは、どんなチャレンジャーにもできるかどうか。ここを休まずこいでのぼるには、ツール・ド・フランス級のレースバイクと、特別サイズのズボンじゃないとはいらないようなりっぱなフトモモが必要だと思います。ようするに、ふつうの自転車はこの標高差では使いものになりません。

だから「なにもない」あたりに住んでいる学齢のこどもさんがた(ホテルやペンション、企業の別荘の管理人さんのお子さんがたなどなど)も、自転車通学なんかしてないですよ。本数の少ないバスを待つか、または、親に送り迎えしてもらっています。

話がちょっとズレましたが……

 

わざわざこんなことを書いたのは「だっていまどきの日本だもの、コンビニぐらい、選り好みしなきゃどこにだってあるでしょ?」と無意識のうちに思っておられるかたが少なくないように思うからです。「オニギリはローソンで、おでんはセブンイレブンで、ソフトクリームならミニストップ、チケットとるならAM/PM」などなどと、近場のコンビニをあれこれ使い分けるのが、あなたにはあたりまえになっていませんか? 「ちょっとツッカケサンダルをはいて行ってこれるコンビニがただの一軒もないなんてのは、ほんとにとんでもない超どイナカだけ」と、……あなた思ってないですか? 

だから何度もいうように、軽井沢ってのは、その「いまどきまさか」なイナカなんです。

軽井沢に住みたいような気がしているみなさんが、移住してくる先としてイメージしているに違いない「静かな森の中のステキな別荘」があるのは、そのイナカの中でも「ほんとのほんとにとんでもないどイナカ」な部分なんだからねッ! です。

そういうところに住みたい、という気持ちと、日用の多少の用がたりる便利でステキなお店がすぐ近所にあること、とは、あいにくですが、両立しがたいのです!

 

近年、わが町にもリゾートマンションがどんどん建つようになりました。なにしろ大きな建物の建築を厳しく取り締まっている町なので、マンションといってもビルのようなものはあまりありません。せいぜい「でかめのアパート」って感じ。ただし中には、温泉やらスポーツジムやらのとんでもなくすばらしい施設をもっているところもあるらしいですがね。

これらの集合住宅は「居住・観光ゾーン」にあったり、それと「保養・レク」の境目あたりにあったりします。だからそれらは、またちょっと話が別。

正直わたしは、すでにかなりお年を召したかたの場合、熟年登山やトライアスロンを趣味にしておられるご夫婦でない限り、あえて軽井沢に住むのなら、森の中の一戸建てではなく、町中のマンションタイプにしておくほうがいいだろうと思います。管理人さんや他の店子さんたちと仲良くすればいいし、そこからなら歩いてコンビニなどにもいけるかもしれない。

ちょっと歩けば、誰か他人がいる場所まですぐ辿りつく! というのは、すごく重大なことですよ。

大雪の日も、停電の日も、浅間が噴火しても日本が沈没しても、ひとりで(あるいは家族だけで)サバイバルしなくてすみますから。

 

さて。

ちらほらバレつつありますが、人口のことを話題にした時、わたしはとあるひとつの重大なことがらをあえて隠していました。

軽井沢町には企業の保養施設や個人の別荘が合計だいたい「五万軒」あるという事実です。

思い出してください。人口は16000人でした。そのざっと三倍もの数の「季節使い」される住居があるんですねぇ。もちろん全部にぎっしり隈なくヒトが詰まる時というのはまず有りません。盆暮れクリスマス、ゴールデンウィークなどの比較的「密集」する時期でも、半分も埋まっていないでしょう。別荘に篭りに「ひとり」で来るひとっていうのは滅多にないでしょう。カップルもいなかないですが、家族連れ、友人と一緒というほうがふつうなので、まぁ平均「一軒につき四人」が来るとしましょうか。

なんらかの特別に「お客さんのやたら多い日」二万軒の別荘に平均四人がきたとすると、増加分は八万人。

戸籍を有する町民の五倍の人数がいきなり流入してきても、「東京都23区に十万人ぽっち」ですから、まだまだとても「ひとだらけ」とは言えません。しかもあくまで「瞬間風速」なのです。そんな日は、年に一度か二度しかありません。

それでも……そんな日、原住民は「うわー、今日はどうしたんだろう、なんてこんでるんだろう!」と思いますです。犬の散歩にほんの三十分出かけただけで「知らない誰かとすれちがっ」たり、「他所のクルマをよけるために道路のハシに寄らきゃならないことが三回も」あったりしましたから!

