高齢出産ってそんなに怖い?
〜そんなに覚悟がいるものなのかしらん?〜
ネット上で「高齢出産」をチョイと検索してみると、 「……は、リスクが高い」とか 「……には、困難がともなうが」とか 「……にはデメリットが大きいが」とか。 なんだかんだネガティヴなことばばっかり出てくる。
そうなんでしょうか?
40歳をすぎると不妊治療を希望しても受け付けてくれないクリニック、「高齢のひとには、あきらめなさいと説得することにしている」お医者さん、も、まだまだいっぱいあるみたい。 わたしも実は前は少し洗脳されていた。いまいちちょっとふつーじゃない年齢になってから赤ん坊が欲しいなんてワガママをいったりすると漏れなく隈なくバチがあたるのだと思ってたかもしれない。 そんな妊娠はきっと困難をきわめ、何カ月も入院とかしなきゃならず、うまれてくる子はきっとどこかがとんでもなくへんで、シャレにならないぐらい育てにくくて、夫婦の関係はメチャクチャになり、喧嘩や争いごとがたえず、仕事は失敗し、家庭は崩壊し、日常も将来も絶望的。離婚や一家離散、破産などの「人生崩壊」を招きかねない! ……そんな妊娠しないほうがいいじゃん、と。 しかーし! 日本には古来すばらしい諺があるではないか。 『案ずるより生むがやすし』 ほんまやねん。なんでもないねん。そがいに心配せんでもだいじょうぶ。 なんくるないさー(なんとかなるさー)! |
わたしは45歳で妊娠出産しました。西洋医学的な不妊治療はぜんぜんしてなかったのに、結婚生活十何年め、突然、それまでぜんぜん妊娠しなかったのが、ふと妊娠してしまった。経過はすこぶる順調で、いざ出産の時も、お医者もあきれる大安産でした。帝王切開ぐらいにはなるかもしれないと自分でも思ってたんだけど、幸か不幸かならなかった(せっかくならちょっとそれも体験してみたかった?)。その他、ちょっと面倒かもなことから最悪のことまで事前にいろいろと想像していたので、あまりに特になにもなくすんなりいってしまった展開には、正直、拍子抜けしちゃったぐらいです。 幸いこどもにも、なんの問題もなかった。 ここは強調しておきたい。ほんとうだよ。それどころか、いやー、よくできてるよ、いいシゴトしてありますね! と、おもわずメーカーに? 感謝してしまいそうなぐらい、ほんと、アタリです、うちの子。親ばか発言ですみません。 ネットはこわいところだから、サイト上には愛娘の画像をだしてはいかんと旦那に釘を刺されてなかったら、もう、何枚でも、毎週でも、じゃんじゃん写真はって、世間じゅうに見せびらかしたい! そのぐらい可愛いです! 面白いです。たのしいです。みてるだけでニヤニヤしちゃうぐらい嬉しいです。自慢です。丈夫で、元気で、おりこうさんで、すくすく育ってます。 この娘のおかげで、遠くにすんでるわたしたち夫婦の親世代などもふくめて、家族のつながりも、よりいっそう強くなったと思う。孫見たさ・見せたさにおりおり集うようになったし。一同、なるべく長生きをして、この子の成長をできるだけたくさん見なくてはと決意してます。 もちろんウチはあくまで「ラッキーな例」かもしれない。 たまたま運がよかっただけ、かもしれない。 実際、どういう確率でどういうことが起こるのか。わたしは知らない。 でも、実際、心配した割りにはぜんぜんだいじょうぶだったのが、すくなくともひとり、ここにいます。
