嘘じゃないウソの話

 

 それは、有楽町の駅構内に、なんとかいう手作りクッキーのお店が開店した日でした(だって、あんまりいい匂いだったから、思わず買ったら、『今日開店なんです、どうぞヨロシク!』って言われたもん。でも、有楽町へは、波多野先生の皮膚科のお医者ゆきのツキアイだったから、それ以来一度も行ってない。JRの職員さんのセカンド・ビジネスっぽかったあのお店、どうなったろう? ほんとに美味しかったぞ)。

 北千住の駅に行ったのは、私ははじめてで、なんか、やたら地の果てに来てしまったような気がした(北千住のひと、ゴメンナサイ)。

 駅からまっすぐ日光街道に出て、右折。それから、まっすぐ。なのに、『鳥信』という、小鳥の専門屋さんは、ちょっと捜しにくい、はずれのほうにありました。

 なんで『鳥信』に行くことになったのか、私はよく知らない。とにかく、波多野さんが、いつものように、何か欲しくなって、あちこち電話して、どうもそこじゃなきゃ手に入らないらしいってことになって、行くって言って、ついてった訳です。

 で。ついてってみたら。

 まぁ、いるわいるわ! 鶏の類、インコの類。カナリア、文鳥、九官鳥。メジロやオシドリ、紅雀。相思鳥、なんてロマンチックな名前の小鳥さんは、ちゃんとツガイでひとつの篭に入ってます。

 ぴーぴー、チーチー、コケコッコ。クルッククルック、フヨホヨフヨホヨ、トピーヨトピーヨ、くちゅくちゅくちゅ。ありとあらゆる鳥さんが、ありとあらゆる鳥さんのコトバでお喋りしています。わたしは、大学のカフェテラスを思い出してしまいました。

 ひなたのほうには、ハムスターや、ウサギや、クサガメもいて。カブトムシとクワガタもいて。お父さんに連れられて来た小さな男の子が、カブトの篭を、しゃがみこんで、じーっと見つめておりました。

 お店は、素敵に年季が入ってて、そんな風に、けして賑やかでないとは言えない中なのに、妙にひっそりと落ち着いています。郊外とかにありがちの総合ペット・ショップだと、妙にぴかぴかに明るくって、プラスチックな感じ、するじゃない? ここは違う。竹とか、籐とかでできた鳥篭が多いせいか。ショウ・ケースやなんかが、木枠の、昔ながらの奴なせいか。照明をそんなに熱心にやってないせいか。田舎の家、真夏の縁側から踏み込んだばかりのお座敷(隅っこに仏壇とかのあるような)みたいな。古くって、暗いんだけど、その薄暗がりこそが、涼しさや安心に繋がっているような。そんな感じでした。

 篭やらエサ入れ水入れなどの道具の類、鳥の餌も、その、薄暗い、天井の高いお店いっぱいにビッシリって感じに展示してあります。中二階には、特別でっかい鳥篭や、骨董芸術みたいな手作りっぽい鳥篭が、いくつもいくつも並んでいます。

 わたしは感心して、ぼーっと、全身で、雰囲気をあじわいました。

 そう言えば。小鳥愛好って、けっこう、歴史、古いんだよね。明治大正はもちろん、江戸時代とかより昔にも、日本人は、小鳥を可愛がってた。籖びきの芸をするヤマガラ、声を楽しませるウグイス。目に青葉、ヤマホトトギス、初鰹。そうだ、伊勢物語にだって、イザこと問わんミヤコドリ、が出てくる。

 派手なオウムやインコ、カナリアはそうでもないけど。古来日本にいた鳥たちって、なんとなく、『お年寄りのペット』っぽいような気がする。偏見だけどさ。

 じゃれつく猫を構ったり、犬を毎日散歩させることが難しい老人やカラダの弱いひとでも、小鳥なら、飼える。声を楽しみ、手乗りにして話相手にし、ちょぴっとの菜っぱを、指でつまんで食べさせて。ツガイで飼えば卵を取ることもできるし、ヒナに練り餌をやる大変も、もてあます暇の解消には、とても素敵なこと。

 観賞的熱帯魚購入のためにさまよった香港でも、鳥篭を肩に乗っけて、ウキウキと歩いてるご老人を見た。何人も見た。ただ、愛鳥をつれて散歩してるのかと、私は思ったけど。あれは、ひょっとすると、鳥好きのひとたちで集って、お互いの愛鳥の鳴き声を競わせにゆくとこなんじゃないかな、と、波多野さんが言ってたりした。そういう会があったら、それも素敵。

