捨てないで!

 

 けれど。

 前の項をお読みになったかた。ご不要の犬猫を、けして、波多野家にプレゼントしようなんて思わないでくださいませよ。

 いくら大好きだって、日本中の不幸な動物たちを、全部飼ってあげることなんてできません。うちには、もう、充分すぎるほどの量の動物たちがいます。

 たまたま巡りあってしまった子たち、うちに来る縁だったコドモたちは、やっぱりほうっておけないかもしれないけど(こないだもねぇ、ご近所の石井さんが遊びに行った先の公園で見つけちゃったって6匹の子猫たちを、石井さんと一緒に捜しに行ったんですよ。でも、行ってみたら、もう別の誰かに拾われちゃったらしくって、いなくなってたのね)、タニンの縁まで抱え込むことはできないのです。

 ここで、あたしは、お願いします。

 日本じゅうの、犬猫その他動物好きのかたに、お願いします。

 捨てないで!

 お願い。絶対に、絶対に、絶対に捨てないで。

 飼ったなら、死ぬまで飼ってあげてください。どうしても飼い切れないのなら。

 いっそ。殺してください。

 『別れろ切れろはゲイシャの時に言うコトバ』……みたいだけどね。これは、タトエばなしじゃなく。大マジです。

 殺しなさい。あなたのその手で。さぁ、殺れるもんなら、殺しやがれ。

 そんなに邪魔だと言うんなら。もう一緒に暮せないと言うのなら。ずっと、その子を可愛がっていた、あなたのその手で殺してごらん。ナイフを血に浸して、ぴくぴく鼓動する小さな動物の命を握り潰して。どんな方法でもいいから、やってごらんなさい。気持ち悪い? 怖い? 痛い? だったら、そんなこと、他人にまかせていいわけないじゃんか。やらなければならないことは自分でやる、それが愛です。責任です。飼うということに、当然伴う責任なはすでしょ。

 獣医さんだって、人間です。たいがい、やさしい、あったかい、素敵なひとです。関係ない殺しなんてやりたいわけない。彼等は、生かすための、生き延びさせるためのプロで、殺しのプロではない。だから、獣医さんに頼むのは、卑怯でズルでヨワムシです。あたしが獣医さんだったら、そんな迷惑、ぜったい引き受けない。

 ねぇ?

 自分のその手で殺すぐらいなら、とにかく最後の最後まで面倒をみようって思いませんか?

 

 犬猫(その他、はうっとおしいから以後省略しますが)に愉しく天寿をまっとうさせるには、とにかく、まず、こいぬこねこの時から、その性質にふさわしい健康的な生活を送らせてあげなくっちゃです。

 犬、猫、とひとことで言っても、いろんなやつがいますからね。動物のほんとうについて書いてあるちゃんとした本や雑誌をいっぱいよんで、いい獣医さんの話に真剣に耳を傾けて、サイトもしょっちゅう見て、あなたの犬猫にぴったりの生活をさせてあげる……努力をするのがいやなら。飼うんじゃねーぞ! 

 忘れてるひと、ちゃんと知らないひとが多いんじゃないかと思うんだけど。

 犬も猫も、もともと肉食動物です。雑食ではありません。少なくともコドモのうちは、そして病気や怪我で弱っている時には、ごはんにおみそ汁かけたヤツじゃ絶対ダメ。一般に彼等はデンプンを充分に消化できる酵素がないので、どんなにいっぱい食べても栄養になりません。

 うちの犬猫の基本の食事は、ごく薄味で煮た肉(牛・豚・鶏・羊・馬などなんでも。安くても、新鮮なものを。スジ肉やアバラの骨つき、内臓もオッケイ。たまに、ショルダー・ベーコンやハムの余りを、よーく味を薄めてあげることもある。ただし鶏の骨は鋭く裂けて胃に穴をあけちゃうので、絶対にダメですよ)、カルカン、鳥のレバーの水煮缶、それと、ドライ・フードです。昼前と、夕方と、二回、やります。猫ドライは一日じゅう、あるようにしておきます。

 知りあいのブリーダーのおじさんは、自分の愛犬には、牛の赤身しかやったことがない、それが一番だしそれだけで充分だ、と言ってました。塊りのを買ってきて、冷凍しておいて、すこしずつ解凍して使えばそんなに高くない、そうです。