「高齢出産したがるなんて、むちゃ。無謀。そんな危険な賭けハタ迷惑だし、あんたのワガママ。十中八九、不幸まっしぐらで、ひとを巻き込むんだから、悪いこといわないから、はやいとこ、あきらめろ。やめとけ、やめとけ!」みたいなことばっかり、あまりにも喧伝しすぎなんじゃないか? と思う。 そういうネガティヴなことばをもしかしてわたしが真に受けちゃっていたら、この子をせっかく授かりながらも、「やっぱやめとこ」と思ったかもしれない。 ほんとはありもしない心配事をおこりもしないうちから心配して、 高リスクとやら にビビッてひるんで、チュウゼツとかしてしまったかもしれない。そう思うと、ゾッとするよ〜。いま実はわたし、娘にオッパイを吸われながらここ書いてるんですけど(U字型のクッションをウエストにはめるようにして膝において、横抱きに載せて。パイを吸わせおくと静かにしててくれるもんで……笑)この、かわゆい生命が、こんな素敵な子は、ちょっと前まで「いなかった」。わたしがへんに暗いこと考えてチャンスをつぶしちゃったら、この世にうまれてこなかったんだよ〜! あー危ないとこやった。ふう。 「そんなにビビらさんかて、ええやん」とわたしは言いたい。 いま、ニッポンは、出生率が低下してるとか、少子高齢化が心配だとか言ってあわててるんやろ? 脅してどうする。やってみる気ぃなくさせるような発言があふれかえっているのを、ほったらかしてどうする。アカンほうを禁止することはできないんだから、もっと明るい希望もてるようなイメージを高めなアカンやん。ちょっとやってみようかしらって気になるような宣伝とか、どんどん発信するようにせんとアカンやん。でもって、「子育てたいへんです、苦労です、助けてください」のひとばっかりじゃなくて、実際やってみて「よかったです〜、こんなに幸福です〜! やっほー!」ってひととかのほうを、もちっとめだたせるように努力したらどうなんや。猪口少子化大臣はんとか。ご自身いろいろ体験してみた野田聖子議員はんとか。
だからわたしは大声で言います。 「こどもはかわいいよ〜!」 「子育てはたのしいよ〜!」 「妊娠も出産も、おもしろいよ〜!」 ほんとだって。
『45歳・もう生んでもいいですか?』を読んでくださったかたが編集部あてにおくってくださったハガキとか、当サイトあてにくださったメールとかには、「その後どうなったか、気になりますー、爆笑子育て記もかいてねー」みたいなリクエストがけっこうありました。やってみようかなぁと思いつつ、それをやりだしたらどこまでも歯止めがきかなくなって親ばか・自慢たれ発言になってしまいそうで、ちょっとためらっていたんだけど…… いくら「たのしいよ」とか「やってみたら?」とかいっても、具体的なところがわかんないと、その気になれるかどうか、わからないよね? なので、このあと、ここらへんでは、実際こども持ってみてあっしが感じたこととか、考えたこととか、具体的にどんな嬉しいこととか楽しいこととかがあったのかを、どんどこかいてってみたいと思います。目的がそうなので、あからさまな能天気「親ばか」っぷりも、どうか、温かい目でみてやってください。お願いします。
もちろん、 実際高齢で生んでみましたけど、こんなひどい目にあいました、やめときゃよかった、ちょっと後悔してます……っていうことも、そりゃあ、中には、あるかもしれません。高齢に限らず、こどもをもったらいいことばっかりじゃなくて、困ることとか悩むこととかもそりゃーあるに違いないです。けど。そのご当人が「わたしはそうでした」っていうのならともかく、第三者とか、関係ないガイヤが思い込みと机上の空論で「よくない。やめとけ」って、大きなお世話。
話をちょっと戻すけど、ほんと、なんでそんなに、高齢出産って言語道断なことみたいにおもわれたり、毛嫌いされたりするんだろう? 不思議。 なにかと横並び好きのニッポン人として、とにかく「規格外」のものはキライなのか。ひょっとすると、三十代四十代のオンナに「まだまだ妊娠する能力がある」ってことを認めたくも信じたくもないひとたちがいるのかもね。自分のママにセックスする能力があるのに気づいた思春期のこどもみたく。理屈ではしょうがないのはわかっているけど生理的に不愉快だ気持ち悪い、とかって感じちゃうのかも。繊細にも。 まぁものの感じかたってのはひとそれぞれだけど、若くない可愛くないオンナは性的なふるまいをするな、尼さんみたいにご清潔な生活しとけ、って思ってるとしたら、それって偏見だし差別だしようするにただのダダッコの「ワガママ」よ。