ちびらのいたずら日記 (アナアキストとの戦い予告編) 十二月○日 年末年始にジロさんが来るかもしれないので、チャイとプーの階段訓練をはじめる。チャイは怖がって降りようとしない。プーは足が短くて、お腹が擦れるので降りようとしない。ベッドには飛び乗ったり飛び降りたりするくせに。びびる二匹の横で、ダイスケばかり、見せびらかすように、盛んにいったり来たりする。 十二月○日 洗濯ものを干していたら、チャイとプーが二階に来た。プーはひとりで降りられないので、きゅんきゅん鳴く。抱っこして降ろしたら、びりびり震えた。 十二月○日 プー、ひとりで降りる。うさぎ跳びの要領であるらしい。偉い! 十二月○日 朝目がさめたら、一番小さいチョビ(ハスキーのぬいぐるみ。四匹いる。全部種類と大きさが違う。二階の客間に飾ってある)がそこらの床に転がっていた。ダイスケがくわえて来たらしい。ヤマネちゃん(かつて存在したぬいぐるみ。マーロゥのおもちゃになり、はらわたを喰い千切られてご昇天なさった)の運命を思い出し、あわてて、ベッドのテレビ(天井ぎりぎりの高さにある。さすがの猫もここまでは滅多に昇れない)の横に安置する。 十二月○日 朝目がさめたら、小さい方から二番めのチョビがそこらの床に転がっていた。鼻のあたりがべしょべしょに濡れている。どうも、ダイスケが落としたのを、犬たちがくわえて来たらしい。あわてて、チョビ一家を、エキストラ・ベッドの上に運ぶ。見た目が可愛くなくなったけど、命にはかえられない。 十二月○日 朝目がさめたら、マーカス(ダヤンのおともだちのウサギちゃん。ぬいぐるみ)が、両方の目ん玉を抉りだされていた。目のなくなったとこから、パンヤがはみ出していた。ヒッチコックの『鳥』でカラスの両目をつつかれて死んでた男のひとみたい。すごく怖い。テレビの横に上げる。フェルトとボタンを買ってきて、目をつけてやらなくっちゃならない。 幾也くんが、階段の扉に鍵をつけた。これで、好き勝手に行来はできなくなる。 ジロは来れないことになったし……階段昇りなんて、訓練させなきゃ良かったのかなぁ? でも、やっぱりね、運動能力は磨いてやらなくっちゃよね。 十二月○日 買物から帰って来たら、枕さんがほとんど死んでいた。ソバガラがベッドじゅうに散らばっている。ぬいぐるみの歯ごたえが忘れられないのか。わたしが掃除して、幾也くんが、手術をしてくれた。枕さんのお腹は、じぐざぐの縫目でつながっている。 十二月○日 また枕がやられた。今度はふとんカバーも。急ぎ、ベッド・スプレッドを注文する。なにしろ、うちのおふとんはお高い羽根ふとんなのだ。引き毟ると鳥の羽根が出てくることなんかわかっちゃったら、目もあてられない。 十二月○日 雪が積った。プーもチャイも、はじめて見る雪に大はしゃぎ。全身で(プーの場合はむしろ、顔面で)ラッセルしながら走り回るので、くたくたになった。おまけに、少し雪を食べたから、冷えたらしい。 プーは新しい、きれいなブルーのベッド・カバーの上に、可愛いピーのうんちをした。冷えたらしい。 我ながら、偉いと思うのは、それをきっちり洗濯したってこと。紙で拭き取って、お風呂場で、古歯ブラシを使ってごしごし洗い、二回、洗濯機にかけた。犬たちと一緒に暮すようになる前のわたしだったら、間違いなく、即座に捨てたと思う。 十二月○日 またしても枕がやられた。ふとんカバーもやられた。この年末の忙しい時に、よくも毎日、余計なシゴトを増やしてくれるよ。 傷が大きいので、この前半分びりびりになってた枕カバー(それを捨てずに取っておいたってことが、既に何かの予感だったか?)を当てぬのにして、繕う。一時間かかる。あちこち、フランケンシュタインの顔みたいにしてから、洗濯する。全自動洗濯機と乾燥機がなかったら、どうなっていただろう! うちの洗濯機は『愛妻号』だ。むしろ、『愛犬号』と呼ぶべきか。 十二月○日 懲りない。枕だ。ソバガラがいっぱい散らばってる。シジュホスの神話、ということばが頭を過る。噛むオモチャは他にいっぱいあるのによー。はっきりいって、彼等は、ソバガラが出てくるのが面白いのだろうと思う。あるいは、人間の匂いがより強くするヤツのほうが好きなのか。