 市販のペット・フードも、できるだけ、妙な成分の入ってないやつを選びます。オヤツ用のの犬ジャーキーは、残念ながら、日本国内産のはたいがい不気味な赤い色素が含まれている。池袋西武デパートの屋上ペット売場にある、アメリカ製のお高いやつ(たしか、ひと袋1300円ぐらい。人間のジャーキーよりゴージャス! でも、こいつは人間が食べてもうまい。最初、ダンナが買ってきた時、あたしゃ知らずにビールのツマミにしてしまった)は、大丈夫。でも、こんなゼータク品は、ごくごくたまに、ピクニックにでかけた時とかにしかやりません。

 幼児用塩気の少ないチーズという素晴らしい製品がある。これは幸いにも、そこらのスーパーで売ってます。ご褒美オヤツやお散歩がえりのスナックに、うちでは、、もっぱらそれを愛用しています。

 うちは家の中で飼ってるので、人間がごはんを食べてるとよって来ますが、なんでも好きなだけやる、というようなことはしません。魚の小骨、あまりの肉などを、よーく口の中でしゃぶるか、いっそ水で洗って塩気を飛ばしてから、やります。タマネギのきいたハンバーグや、味の濃い中華炒めなどは、欲しがっても、やらないほうがいいらしいです。得に、生のタマネギは、すごく危険です。

 ヤマメの塩焼とか子羊肉のオーブン焼きなんかだと、うちでは、はじめから塩をふらないで作ります。人間が食べるときに物足りなかったらタレをつけて食べればいい。でも薄味に慣れると人間の健康にもいいよ。ダンナの釣って来た天然モノの魚は、わんにゃんにも大人気。猫にしては魚嫌いなまーちゃんでさえ、骨から尻尾まで全部たいらげちゃいます。やっぱ、釣り立ては、美味しいんだねぇ。

 トンコツ一本五十円もありがたい。ちょうど浅蜊のワイン蒸しを作るような具合に水で蒸して、よーくさましておいて、あげると、まぁみんなガシガシよろこんで齧ります。オモチャ兼用ゴハン、お安いし、歯もじょうぶになるし、蒸したのこりのダシ汁は、人間の食べるラーメンとかのスープにしてもいいし、あんまりいっぱいじゃなかったら、犬さんゴハンのダシにもグーです。ゴリゴリ齧ってるうちに、あっという間に、塩酸にでもつけたようにまっ白になっちゃって、それから、バキボキに折れて、どんどんなくなってく。見てるだけで、気持ちいいよう(ただしわんこの中には歯の質が弱くてトンコツでどんどん削れちゃうコもいるので注意)。

 でも。うちは全面的に木のフローリングだからいいけど。畳みやじゅうたんじゃ、こういうもの、やれないよねぇ。あと始末が大変だもん。

 猫もそうだけど、特に犬を家の中で飼いたいと思うひとは、家じゅうみんな、お掃除の簡単な床にしておいたほうがいいですよ。雑巾でふけば汚れが取れるようなやつに。

 犬さんたちは、調理パンがけっこう好きです。パン部分は、彼等には消化の苦手なデンプンですから、あんまりいっぱいやらないようにします。うちの飽食してるはずの犬さんたちが、おヤツとしてよろこんで平らげてくれないような『できあい』は、何が入ってるやら、怖いので、わたしたちも食べないことにします。  

 後記……最近のわんこらのお気にいりオヤツは「ササミ巻き棒ガム」です。

 とにかく。

 食事はカラダの基本です。病気にならない、元気で毛ツヤのいい子に育てたかったら、手間やお金を惜しんではいけない。消化不良は体臭口臭のモトだし、カロリー過剰による肥満はまさに健康の大敵です。

 安い、お手軽な、よくないものをいっぱいやるくらいなら、厳正品質のものをすこしやるほうがずっとマシです。

 それから。生活。運動。

 猫は、生活圏内に、昇ったりひっかいたり隠れたりして遊べるところがあれば、また、複数で飼ってれば、外に出さずに暮させても平気みたい。ていうか都会では、おんもに出しているネコさんの猫エイズ保有率はほぼ100パーセントだそうです。コネコの頃から出さないようにしちゃうのが一番いいんじゃないでしょうか。