 それやこれや、考えて。

 なんだか、モノクロームの映画の世界に入ってしまったような気持ちでいると。

「ウソがいるから、買おうと思う」

 波多野さんが言った。

「嘘?」

「ウソって名前の鳥です。ほら、これ、このツガイ」

 その子たちは、おっきな雀ぐらいで、おおむね白と灰色と黒のシンプルかつ上品な衣裳。中国からの輸入品で、輸入証明書つき、と書いてあります。

「コンラート・ローレンツの本に、書いてあったんだ。部屋で飼うなら、ウソがいいって。聞いてごらん、ウソの声って、すごく慎ましやかでしょう。ツガイで飼ってれば、毎日、素敵な愛のセレナーデを聞かせてくれる」

 ほんとうに。その子たちの声は。『ぴい』『ぴい』。カタカナの『ピー』じゃなく、ひらがなの、それも、可愛いフォントの『ぴい』。静か。まろやか。優しい。あたかも、夜更け、忍んで来た少年が、恋人の窓の下でそっと吹く口笛のよう。ウルサイ親に聞きとがめられぬよう、そっとかけた、声のよう。

「寒い間は部屋で飼って、若葉の頃になったら、放してやってもいいと思う。中国産の鳥だけど、うちのあたりでも、ウソは暮していけるから」

 

 こうして、中国から来たウソのご夫婦は、うちのお客さまになりました。

 冬の間、ウソちゃんたちは、テレビの上のでっかい篭に暮しました。粒餌と、菜っぱ、飲み水、水浴び用の水。ウソちゃんたちは、イチゴも大好き。一個まるまるやっても腐ってしまうので、半割にして、ツマヨウジで篭にとりつけておくと、かわいいくちばしでつっつきます。テレビ前の床は、散ったイチゴの汁で、ところどころ、赤い水玉になりました。

 ウチは夜が遅いので、世の中が暗くなる頃には、バスタオルをかけて、暗くしてやります。まーちゃんやダイスケが、じろじろ眺めてプレッシャーを与えないよう、猫防ぎの段ボールをセットしたりもしました。

 やがて、新しい環境に落ち着いたウソちゃんたちは、エッチらしい行為をするようになりました。波多野さんは、あわてて、巣材を入れてやりました。世間で売ってるヤシの実繊維の小鳥の巣、あれを、ぐらぐら煮て消毒して、ハサミで細かく切って、途中を緩く束ねて、入れてやったのです。でも、残念ながら、いつまでたっても、卵はみつけられませんでした。

 ぴい

 ぴい

 あの、柔らかい口笛のような声は、毎日きいていても、やっぱり、とても素敵でした(同時に飼ってたウズラやコジュケイどもなんか、別の部屋にいてさえ、すさまじい声を響かせるというのに!)。

 

 四月。

 軽井沢にも、そろそろ春の気配が忍び寄って来ます。霜が降りなくなり、雹も降らなくなり、気温が最低でも氷点下にならなくなった頃、波多野さんは、いよいよ、ウソちゃんたちのリハビリを開始する、と宣言しました。

 篭の中で暮して来たウソちゃんたちが、世間に出ても充分に飛べるくらいまで、広い囲いの中で練習をさせるのです。

 テラスの下、二間かける一間ぐらいを、波多野さんは、もともと、囲いに改造していました。かつて、雉がいたり、セキセイインコがいたりした場所です。止り木や、巣箱、餌入れなんかも、ちゃんとかけてあります。小さなウソ夫婦がうっかり出てってしまわないよう、あるいは、野良ネコさんや、キツネさんタヌキさんに侵入されないよう、囲いの回りの網を新しい細かいのに変えて(こういうことを、波多野さんは自分でやります)おいて、いよいよ、放しました。

 ウソちゃんたちが、その囲いの中で、充分飛べるようになったのは、一週間ぐらいアトのことだったでしょうか。

「今日、扉をあけます」

 ある日、波多野さんが言いました。

「天気がいいし、二羽とも、調子がいいみたいだから。サヨナラを言うなら、いまのうちだよ」

 あたしはテラスの下に行って、ウソちゃんたちを写真に撮りました。元気でね。ちゃんと、赤ちゃん、生むんだよ。

 波多野さんが、扉を開けました。

 ウソちゃんたちは、たちまち大空に飛び立って……は、行きませんでした。そのまんま、そのへんに止って、あの優しい声で、ぴい、ぴい、と鳴いています。

 わたしたちは、居間に戻りました。

 午後、波多野さんが見に行った時には、もう、いなくなっていました。

 