聞く耳もつ必要なし。 時々いるんだよね。産婦人科のお医者なのに、あまつさえ、不妊治療の専門家とかなのに、妊婦をあれこれえりごのみするみたいなやつ。若くて健康で理想的な妊婦生活ができるような女性じゃなきゃ、妊娠も出産もしちゃいけません、みたいなこといっちゃうの。キャバクラじゃないんだからさ〜、好きなタイプのねーちゃんばっかじゃなくったってしょうがないじゃん。第一、おカネ払うの患者のほうなんだし。ひょっとして進学率が自慢の学校みたく、治療の成功率をあげたいのかね? 自分の手におえない、自分があまりやる気のでないような好きなタイプじゃない患者はいやがってことわっちゃうって、まるで、乗車拒否するタクシーじゃん。いったい誰のための医学なのか、治療なのか、病院なのか。なにかをおおきく勘違いしてる。
だいいち、けっして高齢とはいえないような年齢のママにだって、なにかが起こるときは起こっちゃうわけじゃん。出産というのはいろいろとたいへんなことなので、数のうちには、「ふつう」とはいえない赤ちゃんも生まれてくる。かならずある一定の割合で、どうしたって生まれてくる。 どういうことがおこりそうな確率がどういう年齢だとどれどれの割合でアップするとかまぁいろいろありますけども、心配しだせばキリはないです。しょせん、確率です。百人にひとりの割合だろうと、一万人にひとりの割合だろうと、「自分」がたまさかそのひとりのほうになっちゃったら、もうしょうがない。 道を歩いてれば交通事故にあうかもしれないし、よそんちの犬に噛まれるかもしれない。雨にあたって風邪をひくかもしれないし、蚊に刺されて病気になるかもしれない、バナナの皮を踏んですってんころりんするかも。 あなたはこの世にたったひとりきりしかいない。歴史上もそのあなたのやっている人生はこれが初で最後。あなたは、けっして逃れようのない運命で、そのいまのあなたをやっている。この現にあなたであるあなたでなくなったら、それはあなたじゃない。ひとをうらやましがってもしょうがないし、平均からはずれちゃったって、しょうがないんです。 ちなみに、いうたらなんですが、人間が死亡する確率、これだけは万民平等。どこのどなたもちょっきり百パーセント確実です。みんなそのうちどうせ死ぬ。どんなにがんばったって百年かそこらしか生きられない。それがいやだからって、もう、ふつーに元気に生きてるこのいまから、生きてることやめたくなりますか?
「不倫をしたくてするんじゃない。好きになったひとにたまたま奥さんがいただけ」みたいな言い方ってあるでしょう。高齢出産も、似たようなもんです。わざわざ選んですることじゃない。でも、なっちゃったらしょうがない。なにもぜったいしてはいけないことではないし、たまさか起こることなんです。恥じて隠さなきゃならないことでもないし、こっそりやめたほうがいいことでもない。 だって、妊娠ってまず基本的に「おめでた」だよ! ママが少々薹がたってようと、パパが少々おくたびれだろうと、赤ちゃんはおめぐみで、さずかりもので、かみさまからのプレゼントなんだよ〜! よろこばないでどうするの。 感謝して、ありがとうって気持ちで、前向きに受け止めましょうよ。なるべく。いやひとによってはいろいろと事情もあるかもしれないけど。
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だからって、みなさん是非とも狙って高齢出産をしましょう!とはわたしは言いません。たぶん向き不向きもあるし。そうしようと思ったってできないってこともあるだろうし。誰にでも勧めていいようなもんじゃないでしょう。