ええ。ふだんは……特に厳寒期の朝など……一時間あるいても、だれにもまったく会いませんからね。クルマのワダチのあとがひとつふたつと数えられるほどついていて、あとは、リスの走ったあとがあるだけですから。

 

五万軒の別荘は「固定資産税」をもたらします。

固定資産税は、ジモトに直接はいる税金です。いったん国が集めた税金から、政治家の力関係だの既得権益だのでいちいち分配されるもんじゃないし、不況とかの影響をモロにうけて乱高下する所得税とも違って、金額も法律で決まってて、まぁそんなに極端には変わらない。「単に実際にジモト」であるだけで、黙ってても毎年ちゃんちゃん入ってくるんですから、不動産を持っているって強いですね。中には払わないひともいるかもしれないけど。

おかげで、軽井沢は、こんな小さな過疎の町なのに、けっこうリッチなんですねぇ。

特別地方交付税をもらわないから、中央の顔色をうかがったりしなくて住む。

 

バブルの頃なんかは、ほんとすいてたんですよ。別荘地。

だーれもこないとこがたくさんあった。廃屋ならともかく、立派な立派な新しい別荘があるのに、お庭の手入れのひとなんかはちゃんとはいっているのに、年中とおして誰も使ってなかったりする。

たぶん、あの頃は、別荘の主のひとたちは海外旅行にいってたんでしょう。円も強かったし。あるいは別荘そのものが税金対策で立ててあるだけだったりしたのかも。

バブルがはじけてから、実際に「使われる」ことが増え、他県ナンバーの車が駐車場にとまっているのとか、夜に灯りがついていたりするのとかを見るようになりました。三世帯ほどが時差というか交代でやってきているところ。たぶん小さな名メーカーの社長さんの別荘がイコール社員のひとたちのための寮みたいなものになっていて、いろんなチームのひとがいれかわりたちかわりきているみたいなところ。夏休みなどは、奥さんたちと小さなお子さんたちが最初にきて、やや学齢の高いこどもたちは短期間だけきて(あとは塾にでも通っているのでしょうか?)おとうさんたちは土曜と日曜にだけきて、月曜になるとまた出勤しにいく、とか。いろんな使い方をされているのを見ます。

リタイヤ世代のおとうさんとおかあさんが、夏じゅう(軽井沢の夏ですから、七月と八月の二ヶ月のことです)ほぼずっと滞在していて、そこにムスコさんやムスメさんや他のおともだちが訪問しにきたり、何日かどこかに旅行に出かけたり、みたいな感じも目にします。

それにしてもです!

われわれのような特殊な年中常住の人間を別にすれば、たいがいの別荘は、年に、多くとものべ「三ヶ月」ぐらいしか使わない。「別荘族」は、ゴミ収集に代表されるような行政サービスを、三ヶ月分ぐらいしか必要としないわけです。なのに税金のほうは、ちゃんと素直に一年分払ってくれるんですから、町にしてみりゃあ、ちょーありがたい「お客さん」ですよね。

 

さて、お客さんたちの中には、もちろん、日帰りの、あるいは、ホテルやペンションなどに宿泊なさる観光客のみなさまや、結婚式などに列席なさるためにおいでになるかたがたなどもあります。いわゆる「観光客」ですね。

統計によると、平成三年から十年ぐらいの観光客は年間平均800万人ぐらい。新幹線の軽井沢駅のすぐそばにアウトレットができてからはもっと多いかもしれませんね。

 

お客さんが800万人もくる! なのに、なんで過疎だなんていうのか?

