ルタルタルイルイルイ とにかく。 もう既にカラダの大きいルーイが、ウチの子になるって決った途端、最初にあたしが思いだしたのは、他でもない、このマミーのことでございました。 もしかして、もう矯正できないくらい、モトの飼い主さんのとこでの生活ぶりが身についてしまっている子は欲しくない。また、病気がちの、すぐに死んじゃうような子は欲しくない。どんなに大事にしてやっても、ウチの子になりきれない子は欲しくない。 ヨソのひとを愛してる犬は欲しくない。 やだな。やだな。 小犬さんだったら良かったのに。乳離れしたばっかりぐらいの小犬さんだったら可愛いし、最初から、うちで暮らすから、カルチャーギャップなんてないし。 人生(犬生)なかばから、うちに来るのは、ウチの家族にとっても、その子自身にとっても、けして幸せなことじゃないかもしれないし……。 ついつい、そんなことを、考えてしまうのでした。 でも。 旦那はすっかり、嬉しがってます。ミズをさしたりしたら、イヤがられます。 イントク、イントク……なるようになるさ! 「悪いけど」 このぐらいのことは言ったんです。 「最低一度お風呂にいれるまで、この子は絶対に、家にいれませんからねッ!」 チャイ&プーは拾った時、踏んだら壊れそうなほどチビの小犬だったから、とても外にはおけず、すぐに家にあげてしまっていたんです。 その頃は、目白の彼の両親の家に、ジロという犬がいました。長いこと危篤状態のまま生きていて(去年、十六歳で大往生しました)夏の一時期、目白の両親が長期の旅行にでかけてる間じゅうは、ウチに預けられて、家じゅうを我が物顔で闊歩していたわけです。 ジロは完全なひとりっこタイプで、自分以外のモノを人間が可愛がるのを許し難く思ってるタイプでしたから、彼にいじめられないように、居間の一部をサークルで仕切って小犬スペースにしました。段ボールの寝場所は作ったものの、特に犬小屋というものは用意しませんでした。チャイ&プーは、やがて、このサークルを自力でよじのぼり、脱出して、我々の手を患わせることとなるのですが……ま、昔話はともかく。 ルーイの場合。既に孤高のジロはなく、チャイ&プーは家の一階部分を自由にいったりきたりしています。夜は当然の権利として(?)我々夫婦のクイーン・サイズのベッドに登り、猫のまーちゃんダイスケ等と一緒に、グースカ眠ってしまうわけです。ダニー豊作状態のルーイが、それにつられてベッドにあがってきたら……ううう、ゾゾッ! 旦那は余ってるコンパネ(なぞというものが、いつでもあるあたり……)を使って、臨時の犬小屋を作りました。それをテラスにいれ、チャイ&プーとガラスごしに顔を見合せられるようにしてやりました。お互いに、さかんに吠えているところに、おまわりさんたちがやってきて、写真を撮って行きました。もし、誰か迷い犬を探してるひとがやってきたら、「この犬なら保護してありますが」って見せるためです。アタシはその場にいなかったのだが、どうも、以下のようなやりとりがあったらしい。 「あのう……どうしましょうかねぇ……警察にはあいにくと、犬を置いておく場所がありませんし……結局、誰もとりにこないかもしれないし……」 「もちろん、ウチで飼いますよ」 「あっ、そうですか。そうしていただけると、大変助かります!」 ウチでいらないと言ったら、普通に考えれば保健所行きなわけです。でも、大きな声じゃ言えないみたいですが、このウチにきてくれたお巡りさんも相当に犬好きで、みすみす殺すのはイヤでしょうがなくて、実は、別荘地で拾われた犬は、農家とかのある方面に連れてって、こっそりもっぺん離す、なんてことをやっておられるそうです。別荘客は繋がれてない知らない犬がいると怖がったり嫌がったりしますが、農家とかだと、いちいち気にしない、警察に連絡とかしない。