 たいがいの犬は、いっぱい散歩をしてあげないと不幸。いくら可愛い犬小屋があって雨ツユがしのげても、何日もつなぎっぱなしにするなんて、言語道断だよ。

 昼間、家族のひとたちがみんないなくなっちゃうマンションなんかじゃ、ほんとうは、犬は……特に一匹飼いは、あきらめたほうがいいと思う。一生夜にしか散歩してもらえない、めったにお陽さまをあびたり風を感じたりしたことのない犬なんて、あんまりかわいそうだもん。

 これはいろんな主義のひとがいるかもしれないけど、波多野先生は、猫に胴輪をつけて散歩させるのは無理だと思っています。なにしろ、あいつら、高い狭い細いとこにどんどん行きたがるからなぁ。おもてに出せば、ノラにやられちゃう可能性もあるし、病気とかももらって来ます。よそんちの篭の鳥などにオイタをするかもしれない。

 住宅密集地では、ご近所のひとの共感や理解が必要だろうし、うちみたいな山んナカじゃあ、キツネやタヌキのエサになりかねないし。難しいね。もともとノラの子を居候させてる場合は、『飼ってる』ってのと違う、『時々コミュニケーションする』ってことなんだろうか。

 犬さんと猫さんの、『飼われてる』って自覚(?)、飼い主に対するアプローチって、ほんと違うからねぇ。

 

 それにしても、犬の運動に対する配慮って、ずいぶん甘いんじゃないかと思う。

 特に。

 流行りのハスキー。

 ありゃ、閉じ込めて飼う犬じゃあないですよ。たんと走らせてあげないと、骨やら筋肉やらが正常な発達をしないんだって。これは波多野先生が、ハスキー欲しかったわたしに『甘い考え』を捨てさせるためにワザとオーバーに言ったのかもしれないけど、成長期には、一日二十キロがノルマなんだって。

 走るんですよ。二十キロ。車通りの激しい、害になる成分のいっぱいある空気の漂う道を人間のペースにあわせてのんびり歩くだけじゃ、ダメ。

 他にも、いい肉をいっぱいやらなきゃならないとか、あんまり流行りすぎて、無理なブリーディングをやっちゃって、よくない性質のがふえてるとか、いろいろ言われました。肉はね、つまり食費はまぁがんばればいいし、性質は顔みれば好きな子かそうじゃない子かわかるだろうとは思ったんだけど。この、散歩っちゅーのが。

 たまならねぇ……一ケ月にいっぺんや二へんだったら、山奥に連れてって自由に掛け回らせてあげられないこともないけどさぁ。普段は。

 こいぬたちを、うちでは、一日三回は外に連れ出します。朝起きてすぐ、夕方暗くなる前、夜寝る前。雨が降ってたりすると短いけど、朝晩が二十分程度のオシッコ散歩、昼間は山道を三キロから五キロくらいかな。それでも、あいつら、全然へばんないもんねぇ。たまの長散歩や、ひとの来ない山道ではなしてやったりすると、ばびゅーんって走って走って走って走って走るもんなぁ。

 この程度でも、毎日続けようと思うと、けっこうしんどい。うちは、ふたりしかいないから、どっちも〆切前とか、風邪ぎみでへばってたりすると、ほんのちょっと申し訳だけのおでかけになっちゃったりする。

 それ以上ってのはねー……いや、あたしゃさいきん太っちゃいまして、毎日二十キロジョギングの友ができると、すこしはいいかもしれないんだけどさ。

 とにかく。一応、チョビは、いえ、ハスキーは諦めて、ヌイグルミ集めてガマンしたの。

 そんな大変な犬を、あの住宅事情の悪い東京で、飼うってのは、こりゃ大変どす。なにしろ、どんどん大きくなるし。ほとんど飼い切れなくなっちゃってるひとも、少なくなないようですが……捨てないでね。捨てちゃだめだよ。人間修養だと思って、どうか、しっかり育ててあげてくださいまし。

 

 それから。

 ヒニンの手術について。

 ヒニンなんて可哀想! せめて一回ぐらいはサセてあげたい! ってひといますけど。

 絶滅間近な動物さんならともかく。

 猫も犬も、一回のソレで、一気に四・五匹も増えるでしょ。その子たちのそれぞれを全部一回ずつサセてれば、数年のうちに、家いっぱいになりますぜ。けして捨てない、邪魔になったからって他人に押しつけない原則からして、うちでは、すべての犬猫さんを可能になり次第即座にヒニンします。土屋先生は、この手術がすっごくお上手で、ほんとうにありがたいです。どの子も家に帰って来たその日ぐらいは、ちょっとグッタリしてますが、すぐに元気に撥ね回るようになります。まったく問題ありません。