でも、実際、高齢出産に「なっちゃった」ら、まぁしょうがないんで。それが運命だったのだから、もう腹くくって、愉しむっきゃない。 で、ここでは無理やり高齢出産のメリットについて申しましょう。 年齢による変化はひとそれぞれ。心と身体、それぞれのフケコミかたあるいは成熟も、ひとそれぞれ。若くても無茶のしすぎで全身ヨボヨボなひともいるだろうし、皺だらけの老婆でも心が少女のように純情可憐ってこともあるかもしれない。 よって、高齢出産なら「誰でもそうだ」とはいえませんが、まぁものごとに対しておおむね動じなくなっているというか、若い頃にくらべるとややゆとりがあるというか、冷静で客観的にはなってることが多いかもしれない。年の甲がきく場面では、きかせられるかもしれない。 こどもさんにとっては、この「動かざること山のごとし」なハハ、というのは、きっと、とてもとても良いと思います。 動物医学界のブラックジャックであるうちの旦那さんがよくいうのですが、動物を訓練・飼育する時にもっとも大切なことは「忍耐と継続と首尾一貫」だそうでございます。育児だって、しつけだって、基本は同じ。 おとななら、わかりますね。このへんの大切さ。わかっていても、なかなか完璧にはできないわけですが、少なくとも、「そうする必要があるだろう」ということを自分のキモに銘じておくことはできますね。おとななら。なにか起こった時に「忍耐と継続と首尾一貫」とつぶやいてから、対応する、みたいなことができたりする。 でも、若い時にはむずかしい。なにかあるとすぐ動転し、パニックになってしまう。特に首尾一貫。これがむずかしい。自分が安定してなくてふらふらしていると、きのうダメといったことを今日は許したりしちゃう。時と場合と気分で、毎度、テキトーやっちゃう。しかし、毎度そういうふうにやられると、育てられる側は混乱するんですね。いったいどうしたらいいのかわからない。首尾一貫してないママに育てられると、こどもは、なにをしていいのかいけないのか自分で判断したり理解したりすることができず、ただ、ママの顔色を読んで行動するようになってしまいます。
また、もともと「育てたい! 愛したい!」 という気持ちがどれだけ強い状態でその対象をゲットしたか問題、みたいなこともありますね。そうしなきゃならない、じゃなくて、あくまで自分から、内発的にね。 若いママさんがた、ことに、そんなに欲しいと思わないうちに偶発的に「デキチャッた」ひとたちは、赤ちゃんのことを「じゃまもの」「障害物」「自分の人生にふってわいた災難」のように感じてしまうこともたまにはあるようです。「この子さえいなければ、あんなこともこんなこともできたのに!」と思ったり、まだこどものないおともだちが自由にのびのび過ごしているように見えて、うらやましくなったりすることも。 もともと自分がまず充分に幸福で、満足のいく暮らしをおくっていないと、「誰か」にやさしくするゆとりなんて本来ないわけです。そうしなきゃならないから(ダメなおかあさんだっていわれるし、みっともないし)しかたなく、自分をあとまわしにして旦那やこどものために尽くすけれど、そうするたびに「じゃあ、このわたしはどうなるの? 誰がわたしになにかしてくれるの?」損してるみたいな気分が募ってしまう。いつかこの損害を取り返したい、倍がえし、三倍がえしにしてもらわないとやってられねぇ! なんてヤクザな気分になってしまったりすると、他人に過剰に期待ばっかりするヤツになってしまう。 自分ができないことを、旦那やこどもにかわりにやってもらって、それで満足する、みたいな、人形遣いみたいなひとになってしまう。でも、相手は人形じゃなくて、それぞれ個人で、それぞれ自分に自分のやりたいことがあるわけで……こういうのはなかなかうまくいかないことが多い。 その点、長年こども欲しいなぁと思っていて、不妊治療をしたにしろ、しなかったにしろ、なかなか恵まれなくて、もしかするともうダメなのかもしれない、わたしはこどもってものをもてない運命なのかもしれない……とかなり何度も思ってから、やっとできた場合、このへんがもう、ぜんぜん違います。なにしろ、さずけていただけたことに対する「感謝!」