それは……わたしどものようなタイプの地元民には、観光客のかたがたの動向は、直接的にはほとんどまったく関係ないからなのです(ペンションやレストラン、お土産もの屋さん、などを経営しておられるかたがたは事情が違いますが)。

 

観光客のみなさんのほとんどは、同じ時に同じような行動をなさいます。もちろん例外はありますよ。ありますけれどね。

典型的な行動というのをなさるかたも、かなり多くの割合でおいでになる。

 

たとえば春。新しいクラスや会社の編成で知り合った同士が、お花見の時か新入生歓迎コンパかなんかでいきなり仲良くなっちゃう。「みんなでしゃべってるだけでこんなに楽しいんだから、こんどはどっか近場に泊りがけで遊びにいこうか?」なんて盛り上がったりする。

「ねー、連休の半分ぐらい、いっそ軽井沢いかない?」

「えっ、軽井沢?」

「どうして?」

「なんかおハイソっぽくてシキイが高くない?」

「ノンノン。去年、知り合いの結婚式があって行ったんだけどさ、てんで気軽よ。しかもウソみたいに近いの! 駅のすぐそばに大きなアウトレット・モールがあるし。去年は時間なくてよれなくて、すっごく悔しかったんだ」

「いまから宿とれるかしら?」

「コテージとかいいなぁ。騒げるじゃん?」

「有名なホテルとかはどうせ高いじゃない? 死ぬほどたくさんペンションとかあったみたいだから、きっと大丈夫だよ。当日でもまだ部屋が余ってたりすると、きっと激安格安になってるよ」

「若いんだから、アシで探すか!」

「初夏の高原とか爽やかできっと気持ちいいよね」

「よーし、いこう!」

「わぁい、何着てく、何着てく?」

 なんつって盛り上がって、さて当日。

新幹線の時間だけいちおー調べて決めておきました。 乗り換えの都合で、一行五人のうち三名は、上野駅から乗ってくることになっていますから、始発の東京駅から乗り込む二名は、すこし早めに出かけて、あと三名のための座席もしっかり確保しようと思っていたのですが。

 東京駅20番線ホームの自由席にのりやすいあたりは、なんだかやけにこんでいる。

「うそー、これみんな乗るの?」

 乗るんですねぇ。しかも、新幹線は、そこにいるのに「清掃中」でドアをあけてくれない。大丸のデパ地下で買ってきちゃった「車内で食べる」おやつが重くてしょうがない。

 発車予定時刻の二分前にようやく清掃終了になり、ドアがあき、ひとが殺到。ひとりだけで座っているひとにたってもらって座席を反対向きにして、三人分の席はなんとかゲットはしました。約五分後、上野に到着して、そちらからの乗客を乗せるというと車内はもはやかなりの混雑。五名のうち二名が通路に立った状態で、なんとかおやつを食べているうちに、大宮到着。さらにまたひとが増える。ギュウギュウです。

「うそー、みんないったいどこまでいくのよ?」

「これみんな長野に里帰り?」

 いやいや。軽井沢までちょっと遊びに……のひともけっこうあるんですね、それが。

 さてトンネルばかりでちっとも景色が見えないのにブーたれているうちに、突如、到着を知らされて「ほんとに近いー」とビックリ。

軽井沢駅に降り立った五人は異口同音に叫びます。

「……さ……さむっ!」

 あっちでもこっちでも「うそー」「なにこれー」「冬じゃん」などなどの声が聞こえます。そういえば、地元民や心得た別荘客たちは、軽井沢に降り立つ前に荷物の中からジャケットやカーディガンなどを出して一枚二枚、しっかり余分に着込んでいるのでした(前の項目参照)。

 そう、前の項でいったように、ゴールデンウィークの頃の軽井沢はまだ「冬の終わり」あるいはせいぜいよくて「早春」なので、うっかり「爽やかな五月」をイメージしてしまったような服装は、十中八九、間違っています。寒すぎます。今日はこれでも実はまだいいほうなんですよ。雪降ってませんから。降るんですよ。ゴールデンウィークに。最低一回ぐらいは。でもって最高気温が「摂氏二度」とかになるんですね。