 ヒニンは、すこしも、可哀想ではありません。そりゃちょっと痛いかもしれないけど、病院に連れていかれて怖いかもしれないけど、でも。予防注射が可哀想じゃないように、ほんとうの可哀想じゃない。

 

 『可哀想』ってことば、あたしは、時々、ちょっとキライです。

 『可哀想』だって思ったとたんに、ものごとの本質が見えなくなること、ありません? 視野狭くなっちゃって、遠い先のことじゃなく、目の前のことにばっかり考えがいっちゃって。

 遠藤淑子さんの『退引町お騒がせ界隅』(花とゆめコミックス)の十二話めの、ロクの話、大好き。

 飼犬のロクが死んじゃって、落ち込んだ明子ちゃんが、

「わたしもう動物飼わない。死んだら動物がかわいそうだもん」

 って言うと、おにいちゃんが、言う。

「死んだらかわいそうなのは動物じゃなくて、自分がかわいそうなんだろ。かわいがってた動物が死んだら悲しいのはあたりまえだ。死んじゃったら、いっぱい泣いてやらないと、それこそかわいそうだ」

「また何か縁があって、行くあてのない犬がいて、気が合いそうだったら、うちに来てもらおう。ロクにちょっと似てたらいいな。大事に育ててかわいがろう。いつもかゆがる首輪のところは堅いブラシでこすってやって、誕生日にはごちそうをあげるんだ。

 でも、時々はロクのことを思い出して、ああ、あの犬はかわいかったね、とってもかしこい犬だった、大好きだったって、話したりしような」 

 ……あううう。書き写してたらまた泣けてしまったよぉ。

 ああ。犬を飼うひとの全員が、このおにいちゃんみたいな気持ちをもってくれてたらいいのに。そうしたら、ほんとうに可哀想な犬なんて、日本じゅうに一匹もいなくなるのに。

 

 ヒニン手術をされるのと、うっかり増えちゃったり、貰い手が見つからなかったり、飼い切れなくなったりして、捨てられるのと、どっちが可哀想ですか。ヒニン手術をするのは、この先、可哀想になる犬を増やさないための、しょうがないことがら。どんなに可愛がっていても、生き物ならば、いつか死んでしまうのも、しょうがないこと。それとは、しょうがなさのレベルがちょっと違うけど……より、人間の都合にあわせたレベルになっちゃうけど、しょうがないってことに関しては、ま、同じだと思うんです。

 『死んだらやだから飼わない』って間違いと、『可哀想だから手術しない』って間違いも、やっぱりレベルが違う。『死ぬのを見たくないから飼わない』のは人間の勝手だけど、いったん飼っちゃった犬さんには、実は、死ぬかもしれない、いや100パーセント確実にいつかは死ぬ、そのことも含めて、面倒見るぞ、って覚悟を持ってるはずだ。なまじ『痛い思いをさせるのは可哀想』だなんて怠慢をしてよりいっそうの悲劇を引き起こすより、こころを鬼にして、ヒニンしたほうがい。と、あたしは思う。

 反論、あるかもしれない。

 たとえば……そうだね。子供を作るほうが自然だ、増えてゆくほうが生き物の自然だって意見があるかもしれない。でも、犬猫は、もう手つかずのほんとうの自然じゃないよ。人間と一緒に暮してくほうがあたりまえな生き物。大ジャングルで野生化した連中ならともかく、ペットとして飼っている生き物を、天然自然に生息している動物たちと一緒くたにするのは間違っていると思う。

 波多野さんのお馴染みの乗馬クラブ『アルカディア』は富士山の裾野で、広大な土地を持ってる。そこでは、おおぜいの犬さんたちが、半野生化して暮してる。どこから来たやら、もとは飼犬の血統なんでしょう、みんな人間が大好きで、人間がいると寄って来て、撫でてもらったり、エサをもらったりしてる。犬ランバダを踊って、好き勝手に増えたり減ったりしてる。