そのうちに、野良でもどうにかやってけるようになるかもしれないし、そこらで飼われてる犬と仲よくとかなれば、いつの間にか、半分そこん家の子みたいになって、幸せに暮らすかもしれない……からって。でも、そりゃ。大きな声じゃ言えないよね。 この犬も。誰かが探しにきてくれればいいけれど、なにせ、首輪ナシ。たぶん、たぶん、捨てられた犬なのだから、その生命はフーゼンのトモシビです。お巡りさんだって困ります。そんなの、いらないと言えるわけがない。わけがないが。 「かわいい犬ですねぇって、言ってくれたんだ。いやぁ、あのお巡りさんも、ほんとに相当に犬好きみたいだったなぁ」 曇りのない笑顔でいう夫を見るアタシの胸には、冷たく黒いシミみたいなものが広がってしまったのでありました。 (オイオイ、ほんとにかわいいか? こいつが? このダニだらけの、ドロボー顔の、たった一歳だってーのに、もうアタシの大事な大事なチャイくんと同じぐらいデカイ、立派なチンチンまでぶらさげたこの犬が……かわいいってゆーのか? そのお巡りさんの可愛いなんて言うのは、ただのお世辞だぞ。自分でなんとかするのはイヤだから、うまくオダててうちに押しつけようって、そういう気持ちだったのかもしれないぞぉ!) 優しいお巡りさんごめんなさい。あたしは根性がまがっているんです。イジワルなんです。エゴイストなんです。でも、愛する旦那さんに、薄情で冷血な女だと思われたくない一心で、「……じゃ……まぁ……いいけど……」なんて言ってしまった。言ってしまった……! チャイ&プーは、なにせおそらく兄妹、コドモなど作られると困るもので、それが可能になり次第すぐに去勢手術をしてしまってあります。つまりほとんどアンドロギュヌス、そのココロは第二次性徽前、つまり、永遠の小犬なんです。 でも、ルイ太の野郎は(その面がまえには、ルーイなどという洋風の、あのサッカー界のえらいひとを想起させるようなカッコいいところはおよそない。権作とか、留吉とか、そーいった和風でしかもダサめの名前のほうが絶対似合うタイプなのである。それで、いつの間にか、すっかりルイ太になってしまった)なにせ半年はただの『拾得物』。明日にも、ほんとうのおとうさんおかあさんが迎えにくるかもしれないのであるからして、義務であるところのフィラリア予防その他はともかく、単なる預り手であるところの我が家で勝手に、そのオゾマシイ、いや、大事なイチモツをチョン切ってしまうわけにはいかないかもしれないのよね。 であるから。 ありったけのダニを取り、必死でシャンプーし、ついに家にいれたその途端。 当然予測できた通り、ヤツは、いっぱしのオス犬としての自然な行為、つまり、ナワバリ主張のためのおシッコかけを敢行した。台所ワゴンに、棚の角に、キッチン・テーブルに、そして、ボーッと座ってたこのアタシの脚にすら。 ・・それでもなんでも。 うちの旦那さんには、このルイ太がほんとうに可愛くってしかたないらしいんです。はじめて逢ったその日から、いとしくって、いじらしくって、大切で。うちのチャイ&プーとサベツしようなどと思いもよらない、大事な神さまからの預りものであるらしかったのです。 なんか、旦那がヨソで作ってしまった子供みたいでした。妻の預り知らなかぬどこかからに、薄幸のアイジンさんかなんかがいて、突然ルイ太を残してみまかってしまったので、引き取ることになった、そんな感じ。 子供には何の罪もないことはジュウジュウ知っているけども、その顔を見るだけで落ち着かない。なんか憎らしい。フィン、なんて甘えた声を出されるのもうっとおしい。いやいや撫でてやりはするものの、それは、そーしないと、自分がヤなオバサンになっちゃいそうだからだったりする。あーあ、ウチの旦那さんもまったく、おヒトよしなんだから。ほんとにアンタの子なのかどうかわかったもんじゃないじゃないのよ。