 あわてた五人は幸いにも、すぐ目の前にあるアウトレットモールになだれ込み、さっそくまずとりあえず、ラッキーにもいまもしぶとく冬物一掃セールをやってくれていたどこか(もちろん、東京からやってきた無垢なお客さんがたがあまりの寒さに震えて、あったかい羽織ものを切実に必要とすることを、アウトレット側はよーく心得ていますから、年中「それもん」のお品を用意しています)で、ジャケット、セーター、トレーナーなどなどを購入して武装しなおします。もってきた荷物はコインロッカーにあずけましょう。

 モールは巨大で、遥々広く、すべての店舗を隅々まで満遍なく見ると半日かかります。見たいお店のタイプがあまりに違う場合には(ゴージャス系とスポーツ系とか)別行動を取るほうがよろしいかと存じます。いまどきはみなさん携帯電話をお持ちなんですから、だいじょうぶ、個別に散開してもまた会えるでしょう!

 うかうかしていると、なんだか夕方になってきました。

 まだ駅からほとんど離れていません。これでは時間と電車賃をかけて軽井沢にわざわざ来た価値がないような気がする。

 旅なれたひとりが、そろそろ宿の手配を頼んだほうがいいだろうと思いつき、駅の旅行センターにダッシュで走りました。しかしそこでは既に同じ考えらしいかたがたが山ほど列をなして、イライラ順番を待っているのでした。

 列の一番前のほうのひとに、窓口のおねえさんが応対しています。あっちこっちに電話してみては、「ざんねんながら」とか「あいにくですが」とかいっているみたいです。

 なにかよほどワガママな要求(犬といっしょに泊まりたいとか、クルマ椅子の年寄りがいるからそういうのに対応できる部屋じゃなきゃダメとか)をしているのかと思って耳をすましてみると、たんに、ふつうに親子四人が素泊まり一泊できるならそれでいいという要求に、なかなか答えがみつからないようです。

「北軽井沢のほうでしたら、ひょっとすると……問い合わせてみましょうか?」と窓口のおねえさんが言ったので、赤ちゃんを膝に抱いて疲れはてた顔つきの若奥さんがホッとしたようにうなずきかけました。すると、クレリックシャツの背中にうっすら汗を浮かべたダンナさんが、割って入ります。「待ってよ、ダメだよ北軽なんて! ありゃあ軽井沢じゃないよ。群馬なんだぜ! だいたい、こんなにこんじゃってる時期は、中軽から北軽までちょっといくだけでも大渋滞で、クルマで軽く二時間はかかるでしょう。ヌケミチなんかないんだから。てことは、タクシー頼んだってちっともこないし、代金もすごいってことだよ」

「パパ、おしっこ」クレリックパパの背中におんぶされた四歳ほどの児童がグズりだします。「しちゃった」

 この分だとへたすると夕飯も食べはぐれるかもしれない。旅なれたそのひとはイヤな予感を覚えます。旧道のなんとかいうお店にこの際是非いきたいとかって指定してるコがいたけど、はいれるのかしら?

 

 何がいいたいのかというと、「観光客さんの大半は、観光客がたくさんいる時、いるところに好んで行く」ということなのです。

「異常にこんでいる場所や時間の、特に異常にこんでいる場所や時間に、まるでわざわざ狙い撃ちでもしたかのように出かけて行くから、当然、ものすごくこんでいる。よって、軽井沢に来ても、自然より、すてきなお店より、まず、とにかくやたらにたくさんいる他のあなたそっくりの観光客を目にすることになりがちだったりする」ということなのです。

だからね。

なまじ軽井沢に行ったことのあるひとほど、わたしが口を酸っぱくして「過疎」だなんていっても、ニワカには信じられない気持ちがするでしょうが、それはあくまであなたがくる時の軽井沢がいつも「異常」だからで、しかもあなたはその「異常」の中心からそれたところを一度もご覧にならないから、なのよ。

 観光客さんさえいなきゃ、(そういう時期なら、そういう場所なら)ぜんぜんすいていて、確かにやっぱり過疎なのよ。

 