 飼犬と違うのは、飼い主としての人間を誰か持っているわけではなく、犬の群れで秩序ができてるってことです。彼等は平和で充足しているから、人間や馬やなんかを、噛んだり襲ったりしないからいいけど。こんな暮しのできる犬は、そう多くはなかろう。都会で野生化して集団になったりすると、危険きわまりないから、保健所がいやいやながら、あんなことしなきゃならないんだからね。

 それから。すごくいい血統の犬や猫は、やっぱり、絶やしちゃいけないだろう。あたしはショウ・ドッグやショウ・キャットのことはよくわからないし、はっきりいって、別にわかりたくもない。投機として犬や猫を飼うひとも、そりゃ世の中にはいるでしょう。でも、投機なら投機のルールがあるだろう。無駄に増やして、そこらに捨てたりはするわけがない。だから、ぜったいに捨てないんなら、別に、ヒニンなんかしなくったっていいですよ。

 こいぬやこねこは可愛いから? 飼ってるのが大きくなっちゃったら飽きてきて、やっぱりこいぬやこねこが欲しくなる? うん、それはあるかもしれない。だったら、増やしてもいいです、でも、増えたのの全部に責任を持ってください。つまりは、そういうことです。

 

 少なくとも。

 犬猫を、自分のワガママで簡単に捨てる奴は地獄に落ちるぞ。落としてやる。

 将来、あたしが死んだら、そういうルートがあったら、とっとと昇天なんかせずに、いったんきっちり幽霊になって、犬猫にひどいことするヤツしたヤツに、かたっぱしから祟ってやるッ!

 どんな理由でも。たとえば。赤ちゃんができた、引っ越しが決った、それをくれた彼と別れた、ひどくみっともない病気になった、ヨボヨボで迷惑な奴になった、可愛くなくなった、オシッコやウンチを垂れ流すようになった、人を噛んだ、世話をするはずの人間が入院した、その他その他……どんな言い訳があろうとも。

 どんなにいい環境にでも。たとえば、いかにも住みごこちのよさそうな公園、いかにもひとのよさそうな人間の玄関の前、広々とした別荘の立ち並んだ軽井沢、その他その他、お宅よりどんなによさそうに見えても。

 猫缶をつけようが、ご愛用のタオルをつけようが、よろしくお願いしますの札をつけようが。

 とにかくなにがなんでも。

 あなたになついて、あなたを愛して、あなたを頼っている犬や猫。あなたの生活、あなたの暮しかた、それを自分のルールだと思っている犬や猫。そんな犬や猫を、あなたから切り離さなければならないと思うなら。

 殺しなさい。

 他人におしつけずに。

 殺すことの罪よりも、単に見捨てることの罪のほうが、ずーっとずーっと重い。殺せば、ああ、殺しちゃったなぁと思う。なんて可哀想なことをしちゃったんだろうって、どうして殺さなきゃならなかったんだろう、ほんとうにダメだったんだろうか、なんとかできなかったんだろうかって、苦しむはずだ。

 でも。

 『どこかの誰かに可愛がってもらってね』なんて無責任なこと言うようなやつは、そのことに、たいした罪悪感をもちゃあしまい。

 あー、いなくなった、楽になったと思って。また飼って、また捨てるんでしょう。また、どっかのペット・ショップで可愛いこいぬみつけて、いやーん衝動買いしちゃったー。って。また、やる。永遠にやる。そういう親に育てられたこどもも、同じことをやる。

 川原で拾って来た犬をパパがダメって言って、一緒に、もう一度川原に、捨てにゆきました。パパは帰りにアイスクリームを買ってくれました。いつか、アパートじゃなく、大きな家に住めるようになったら、きっとかわいい犬を飼ってやるからなと言いました。

 ……ううう。ちくしょう。わかってる。ほんとうに悪いのは、政治だ。いくらいっしょうけんめい働いても、犬一匹自由にかえないアパートにしか住めないようなこの国だ!

 でも、パパ。それはだめ。それをやっちゃだめ。それは偽善、それは無責任。こどもにそんな自分を見せちゃいけない。

 あなたのこどもに、馬鹿野郎になって欲しくなかったら、飼ってくれるひとを捜しなさい。必死で。アパートの大家さんに頼みなさい、飼わせてくれって。必死で。それでも、それでもだめだったら。その犬が死ななければならないのは、他でもないあなたの責任であることを噛みしめながら、その手で殺しなさい。それをみたこどもが、その残酷を、捨てる残酷よりもまだましな、しょうのない残酷なのだと理解できるような年頃だったら、それをこそ理解させなさい。それが父だ。それが男だ。

 違う?