 が。

 その日の夜。

「……ウソの声がする」

 と、波多野さん。

「嘘だぁ」

「いや。……ほら、また! ちょっと見て来る」

 驚きました。ウソたちは、帰って来たのです。ご存じの通り、鳥は夜は目が効きません。暗くなる前に、『おウチに』帰って来たのでしょうか? 波多野さんは、あわてて扉をしめて来ました。安心してぐうすか寝てるところを、野良猫のハナシロさん(いるんです、そういう野良が)にでも食べられちゃったら、あんまり可哀想ですから。

 

 朝になると、扉をあけてやり。夜にやると、扉をしめてやる。

 そんな生活が、何日続いたでしょう。

 波多野さんは、テラス下に、モミの木の小さいのを植えてやりました。ウソちゃんたちは、昼間、庭のモミの木のあたりにいることが多かったからです。

 それから、次に、テラス下の横のところに、ウソ別荘を作ることにしました。市販の簡易温室(鉄枠を組み立てて、ビニールをかぶせるあれ)の、ビニールの代りに網を張って、ウソが出入りできるぐらいの窓だけあけて。もちろん、モミの木も引っ越しです。シダや、他の小さな草っぱをいくつか、庭から掘って、移植します。花屋さんにいって、小鳥の好む樹木をいくつか買っても来ました。奥のほうと、真ん中へんに、巣箱。小鳥が生まれた時、人間からあんまりモロ見えだと親鳥が落ち着かないかもしれないからと、温室の中は、奥が見えないくらい、植物でいっぱいになりました。

 その、別荘を作ってる間じゅう。

 ウソちゃんたちは、近くのモミの木の回りにいて。

 波多野さんが、

ぴい

 と、声をかけると、

ぴい

 と、答えるのです。

 どっかにいなくなっちゃったかな、見えなくなったなと思って、

ぴい?」

 と、呼んでみると、

ぴい!」

 と、ちゃんと、返事をするのです。

 愛って、伝わるものなんだ。

 わたしはしみじみ、そう思いました。

 

 台風が来て、ふつか続けて、強い風が吹きました。

「行っちゃったらしい」

 波多野さんは、どろんこだらけの手を避けて、腕でオデコの汗を拭います。完成間近なウソ別荘の地面に芝生を植えているところだったのです。

「呼んでも、返事がないんだ。あの強い風で、どこか、戻ってこれないくらい遠くまで飛ばされてしまったんだろう」

 せっかく作ったのに。

 そんなことを、彼は、少しも言いませんでした。

「元気でいてくれればいいけど」

 そういうことしか、言いませんでした。

 

 二・三日後。

 わたしが仕事で、ひとり東京に行った日。夜遅く、仕事場に戻ると、FAXが届いていました。

 

 ウソが戻って来た。でも、女の子のほうが、ちょっとおかしい。足がブラブラしてる。怪我をしているんだと思う。

 土屋先生に連れてったんだけど、小鳥のことはよくわからないらしい(土屋先生は獣医さんですが、もともと、牛さん馬さんなどの大型動物が専門でした。それでも、ご近所に爬虫類まで見てくださる先生がいてくださって、ウチはほんとうに助かってます)。

 いろいろ調べて、東京で、見てくれる先生をみつけた。けど、そこは、予約制で、明日の夕方四時にならないと、見てもらえない。だから、ぼくは、明日朝早くそっちに向かうことにする。いれ違いになってしまって悪いんだけど、犬猫たちのこと、よろしく。

 

 電話をすると、彼はまだ起きてました。

「すごいね! 戻って来るなんて、すごいね!」

「うん。でも、ちょっと具合が悪そうなんだ。ちゃんと止り木に掴まれなくってね」

「だから。あなたに助けて欲しくって、戻って来たんでしょう。よくウチがわかったねぇ」

「ほんとに」

 

 次の日、夜遅く、彼は、ウソちゃんと一緒に帰って来ました。ひどくブラブラしてた足は、なぜか、小鳥のお医者さんについた途端、シャンとしてしまったそうです。

 そういうものだ! 画像のチラつくテレビは電気屋さんを呼ぶとキレイに直ってるし、エンジン音のおかしい車は工場に持ってくと絶好調なんだ。

 でも、専門家に見てもらえば安心だし。波多野先生は、いろいろしりたかったことをお医者さんにレクチャーしてもらえたみたいです。

 

 完成したウソ別荘で、ウソちゃんは今も元気に暮してます!

 ……だったら、ほんとにハッピー・エンドなんだけど。

 実は、その後。

 男の子のほうが、突然死んでしまいました。原因不明。前の日まで、とっても元気だったのに、気がついたら、冷たくなってた……そうです。

 ひとりぼっちになってしまった女の子は、今も、ときどき、やさしい声で歌っています。秋になって、また、中国からウソちゃんが来るシーズンになったら、新しい旦那さんを、みつけてあげられるかな。