ヒトの夫を取るようないかがわしい女のことだもの、ほかの男の子かもしれないでしょー? どっちにしろ、このアタシには、ほんとに全然なんの責任だってないっつーのに。あーあ、このガキ、どっか行っちゃってくれないかしら。そしたら、あたしには、昨日までのあの幸せが蘇ってくるのに……などと……いやぁ、恐ろしいほど不埒なことを考えたりする。 なんでよりによってウチになんか来たのよ、アタシは迷惑なのよ。本人(本犬)の前で、イジワルく呟いてしまったりする。だって、自分のお腹を痛めて産んだチャイ&プー(をいをい)と、同じお皿からゴハンをやるのが、面白くないんだもん。チャイ&プーを構ってると、割り込んでくるのが憎らしいんだもん。 アタシは、意地悪なママハハそのものなのでした。 だって、だって。 ルーったら、デカイんだもん! はじめからデカイんだもん! 母性本能ってさぁ、ごく小さいものにだけ、働くんじゃないかしら。見るからに小犬! って感じのには、無条件にホダされちゃう。可愛く思っちゃう。守ってあげたい、大事にしてあげたい、ああ、あたしのいい子ちゃん! ってなっちゃう。だけど、ちょっと大きいと、警戒心とか猜疑心とかのほうが強くなる。ナニよ、あんた、ドコのガキよ。あたしはあんたのおかあさんじゃないわよ。あんたのおかあさんとこ、行きなさいよ、シッシッ! たぶん、父性本能ってのは、そうじゃないんだろう。ひとたび、自分の庇護のもとにおかれたところのものは、たとえ、ガタイがでかかろうと、態度がデカかろうと、同じように可愛い自分のコブン、みたいになっちゃうのかもしれない。へたをすると、相手が一人前のオトコであればあるほど、かえって、そーゆーのに頼られるのが嬉しいのかもしれない。そうか、オヌシはこの俺を慕ってくれるのか。うい奴じゃ。近う寄れ、てなもん。 会社社会で、女のひとがなかなかエラくなれなかったりしたのは、無意識のうちに、みんなが上のような差異を感じてるからだったりしてね。 なにせ。 ルーイは男。 散歩に連れだすと、電柱ごと、目立つ立木ごと、高々と脚をあげてシッコをするでしょ。ケツの穴もでかいから(これは、犬種としての生まれつきかもしれないけど、前の家で、犬にとっては消化の悪いデンプン質の粗悪なメシを喰わされつけていたからではないかとも考えられる)、そのウンコは人間のじゃないかと思うほどにブットくって、キタナラしい。 プーちゃんのウンチなんてさぁ、こーんなちっちゃくって、コロコロッとしてて、カリントみたいで、全然汚くなんかないのよぉ。うふふふふっ。ああ、母よねぇ。 おまけに、ルーバカは、やたらにクサムラに入りたがるの。ちょうど季節がら、てんこもりにダニーのいるクサムラにさ。だから、散歩のたびに、三ツ四ツのダニーにたかられちゃう。さされた跡でボコボコの耳や首すじに、さらにまた、待ち針の頭みたいな灰色のダニーが、あるいは、真っ赤でもう少し小降りのダニーが、さわさわうごめいていたり、既にしっかりと喰い込んで、ぷんぷくりんに膨れていたりするんだもんっ! ああ不潔。おぞましい。さわりたくない。でも、アタシが取らないと(そういう、生命には別状のないことには、より鈍感な旦那が気がつくまで)ダニーはいつまでもそこにいるし、へたをすりゃ、アタシの大事なチャイ&プーにもたかってしまうかもしれない。 生命がけで喰い込んだダニーを脚までちゃんと取るには、女の細指では力がたりない。ペンチを持ちだし、しっかり押えこんでおいて、ブチッとやらなきゃならない。それをやると、このルイ太の野郎もいささか痛いらしく、キュヒン! なんて哀れったらしい悲鳴をあげる。あまつさえ、この親切なママハハに、グルルル、と唸って牙をむいたりしやがる。唸られてほうっておいたら、ナメられます。 「誰のためにやってると思ってんのよ、この馬鹿たれっ!」 アタシは立派なメス狼のような声で唸りかえしながら、ナマイキなママコをウムを言わさず、床に押し倒します。