 

 こないだテレビで見た。

 血統書つきの犬っていっても、日本には血統書の種類がいろいろあって、インチキみたいなこと、多いぞ、って。よくないペット・ショップだと、わざと、ちょっと問題のあるヤツを売っちゃうこともあるようだ、って。消費者のみなさんは注意しましょう、だって。

 その番組に、私は被害にあいました、みたいに出て来たオバサンがいた。買って来た犬が、病気っぽくって、獣医さんにみせたら、これは治らない、ペット・ショップの管理が悪かったんだって言われた、それで、店に、とりかえてもらいにいったら、前の犬より高い犬しかいなかったので、何万円だか、差額を払わされた……うんぬん。

 あたしは胸がつめたーくなった。

 とりかえてもらう? 不良品として?

 だいたい、犬を飼う人間は、消費者なのか?? 消費するのか?  

 こんな飼い主に飼われた日には、犬もほんとに不幸だぜ。だって、愛なんてないじゃないか。自分の都合しかないじゃないか。

 そりゃ、ペット・ショップも悪い。もちろん悪い。クレームをつけるのは正しい。テレビにでも、消費者団体にでも、できれば、厚生省にでも環境庁にでも訴えて、そういう、商売のことしか考えてないような店とその経営者からは、生き物を扱う資格を永久に剥奪するべきだ。だいたいNHKはそういう時に、その店の名前出さないんだもんなぁ。出せよー。出すべきだぞー。

 でも、ペット・ショップのよしあしなんて、ちょっと真面目に観察すれば、すぐわかるんじゃないかしら。店の人間の態度、店内の掃除のぐあい、犬や猫の健康状態。見抜けないのは、見抜けない人間にも、ぬかりがある。

 クレームをつけるのは正しい。そうして、相手が口先だけのゴメンナサイですませないように、たとえば、犬さんの治療費の一部をぶんどったらいいと思う。でも。

 とりかえる?

 とりかえる? 別の犬と?

 じゃあ、最初の犬はどうなるの? もうすこしマヌケな別の人間に売られるの? ペット・ショップの裏の倉庫でそのまま病気が重くなって死んでゆくの? 

 その犬を助けてあげられるのは、あなたしかいなかったのに。あなたなら、少なくとも、その犬のいま持っていた寿命の全部を、最高幸せにしてあげられたのに。なぜそうしようと思わないの? なぜ、捨てるの?

 ああ。そんな奴でも、お金さえ出せば犬を飼うことができるだなんて。

 なんてひどい世の中。なんて気のどくな、犬たち。

 

 殺すのって、けして簡単じゃないよ。

 あなたは愛する犬の頭を石で殴れますか。大好きだった猫を水に漬けることができますか。

 しつこいようだけど、それができないなら、どんな苦労をしても、飼い続けるべきだし、どうしてもどうしても、どうしても無理なのなら、あなた以上にその子を可愛がってくれる誰かに頼むしかない。

 そこらへんに放り出して、そんないい飼い主を、その子がちゃんと見つけることができるはずだと思い込むのは、やめてください。世の中がそんなに甘くないものだってことは、あなたはよーく知ってるはずじゃないか。

 その子には見つけられない。だから、あなたが捜して、あなたが頼んであげるほかない。

 頼んだら、たとえば、遠くからでも、できる限りの援助をすること。お金のことじゃないよ。気持ち。こころ。あなたの熱心さが伝わったなら、相手だって、けしてその犬猫をぞんざいには扱えないでしょ。そういうこと。

 

 何かを殺す覚悟なしに動物を飼うことなんてできない。

 

 そうして。同様に。

 さっきのパパじゃないけど。

 万一通りすがりに捨てられた犬猫を見つけてホダサレてしまったら、ほんとうにほんとうに可哀想だと思うなら。

 どんな犠牲を払っても、ちゃんと育ててあげてください。誰かに譲るのだとしたならば、ちゃんと話をして、ちゃんと飼ってもらえるひとにあげてください。

 そのひとに、ここんとこを読ませて欲しいです。もしトモダチじゃなく、犬猫を譲渡することではじめて知合いになった相手に頼むことになるのだったら、できれば、ただでじゃなく、相手から、お金を貰うことです。できるだけ、高いお金を貰って、譲ることです。