の気分がひじょーに強いです。 「できちゃった」と、「さずかった」この差は、おーきいです。 のぞんでのぞんでやっと生まれた子のママは、なにかちょっと予想外なことや困ったことが起こっても、「ずっと欲しがっていたこと」「妊娠がわかったときの天国に手がとどきそうな気持ち」「生まれてきてくれてどんなに嬉しかったか」を、すぐ思い出すことができる。 「かけがえのない宝物」だと思えば、多少のことは耐えられる。かなり「なんでもできる」ようになる。 はたまた、実際その赤ちゃんが生まれてくるまで(あるいは、こどもなんてイラナイと思っていたのに、なぜか突然、こども欲しい! と思いはじめるまで)に充分に長い時間があったとすると、「こどもがいない」ほうがうまくやれることや、自分がひとりで個人的にやってみたかったことには、たぶん、一応、トライしてます。もう、やってみたことがあります! もしかして、うまくいかなったり、やりそこなっていたとしても、それは少なくともこどものせいじゃありません。あなたがこどもに縛られていて充分に自分の力を発揮できなかったからじゃない。なにしろ、こども、いなかったんですから! はたまた、すごくうまくいってて、もっと続けたかったことだったとしても、「こどもとどっちを取るか」「続けるか,やめるか、いったん休むか」ちゃんと自分で決められるでしょう? そんなにもあなたにむいていることなら、きっと、こどもさんが学校にいくなり、保育園にあずけることができるようになるなりしたら、また復帰できますよ。 だから、高齢出産ママは、なにか、ものごとがうまくできない時にも、それを「こどものせい」にしにくいんじゃないかと思います。……偏見があったらすみません。そんなにはやくあるいはその男性のこどもを持ちたくなかったのにデキちゃったひとの場合、ついつい、こどもにアタッちゃうってことが、あるんじゃないかと思うんですよねー。 充分にあそんで、充分に生きて、自分中心自分が主人公の人生は、もう飽きるほどたっぷり愉しんで(あるいは苦しんで)からやっとはじめる「子育て」には、「この子のために!」という気持ちを持たせてもらえたことそのものへの感謝や歓びがあります。つまりモチベーションがある。だから全力を注げるし、走りつづけられる。フォア・ザ・チームじゃないですが、自分がスタアにならなくていい。二の次でいい、脇役をつとめればいい。 そういう、ある意味一歩ひいた感じの心境ってやつがあったりして、そういう意味でもこころのゆとりってやつが生まれるかもしれません。
ちなみに。45歳をすぎて唐突に子育てなんかしている自分を、わたしは「小国のオリンピック選手」みたいだと思っております。 おられるでしょう。たとえば、こないだのトリノの冬季オリンピック。アルペンスキー男子に出場したマダガスカルの選手。開会式も「たったひとり」でした。同じアフリカでも、冬季五輪三回めのケニアのボイト選手(スキー距離)なんておかたは、もう、すっかりおなじみさんって感じで、スタアさんみたいですけど(笑)。たいがいの国の選手団がみんな団体さんだもんだから、「あまりに小規模」なこのひとたちは目立つっちゃあめだちます。それが、誇らしそうっていうか、楽しそうだよね。 「参加することに意義がある」というオリンピック精神からいうと、彼らこそ、もっとも純粋で正統的なオリンピック選手であるとさえ言えるかもしれない(笑)! なにしろ、勝つとか負けるとか、記録を残すとか、誰が敵とか手強いとか競うとか、なーんにも関係ないです。残念ながら(?)そういうレベルじゃないんで。彼らには「この場にたどりつけただけでハッピー」感がただよっております。ただもう、オリンピックを愉しむことだけ、してていい。 とびきり高齢のご出産をしたママなんつーのも、いってみれば、コレで。 町の検診とか、ワクチン摂取とかにでかけますというと、おーぜー赤ちゃんがいて、おーぜーママがいます。