ひとがいる時にはやらない、おいてきぼりにされてる時にやるから、一種のイジワル、アテツケなのか。 もう年明けまで買物には出ないから、あまりヒガイは広がるまいとは思うが……幾也くんが庭などに出ていて、わたしが地下で原稿を書いていると(あるいはコラムスをやっていると)結局、一階にほったらかしだから、やっぱりやるかもしれない。 枕の後ろ側(ソバガラの側)は裏地みたいな薄い布で出来ていて、ちょっと噛めば、簡単に穴があくのである。縫っても、縫目が逆に、布を引っ張って、裂けやすくしてしまいそうだ。 おまけに、夕べ、夜中の散歩に出かけた時、わたしは転んだ。坂を下ってる時に、ちびらがダッと走り出したら、止らなくなったのだ。地面が凍ってて、雪靴は少しぶかぶかだったりするから、踏ん張りがきかず、一歩ごとにどこいくかわからず、ジェット・コースターみたいで、ウルトラ怖かった。最終的に、チャイがはしゃいで目の前を横切ったのを避けたら、派手にすっ転んだのである。両膝と左手を撲った。左手の薬指が痛い。力が入らない。ワープロ叩くと涙が出る。膝の痛みはまだ鈍いけど、うっすらムラサキになっているようだ。 そんなこんなで、二階に昇って針箱を持って来る気力が出ない。がっくりと肩を落として疲れていると、幾也くんが、そんなものガムテープで止めればいいじゃないかと言う。カギザギをガムテープで止めるなんて、主婦のカザカミにもおけない奴になっちゃうけども、でも、はっきり言って『ああ、その手があったか!』と嬉しかった。意地になって、丁寧に縫ったって、テキはまだまだ諦めないだろう。毎日どっと脱力させられるよりか、いっそ、思い切って手抜きをしておいたほうが精神衛生によいような気がする。 ガム・テープを切ろうとしたら、左手に力が入らない。幾也くんに切ってもらう。破けた枕カバーその二を内側に、まだ大丈夫な枕カバーを外側に、二重に被せた。それで気がついた。うちの枕カバーって、全部、片っぽだけが閉じてある袋状で、あまりの部分を折り返して使う恰好になってる、だから、犬さんたちがちょっと振り回してると、中身が出てくるのである。 原稿が終わったら、頑丈な枕カバーを縫うぞ! しかし、ミシン踏む時には、あいつらにまとわりつかせないようにしないとなぁ、怖いなぁ。 早くイタズラがやんでほしいと思う。 でも。 愛するって、相手のそのままを受け入れることだ。自分に都合のいいようなヤツであって欲しいと思うことではないはずだ。バカでピーで悪くてイタズラでも、うんち拭かされても枕縫わされてもウサギさんの目抉られても、可愛いものは可愛い。どーしよーもなく可愛い。 シツケの係は、幾也くんのほうが向いてると思う。ちゃんと厳しく言えるもの。お行儀がよいこに育たないと、ひとまえに連れてけなかったり、変にねじけた性格になったり、結局彼等が不幸になるのだと頭ではわかっているけど、わたしはどうも態度が一貫しないからなぁ。フェミニストのひとに怒られるかもしれないけど、やっぱり、男のひとのほうが社会的だと言うか、理性的だと言うか、感情はとりあえずあっちにおいていっぽん筋を通すのが得意なような気がする。叱る時には叱る顔をして叱る声を出し、誉める時には誉める顔をして誉める声を出せるから。「だめ!」とひとこと言うのでも、あたしは「あん、こらこら、だめでしょー」になるか、「バカッ、ダメじゃないかっ、キィィィッ!」ってなるか、自分の感情を表出するほうに、ついついウェイトがかかってしまうから。どっちにしろ、コドモに正しい意味を伝えるには相応しくないのだ。 だから、人間のこどもも、おかあさんばっかりが育ててはいけないんじゃないかと思う。どんな家庭でも、できるだけ、男のひとが、いっぱい手を貸してあげたほうがいいと思う。そうして、こどもは、たぶん、父親から理性を、母親から情緒をならい、受け継いでゆくのだ。かたっぽだけ発達してしまうと(それがどんなによく発達しようとも、それゆえにこそかえって)バランスの崩れた人格になってしまうだろう。 うーむ。 犬育てるのってのも、勉強だなぁ。 どうか来年は、人類の赤ちゃんが恵まれますように。
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