 なぜなら、ただで貰ったものを大事にしない人間って、けっこう多いからです。たとえば、ペット・ショップで十万円で買って来た犬さんなら、ちゃんとゴハンも食べさせるし、散歩も行くし、旅行の時はペットのホテルに預けるし、病気の時にはお医者さんに連れてってあげるでしょう。でも、タダでもらった犬だと、残りものをやって、つなぎっぱなしで、しばらく人間がいなくなる時には、てんこもりのゴハンに蝿をたからせて、そんで具合が悪くなったら捨てちゃうんだ。きっと。

 ペット関連のいろんなものは、安くありません。重い病気で入院なんかしたら、十万円かかっちゃうかもしれない。

 世の中には、十万円の犬に、さらに十万円負担がかかったとたん『もう、これ以上はできないから、安楽死させてください』なんて主張するひともあるようです。獣医さんの本で読みました。わりと、疑問も感じずに、そうおっしゃるんだそうです。あああああ。頭がパニックしちゃう。

 いったい、どういうつもりなんでしょう? イノチをなんだと思ってるんだよ。そんな奴、生き物を飼う資格なんかあるわけないじゃんか。ほんといって、人間の、自分の、子供も作っちゃいけないと思う。ぬいぐるみを抱っこして暮してりゃあいいんだ。電池が入って動くオモチャで遊んでればいいんだ。

 さぁ、もう口がすっぱくなってるけど、もう一回言います。

 殺すんなら殺しなさい。それは、実は、いつでもできることです。ヤダなと思った時に、すぐにだってできることです。でも、必ず、あなたの手でやること。ほんとうに、自分がそいつを殺さなければならないくらい、そいつが邪魔なのか、いらないのか、あなたはあなたに、はっきりと問うべきです。

 ペットを飼うにはいろんな理由があるでしょう。寂しいから、可愛いから、カッコいいから、流行ってるから。家畜っぽい動物(たとえば、ニワトリとか、馬とか、牛とか)なら、役にたつから、という理由もあるだろう。うちのウズラなんか、いずれごちそうにするためにと、犬の訓練のために、飼ってたりするし。

 けれど、いちばん素敵な理由は(と、あたしが考えてるのは)その子に、自分が必要とされてるから、って奴じゃないでしょうか? 

 世の中に、地球の上に、天文学的にたくさんの犬や猫や鳥や魚やいろんな動物がいて、あなたやわたしの知らない奴らもいっぱいいっぱいいて、みんなそれぞれにかけがえのない生を生きてるわけです。その星の数ほどの動物たちの中に、あなたを、あなただとわかってくれる、あなただから愛してくれる、慕ってくれる、大好きでいてくれる動物がいる。それって。

 ねぇ? 

 すごいことじゃない。

 そう考えると、あたしは自分が小さな小さなゾウリムシか何かになって、あったかくて、とりとめもなくでっかいでっかい海に、ぷかぷか浮かんでるような気がします。あたしはちっぽけです。あたしにできることなんて、ほんのちょっとだけです。でも、あたしはここにいます。

 あたしはここにいます。

 ほんの刹那、世界はあたしに場所をくれたのです。

 そして、あなたはそこに、彼等は彼等の場所に、みんな同じようにいるのです。

 

 もし、行き場のない犬がいて、気が合いそうだったら。

 うちに、来てもらって。

 一緒に暮したい。一緒にあじわいたい。

 この儚い、短い、有限の、でも、だからこそ輝くような時を。

 

 ね。

 たとえば、お夕飯のあと、ぼーっとお酒なんかのんでる時に。

 そばに犬たちがいて、ごろんと横になっていて、いかにも幸せそうに、満足そうに眠っている。

 それって、すごく、すごく、すごく、もうほとんど泣きたくなっちゃうような、素敵で大切な時間だよ。

 エステートを乗り熟すのも素敵だけど、エステートの必要な暮しをしてるのは、もっと素敵なんだそうですが。

 あなたの犬がとっても幸せそうだったら、それは、あなたがとてもとてもほんとのほんとに、幸せだということです。

 

 幸せな犬のいる幸せ

 

 俳句にもならんが。ほんと。そんな感じ。

 

 んだからどうぞお願いします。

 その幸せを捨てないで