キレイにお化粧してオシャレしているママもいるし、そうでもないひともいる。お利口そうで可愛い赤ちゃんもいるし、そうでもない赤ちゃんもいる。とってもお金持ちそうなひともいれば、そうでもないひともいる。たまたま近所で同じぐらいの月齢の赤ちゃんをもっている、というククリで集められてしまっているひとたちなのですが、なまじ「同じ条件」の集合体って、逆に、ちいさな差異が目立つ。特徴が目につく。ちょっと特別キレイとか、ちょっと特別グラマーとか、あのかた全身ブランド品ばっかりだわー、とかってのが、なにげに意識にのぼったりする。うっかり元気でやる気のママさんだと、ここで「ええい、そうくるか、しからば拙者はこうじゃ〜!」とか、「ぜったいどんな分野でも誰にも負けるもんかー!」とか「いちばんにならなくてもいいけど、仲間はずれはいやー、ミジメにはなりたくないー」とかって、いろいろの意味で燃えてしまったりするかもしれませんが……高齢出産ママはもう、そういうことからは燃え尽きているというか、すべての競争からヒイてますから。 (いや、高齢じゃなくてもヒイてるひとはいるかもしれないし、高齢でもヒカナイひとはいるのかもしれませんが、いちおー、おおまかな区分ってやつで考えてくだせぇ) わたしなんか、逆にもう十歳若かったら、たとえば赤ちゃん水泳教室には、いく勇気がでなかったかもしれないっす。なにしろプールに入るにはどスッピンで、水着必須なんスから。ったくもう、ぴちぴちの若いママさんたちのまぶしいことといったら! 若さとかお肌ではぜったいに勝てないので、「ええい、バッグや水着をさりげなく超高級品にしてやる〜、しかも毎回新調してやる、カネの力で勝ってやる〜!」みたいになにかやたらにハリアウ気持ちが、もしかしたら、あったりすることもあったかもしれないっす。 しかし…… もう四捨五入すると五十なんですから(笑)そんなおとなげないこと、やらないっていうか。はじめからどうせ完全に視野外というか問題外というか、オリンピックでいうたら「予選でまっさきに落ちるの確実」なんで。「この場にこられて、いっちょ前みたいな顔して参加させてもらっているのが既に奇跡」なんで。 他人さまと比べて「へこんじゃう」ってことがない。そもそもへこむほどのデッパリがすでにないです。カドがとれて、全体、まるーくすり減って、しかも皺よってますから(笑)。 だいいち、他人さまは案外、ひとのことなんていちいちそんなにこまかく見てないものだ、ってことも、年の甲でわかっているしね。 もしかしてひょっとするとです、将来、娘に物心がついてよそのママとうちのママを比べてなにか疑問に感じたり不満に思うようになったら、その時はじめて「あまりにもイケてない自分を恥じる気持ち」も出てくるのかもしれません。 が……そんな時は、シドニー・オリンピックの赤道ギニアのエリック・ムサンバニ選手を思い出そうと思います!!! おぼえてますか? 男子自由形で100メートル泳ぎきるのが必死でやっとだったあのひとです。溺れそうになりながら、二分近くかかって、やっとこ泳いだ。泳ぎきった。観客は総立ちで、拍手喝采だった。あれは「バカにしてた」んじゃないですよ(中には、そういうひどいひともいたかもしれませんが)。不可能かもしれないことに勇気をもって挑戦するその姿に感激したんです。こんなのみっともないとか、ダサイとか、意味ないとか考えずに、途中であきらめず逃げ出さず、ただその時点で自分にできるせいっぱいのことをやった。すがすがしかったですねぇ。なにしろムサンバニ選手、オリンピックに出るまで、ほとんどプールで泳いだことなかったっていうんですから。このあと、ちゃんと練習して、翌年かなにかのイベントのゲストとして招かれて日本にきて、「その時よりはやく泳いでみせたり」してるんですからね。 ねぇ、星の王子さまの本にも書いてあったじゃないですか。だいじなことは目に見えないんです。 ほんとうに肝心なのは人間性ってやつです。 そしういうことがきちんとわかる子に育てたい。……でも、授業参観にいく時までには、できれば「あまり派手こいメイクに見えないけどきれいにみえるメイク」とかがうまくなっておきたい、それがだめなら、旦那に行かせよう、と、いまから思うわたしでした。