押し倒すためには、しっかりと力をこめて抱きしめなきゃならないから、抱きしめますよ。 「ああ、光明皇后さま」 アタシは呟く。 「あなたは、ほんとーに偉かった」 互にさかんに吠え合っていたルーイとチャイ&プーは、僅か二・三日でそれぞれの存在を容認したらしうございました。 でも、アタシが、それまでずっとそうだったように、おとなしくって美しくって清潔この上ないチャイ&プーをヨシヨシしようとすると、ルイ太のやつは、遠慮会釈もなく、必死であたしの腕の中に割り込もうとしやがりくさります。 ええ、うっとおしい! ママハハは怒る。 だって、ルーの愛情って暑苦しいんだもん。毛皮が分厚くたっぷりしているだけでなく、ほら、デカイでしょ、だっこだっこ、と迫ってくる力がものすごいの。こんな顔をして、相当な甘ったれなの。なにせ、見た目はまったくオッサンみたいなのに、実際は、まだたった一歳でしょ。 確かにチャイ&プーだって、一歳の時には手がかかった。甘ったれだった。 でも。でも。 ああ。可愛かったんだものぉ! チャイは繊細で神経質な子で、世の中に、怖いものがいーっぱいあるんです。 傘も怖いし、自転車も怖い。知らないひとは、みんな怖い。お客さんがくると、ワンワン吠えながらストーブの後ろの安全スペースにひっこんで、悲しげな目でじーっとこっちを見つめ続け、気持ちがおちついた時ようやく、撫でてもらいに出てくるような慎重な子なんです。 いいゴハンをせっせとやり、よく運動させたので、スラリと細身ながら筋肉のよくしまった凛々しい体形。赤茶の毛皮が優雅。首が長く、顔も細く、ちょっと耳はデカいけれども、実にノーブルで端正な顔だちなのよ。ほほほ、親バカ? でもねー。 彼って、言ってみれば、高貴なお館のこころやさしきお坊っちゃま、レースのヒラヒラのついたブラウスの似合う永遠に十四歳の少年、みたいな犬なのよ。旦那がオオタカと一緒に雪山に連れてゆくのも、もっぱらチャイ。ひょっとすると、日本で唯一の鷹狩り猟犬かもしれない。 妹のプーは通称『芸者犬』、誰にでも愛想がよくって、そのくせ、実は、すごくクールで勝気なの。いつもとてもマイペース。白と茶と濃いめの茶色の三色で、アイドル系のチマチマとオシャマで愛くるしい顔つきをしている。体重はチャイの半分ほどしかなくて、脚も短い。カラダは、顔に比べて、相当にたくましい。ちょっとズングリと言われてもしょうがないかもしれない。敏捷で、闘志があって、無駄に太ってないところは、ちょっと貴闘力関に似てると思う。 いつも、自分よりずっと大きなにいちゃんとフザケッコなどして鍛えているから、おそろしく速いし、おそろしく強い。遊び半分のケンカの時、常に勝つのはプーのほうです。 持久力はチャイに敵わない。雪の中など走ると、お腹が冷えて元気がなくなってしまうけど、魂は剛胆。検診に連れてゆくと、動物病院の床に陽だまりを見つけて、いかにも落ち着いた様子で丸くなり、やがてとろとろ眠ってしまう(チャイは、オカアサンにしがみついてガタガタ震えている)とても胆っタマが座ったお嬢ちゃまなんです。 チャイが青白いレースの美少年であるとするなら、いいお洋服を着せてもヤンチャに無雑作に汚してしまう、快活でおテンバな女の子って感じ。 まったく(うるさい。どうせ、ハハの欲目だ)萩尾望都先生の、上流階級モノのマンガに登場するような兄妹なの♪ そこに。 いきなり乱入したのが、青年劇画調のドロボー顔だもん。 ダニだらけの、浮浪児。変にオッサンくらい風貌。短い首、どんなにキレイにしてても汚れてるみたいな顔。ハダカの上に緩すぎる吊りズボンをひっかけ、ブカブカの鳥打ち帽をコナマイキにかけて、ガキだってのに煙草の匂いをさせてる下町の不良、みたいなルイ太なんだよぉ! おまけにこいつは、息が荒い。お散歩に出てる間じゅう、まるでエッチ電話をかけてくる阿呆みたいに、ハッハッハッハッ、とか言いっぱなし。