 「ちょっと軽井沢にいってこよう」と思いついたら、それが世間の一般の休日や休前日にあたる場合には、悪いこといいませんから、即座になんでも思いつく限り可能な限り、予約をいれてしまいましょう。電車、宿泊、食事、その他。ただし、イベントとイベントの間の時間はたっぷりみておくように。混雑している時は移動にはとんでもなく時間がかかるものですから。いまどきは旅雑誌、インターネットなどでいくらでも調べがつくはず。事前に予習なんかして出かけるのは興ざめでイヤ、というひとは、悪いこといいませんから、「他人さまがおよそ誰もいきそうもない特殊な時期」をしたたかに狙って出かけることにしましょう。

 好みじゃないホテルにムリに泊まるぐらいなら、いっそ潔く日帰りする手もあります。

 寝袋をもっていって野外エッチしてそのまま野宿しちゃえばいいじゃん、とか、夏なんだからクルマとめて寝ちゃえば、などという甘い考えはおすすめしません。特に自動車は比熱が高いので地面に寝るより凍死しやすいことをきちんと書いておきます。

 軽井沢町は「風俗営業」を排除しているので町内にラブホは(パチンコ屋さん、カラオケ屋さんなども)存在しませんが、国道をちょっといってとなり町に出ると、すぐにありますから(それらが集中してあることで町と町の境界線がくっきりとわかります)、ご心配なく。

 

地元民および常住別荘族がいったいどうやっているのかというと、このような異常なときには、世間のちまたに「一歩も出ない」のがなんといっても基本です。

連休だったら前もって食料や生活雑貨を大量に買出しておいて備蓄し、以後、異常な混雑時期が過ぎて平和な日常がもどってくるまで、家からでない。クルマに乗るような用事はなるべくしない。犬の散歩にいくと、146号線でべったり数珠繋ぎになって廃棄ガスを撒き散らしている他県ナンバーのバンの窓から、退屈しはてた奥さんが、ぐったり疲れたコドモさんたちに「あっ、ほら犬!」と指さしたりする。「わぁ五匹もいる!」「かわいー」「ボクあのちっちゃいのがいい(誰がおまえに選べといった)」「わたしあのダルマシアン(ちがう。コレはイングリッシュ・セッターだ)」なんだかやたら賑やかに話題になったりする。あまりの渋滞で、ただの犬の群れでも、野生の軽井沢ジモティでも、なんでも、ちょこっと変化があるととにかく嬉しくなるんでしょうねぇ。

あの渋滞の列の中に紛れ込むはめにはなりたくないっす。

クリスマスに軽井沢プリンスにスキーしにいくんだけど、ちょっと会わない? と、そこそこ親しいともだちに軽い雰囲気でいわれたりしたら(うんと親しいヒトなら、いまさらそんなこと言うはずがありませんから)「悪いけど、その日は先約があるの。楽しんでね!」と返事をする。是非ともなんとしてもムリにでも会いたい相手だったら、「ふだんなら20分もあればいけるプリンス」まで出かけるのには「少なくとも二時間半前」にはタクシーにウチにきておいてもらって出発します。自分のクルマだと、大渋滞に巻き込まれた場合に乗り捨ててダッシュできませんからね。冬は雪で運転を失敗するシロウトさんがまぎれこんでいる可能性もありますから、ほんとうに交通が麻痺する可能性もゼロじゃないんですよ。とうぜん、帰りも、そう簡単には戻ってこれなくなることを覚悟の上でないと出かけられませんね。

連休期間中にどうしても都内までいってこなきゃならないなんて用事ができてしまったら、真夜中や明け方に移動するか、とにかく「大勢」と反対に動くようになるべく努力します。つまり、ヒトが東京からヤマにドッと移動しようとする時期にヤマから東京に向かう分には、あまり問題が発生しませんから。

 

なんだかだんだん話が微妙にズレてきました。

過疎なイナカであるということがらもまた、人生や暮らしに密着した問題で、どうせさまざまな具体的な側面をもっております。過疎そのものには良いも悪いもないんですが、過疎ならではのいろんなことがらが起こる、そのことがらの中には、特定のひとにとっては、あまりにも衝撃的に意外だったり、とても耐えられなかったりすることもあるのではないかと思うのです。

そろそろ「家事、生活」部門にうつりましょうか。