まったく別の視点から、メリットというか、功利的な理屈をもうひとつ。 赤ちゃんや小さなこどもを連れていると、「赤ちゃんや小さなこどもがいるような年齢の女性」に見えます。ふつう一般的にいってそういう女性は若いわけで、高齢出産であればあるほど、実際より若くみられる ようになります。たぶん若いはずだ、とみるひとが、思い込むんですね。その子のおばあちゃんに見えないかぎり。 なにしろ乳飲み子抱えてる最中は、時間的ゆとりも心のゆとりもほとんどない。自分をかまうヒマなんかない。ちゃらちゃらしたカッコより、動きやすくもったいなくなく汚れても皺になっても惜しくないようなカッコをしていることがどーしたって多くなります。美容院にいこうとおもったら誰かに赤ん坊をあずかってもらわないといけないし、爪なんかぜったい伸ばせません。赤ちゃん抱っこして転んだらこわいとおもったらハイヒールなんかもはけません。メイクはナシか、超速攻の最低限、髪は伸ばしっぱなしをジャマにならないようにゴムでくくっただけ、服は赤ちゃんに添い寝する時にらくちんなダラダラ服。そんな油断しまくりの最悪のかっこうでいてすら、「赤ちゃん」という特別のアイテムをしっかりと携帯しているだけで、「だったらしょうがないもんね」と思ってもらえるわけです。割引してくれるというか。 錯覚だけじゃなく、実際、妊娠したり、出産したり、授乳したりするということは、そういうことに必要な(つまりすこぶる女性らしい)ホルモンをばりばりにだしている状態ですからね。美容関係の著作が多数あるカリスマライターの斉藤薫さんなんかは、40すぎてから出産したひとたちってば、ほんとにあきれるぐらい、キレイになっちゃう! 出産するならぜひ40すぎに! っておっしゃっておられたりします。 また、高齢出産をしたひとは、長生きする! というデータもあるようです。これは、高齢で出産なんかできるひとってのはつまり健康なんじゃん、ということでもあり、育児などをすることで生活にはりがでてひとより「老け込まない」から、でもあったりするようです。 もともと平成太平の世の中、昔のひとと同じトシで同じぐらい老け込んでるってことはない、ハチガケかナナガケぐらいでちょうど良い、みたいなハナシもどっからか聞こえてきます。ナナガケすれば、40歳は28歳、50歳でも35歳!!! そりゃー、まだまだイケるわけです。 黒木瞳さま、叶恭子さま、森光子さまなどなど、「いやーまったくぜんぜんそのおトシにみえませんもの!」な見本お手本が、いくらでもおられます。 トシなんだからとやってみもしないうちから諦めないで、「この子のママなんだから、わたしはまだ現役!」と思い込みましょう! お誕生日、クリスマス、結婚記念日など、特別な時には、赤ちゃんをちょっとのあいだ誰かにあずかってもらってでもちゃんと準備万端整えて心ゆくままオシャレをしましょう! ふだんの日との落差のゆえ、旦那さんや家族の目にはあなたはまちがいなく「ものすごくキレイ!」に見えます。またあなた自身、ふだん抜きっぱなしの気合をここぞとばかりにいれなおすし、タマのハレの日にウキウキしているでしょうから、実際、内側から輝くに違いありません。そういう時こそ、キネン写真を撮っておきましょう。もちろん、我が子をダッコして。ハッピー全開の素敵な写真を撮ってもらいましょうね。 それにね、客観的にどうだろうと、お他人さまがなんといおうと「うちのママは素敵!」家族が、そして、こどもが、そう思っていてくれれば、それでいいじゃない? こどもに「ママ、だーい好き!」ってハグしてもらった時の笑顔、それが、あなたを、女神のように輝かせます。マチガイありません。 |