ぐいぐい引っ張る。どんどん引っ張る。そんなに急がなくったっていーのに。ちゃんと、一日4回も行ってあげるのに。やたらに必死。やたらに焦ってる。なんとなく、ビンボーったらしくて、みっともないんであります。 そう、ビンボっぽい。 拾われた時から(当時推定二ケ月)ゴハンに困ったことのないチャイ&プーは、一日に二回のゴハンを出してやっても、そんなにガッつかない。もともと、二匹でしとつのお皿で、ケンカすることもなく、上品に食べていたのだ。ルイ太は喰う。必死に喰う。だから、他の皿を出してやらなければならない。 ああ。でも。 だからといって。ママハハは、この哀れなこどもをそんなに酷くサベツしたりはしなかったと思うの。こころの中ではともかく、少なくとも態度の上では。同じものをやり、同じ散歩につれだし、同じように撫でてやりました。時々イジワルなことも呟いたけどね……人間だったら、それが将来トラウマとかになって大変そうだけど、そこはさいわい、コトバそのものを犬ってのは聞き分けないから。態度のほうが大事だから。 そりゃタマにはさ、幼児用シオケの少ないチーズをチャップーにだけあげたわ。だってルイがおっとりチャップーをおしのけて彼らの分までふつうのゴハン食べちゃうんだもの。 「はい、チャッくん。はい、プーちゃん。……ルイちゃんには……あーげないっと」 ママハハのママハハたる所以を存分に発揮してウップンを晴らしていると 「なんてひどいことをするんだ!」波多野がマジ怒るのよねぇ。「ルイにもあげなさいっ!」 「だってルイルイはもうたっぷり食べたってば」 「いいからあげなさいっ!」 ちぇーっ。 それでも最初のうちは、先からいたチャイ&プーに優先権というか、優越権があるから、チャイ&プーのほうを多少はより可愛がっててもいいんだそうです。それにしても、チャイ&プーを構ってるとルーも寄ってくるじゃない? 暑苦しくも。ずうずうしくも。旦那にみつからないようにチクチク意地悪をしてもあくまで懲りずに寄ってくるので、しかたなく、せっせと相手をしてやりましたよ。 すると。 そうするとねぇ……。 不思議なことにだんだん、ルイ太の顔つきがかわってきたのよね。血走ったような、ガサツで下卑てて、なんか品がないわネって感じだった表情が、どこかおっとりとのんびりと、柔らかになってきたんです。 栄養が行き渡ったのか、ゴワゴワだった毛もしなやかになり、あんなにいっぱいいたダニーもついに全滅した。ボコボコだった耳もすっきりキレイになった。 そうしてみるとドロボー顔も、ちょびっとマヌケはいってるけど、それなりに味があるような気がしてこないでもない。 鬼のようなママハハの氷のこころも、少しずつ溶けます。 このバカ。ちょっとは可愛い気が出てきたじゃないの。 さわりごごちのよくなった毛皮を、前よりは義理感少なく、ヨシヨシ撫でてやったりします。 もちろん。いきなりそうそう変るわけじゃあありません。まだ相当にガニ股だし(小さい頃、運動が足りなかったのと、骨の発達にいいゴハンをあんまりもらわなかったのだろうと推定される)ずんぐりと首が短くて体重のわりにヤタラに太ってみえるのがダサイけれど、贅肉が筋肉にかわると、お腹のあたりなど、キュッとしまってきた。 でもって、実は、ルイ太は、顔に似合わずお利口さんだったりもしたの。すぐに、家の中ではまず絶対にシッコをしてはいけないことを覚えた(実は、わがままプーはいまだに時々、自分の好きなとこでやってしまう)。齧ってはいけないものも齧らない(チャイ&プーは蒲団数枚を壊滅させたことがある)。茹でたトンコツをあてがっておくと、それをせっせと齧って満足している(チャイ・プーはトンコツぐらいでは騙されない)。 なにせまだ、立派にオスだから、向かいのハスキー(メス)のオシッコを見つけるとお下劣にもべろべろ嘗めちゃうなんて変態のスカトロジストだし、外でよそのオス犬に出会おうもんなら、喧嘩を売っちゃって大変なんだけど。 