こわい話

 

 深夜、とある田舎道で、ある男が猫を轢いてしまった。まだ乳離れしていない子猫を連れた親猫だった。

 幅の狭い、暗い、一本道だった。かえるの合唱がかまびすしく聞こえていたところからすると、両側がたんぼだったのかもしれない。男は不案内だった。長時間ドライブをし続けて、はなはだ疲れていた。前の車が曲ったのにつられて、国道を外れたらしい。前の車がどこへやらいなくなってしまうと、あたりじゅう真っ暗になった。山あいなのか、NHKラジオさえ、うまく受信できなかった。なんだか、文明社会から遥かに遠く離れてしまったようで、男は不安だった。朝までに家に帰りつかなければならない。だが、この道は行止まりではないのか? 苛立たしさのあまり、必要以上に飛ばしていたのかもしれない。ヘッド・ライトを浴びて立ち止まった母猫の瞳がふたつ、こちらに向けてきらりと光った瞬間、我にかえって、あわててブレーキを踏んだのだが、止り切れなかった。がつん、と衝撃。

 男はハンドルに両手を乗せたまま、息を殺し、考えた。耳の底には、急ブレーキの音が猫の悲鳴となって木霊している。降りて、様子を見ようか。だが、死んだ猫など見たくはなかった。大怪我をした猫でもだ。おまけにあたりはひどく暗い、車のライトの当たっている前方はともかく、後方ときたら。脇の下に、じわり、と汗が滲んだ。バックミラーの中には、塗り込めたような闇が広がっている。この濃い夜の中に、ひとりぼっち、出てゆきたくはなかった。人気のない見知らぬ道だ。そんなところに降りたつのは、まるで、すっ裸でおもてに出るようなものだと思った。

 男は静かに息を吐き、息を吸った。許してくれ。急に飛び出して来たおまえがバカだったんだ! ……いや、たいしたことじゃない。何もなかった。忘れよう。そうだ俺は何もしていない。轢いたなんて錯覚だ。うそだ。悪い夢だったんだ。このまま走って行こう。そうして何が悪い? ハンドルにかかったまま硬直していた指を、一本一本動かしてみる。動く。

 男は窓を閉め、冷房を強めた。煙草を取り出し、火をつける。一服吸い込むと、その切っ掛けを待ってでもいたかのように、男の腕が自動的にギアを入れ替え、男の足がアクセルを踏み込んだ。車内に紫煙が広がるにつれ……そして、事故現場から遠ざかるにつれ、不穏に轟いていた心臓がゆっくりといつものペースに戻って行った。やれやれ。ひどい目にあった。前方に、Y字に交差する広い国道が見えた。明るい。少なくとも、この道よりは。百倍も明るい道に出られる! 

 男は笑った。パチリとウィンカーを出し、鼻歌まじりに、交差点に進入した。火のついたままの煙草が、あっと開いた唇に一瞬ひっかかり、次にぽとりと落ちた。眼の前を、黒猫が過った。子猫を咥えた親猫だ。恐怖にかられ、男はハンドルをめちゃくちゃに降り回し、金切り声で叫んだ。腿に、そしてシートに落ちた煙草が燻った。耳をつんざくブレーキの音。それとも、これは、猫の悲鳴? 猫は、大きく大きくなり、やがて……。

 前を走ってたのは……

   

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 くろ猫ヤマトの宅急便だった。

 

(……釈明します。ごめんなさい。ヤマト運輸さんには、お世話にこそなっておれ、恨みなど、全くありません。ある意味で悪者になっていただいてしまって、ごめんなさい。誹謗中傷する意図はまったくありません。可愛らしいあのマークすら、うっかりネコを轢いてしかも助けてあげられるチャンスをわざと逃すような極悪人にはコワイものに見えてしまう、そうしてバチがあたるんだぞー! ……という、そういう話です)