ママハハは思いはじめました。ルイ太も、あれで、悪い子じゃないんだと。だから、もっと、可愛く思ってもいいんじゃないかと。どうしても、ああ、そりゃ、どうしても、チャイ&プーのほうが大事だ。可愛い。「ルイ太さえいなければ」チャイ&プーとおかあさんの蜜月のような日々が、もっともっと続いていたのにぃ、などと、ついつい思ったりしてしまうことは変らない。 これで、もし、ほんとうにチビの小犬の頃から飼っていたら、全然違ってたんだろうに。あのマヌケ顔も、赤ちゃん犬だったら、きっと、もっともっと可愛かったんだろうに……そう思うと、一歳なんて半端な年頃になってから、いきなり捨てたらしい元飼い主に腹がたつ。 いったい、どこのバカだろう? いろいろと推察はしてみたんですよ。バブルが崩壊して一家離散でもした家なんじゃないか、とか。ほんとは捨てたつもりはまったくなくて、いつか迎えにくるんじゃないか、とか(旦那は、もし名乗り出たとしても、もう絶対にかえしてやんない! と言ってるけど)。 ヒントかもしれないことがありました。 ルイ太は魚がキライなの。ブツ切り鰯の煮た奴なんて、とってもカラダにいいのに、あんなにガッツくルーが、ちっとも食べたがらない。とすると……普段、尾頭つきの魚を料理したりしないような家に暮らしてたか? なんて考えられる。 ひょっとすると。それは若夫婦で……新婚さんだったかもしれない。奥さんは、切り身のお魚じゃなきゃさわれないようなタイプなんだけど、新婚だから、当然のようにやることをやって、当然お腹がふくれてしまった。もうすぐ赤ちゃんが生まれる。あるいは、生まれてしまった。すると、ルイ太がじゃまになった。 ルイ太のあの、暑苦しい「抱っこ抱っこ」は、乳児かかえて、てんてこまいで、睡眠不足でヒステリー気味になってる新婚妻には、急に、耐え難いものに思われてしまったのだ! それに、ルーは、前はちっちゃくって可愛かったけど、なんかデカクなって力も強くなってしまった。大事な赤んぼうに、この怪力で、抱っこを迫ったりすると、とても危ない。 えーい、捨ててしまえ! ……とか……ひょっとすると、そういうことなんじゃないだろうか。 だとすれば同情の余地が…… ないぞッ! まったくないっ! バカ野郎。途中で捨てるような奴には、動物を飼うような資格なんかないっ。生命を軽んじる、そんな大タワケ野郎には、もちろん、人間の子どもを育てる資格だってあるものか。そんな奴に育てられた人間が、ろくな奴になるものか。 見てろ、おまえの赤ん坊は呪われるからな。ウップンの行き場を失ったママハハ魔女が呪ってやる。なんの事情も説明されぬまま捨てられたルイ太の恨みが……ひとり寂しく放浪し、たまたま奇特な夫婦に拾われなければ保健所行きだったはずのドロボー顔の犬の怨念が、バカ野郎なおまえたちと、その赤ん坊の一生を、きっと極悪の最悪のメチャクチャにしてやるからな、十六歳の誕生日がおまえの最後だ、ふふふふふふふ、おーっほほほほ、覚えてやがれえっっ! っと。思わず、自分の設定に酔ってしまいましたが…… まぁ、赤ん坊には罪はないわな。赤ん坊さんは呪ったらあかん。 とにかく、捨てた本人。おまえだ。顔も名前も知らないけど、おまえを、あたしは絶対に許さないからな。将来、死んで、幽霊になったら、なんとかあの世でツテをたどっておまえのようなやつらを探しだし、ビシバシおしおきしてやるからな。ありとあらゆる、捨てられた犬猫の霊魂と一大争議団体を結成して、たとえ一度でも、たいして悪意なくでも、当人にとってはどんなに「しかたなく」であったとしても、無抵抗な犬猫を非情にも捨てたことのあるすべてのバカたれどもに、きっと天誅を加えてやるからな! ひとに悪意を抱くなんておぞましいことをして、大事なイントクの全部をチャラにさせられちゃうかもしれないのは残念だが、許しおけん。 なにせねー。 こんな話をかいたりすると、 「ああ、やっぱり、たとえ捨てても拾ってくれるひとがいるのね。じゃ、ウチの、いらないわんこも捨てちゃおーっと。そだそだ、いっそ、軽井沢行っちゃおーかしら。あそこには、とびきりおヒトヨシで動物好きなバカがいるみたいだし、うふふふ」 なんてことを、考えるヤツがいないともかぎらない。 だが、それは違う。違うぞ。 捨てる神があれば拾う神がいるとゆーが、こと犬猫に関しては、捨てるバカと拾うバカの割合が圧倒的に違いすぎる。 捨てられた犬猫の九十九パーセントはのたれ死ぬ。死にます。それも、なぜ捨てられたのか、なぜ、ずっと可愛がっていたひとがこんなヒドイことをするのか、なんにも知らずにだ。心細くって、寂しくって、お腹ぺこぺこで、情けなくってみじめっぽくって、怖くて寒くて悲しくて、大好きな大好きな飼い主さんを必死で探しながら、哀れにも力つきてしまうのだ。こんな悲惨な目にあわされるくらいなら、いっそ、保健所で、ひとおもいに静かに殺してもらったほうがナンボかマシかわからない。その決断をする勇気のないヤツが……殺すんだ、という自覚もなしに、見捨てる奴が……きっと誰かいいひとが拾ってくれるわヨ、とかなんとか、甘い考えで……捨ててしまうに違いない。この自覚のなさが信じられない。理解できない。 たとえば。たとえばです。 ある日、子供さんがいきなり犬か猫かを拾ってきてしまった。おたくは犬猫お断りのマンションである。あるいは、三十年ローンで建てたばかりのぴかぴかのマイホームで汚したくないのである。あるいは、夫婦揃って忙しくって、それどころじゃない。あるいは、ラブラドル・レトリーバーだったら欲しいけど、こんな汚い不細工な雑種は欲しくない。 飼えない。いや、ほんとうのところ、いらない。欲しくない。飼いたくない。 そんな時、どうしますか? 「ウチではムリなの。ダメなんだよぉ。しょうがないから、よそにやろうね」 そう言ったとたんに。 あなたは自分の将来を決めてしまうのです。 五十年先、あなたが、ヨボヨボのヨロヨロの、ひょっとするとボケボケの老人になってしまった時、あなたの子供さんは言うんです。 「ウチでは、ムリなの。ダメなの。しょうがないから、よそ行ってね」 かくして、あなたは、ひとり寂しく姥捨て施設におくられるんです。狭いマンションにはジジババを置くとこがないとか、せっかくのきれいなおウチには死にかけのジジババはいて欲しくないとか、介護の暇がないとか、優しくって健康でお金持ちでイザって時には遺産をガッポリくれるような優秀なジジババじゃないとか、そういったさまざまな理由で。 因果は巡る風車。自業自得です。 いらないモンは軽い気持ちで捨ててしまえばいい。 誰か、親切なよそのひとが面倒みてくれるかもしれないと思ったら、それをアテにして、きれいさっぱり責任放棄していい。そうやって、自分の、平和で楽しくてキレイキレイな人生をエンジョイしていい。 子供さんに、そう教えたのは、ほかでもないあなたなんですから。 あなたはあなたのしたことをしかえされるだけだ。 山のように文句言ってるものの、あたしはやっぱり基本的に犬が好きだし、猫も好きなんだと思う。明らかに助けを必要としている犬や猫にバッタリ出会ってしまったら、とても、知らん顔はできない。ほうってはおけない。でも、その犬猫を助けてやることが、結果として、いま糾弾してきたような、冷血の、最低の、生きていてもしかたのない極悪の人間(しかも、そのくせ、自分では、そんなに悪いやつだって自覚がぜんぜんない)の尻ぬぐいをしていることになのかもしれないと思うと、ええい、クソッ! 腹がたって腹がたってたまらない。 というのに。 この夏は捨て犬捨て猫が豊作だったと前に言いました。 またすぐに、拾ってしまうんですよねー。こんどは、猫。 |