2・ちぢれちまった悲しみは

 

 

 天パは優性遺伝するもんだと言われる。小学校のたしか四年生あたりだろうか理科の時間、例のショウジョウバエとエンドウマメの話が出た時、教師が「スガワラ(旧姓)のようなモジャモジャ頭も典型的な優性遺伝だ! とうさんとかあさんのどっちに似た?」と、嬉しそうにひとをダシに使ってくれた。

 わたしは強い子でききわけのよい子であったからいきなりその場でワッと泣き伏したりして教師をこまらせはしなかったが、ココロの中にはブリザードが吹いていた。モジャモジャ? 朝の忙しい時間に、必死に濡らしてなでつけて、父親の整髪剤をかりてなんとかそれなりのかたちにおさえこんだつもりのそれが、モジャモジャですって? ああ、そうとも。わかっている。そりゃあへんだ。みっともないよ。でも、しょうがないじゃないかこれがうまれつきなんだから!

 ああ。なんで見ないふりしてくれないんだ?

 わたしは放送部員でお昼になると視聴覚室のスタジオにいって校内テレビで「みなさんこんにちは」とメインキャスターをつとめたりなどしていたのだが(進んだ学校だったなぁ!)そのわたしが全校生徒に「モジャ公」と呼ばれるようになるのは実にアッという間であった。校内だろうとNHKだろうと、視聴者の9割は登場人物の語る内容などではなく、目に見えるもの、つまり表情や容姿や服装やアクションを主に観賞し、コメントの対象にするものである。

 ちなみにうちの場合は母がクルクルで父がチリチリだ。たとえもし縮毛が劣勢遺伝であったとしても、逃れようがなかったような気がする。

   だがな、そもそも、優だの劣だのという漢字は、なんだかどちらかの価値がより高いかのような錯覚を与え、差別と軋轢を生じてすこぶるよくないと思うぞ。審美的にも日常の便利からいっても損でやっかいで迷惑きわまりない(こどもの頃などは100%そう思っていた)縮毛のほうに「優」などという字をつけられると、イヤミもいいところでまったく不愉快である。「ひとの気もしらないで、なにが優性よっ!」とグレたくなる。正しい意味のとおりに頻と稀、並と珍とかにしてくればよかったのに! したら、縮毛のほうが並遺伝で、黒髪直毛どもが珍遺伝だったんだぞお!

 それにしても不思議だ。ちぢれるほうが優性なんだとしたら、なんだって「まっすぐ」なひとのほうが多い現象が続いているのだろうか? 日本という国は少なくとも二千年間ぐらい続いているでしょう? 何代も何代も雑婚するうちには、優性のほうが数的優性になってしかるべきだと思うのだが。とんでもないチリチリ頭を持ってうまれてしまったコの割合はいまだにかなり少ない。なぜだろう? 

1・縮れる遺伝子をもったひとの数はもともと極端に少ないため、いくら増えても、やっぱりマイナー。絶滅危惧動物みたいなもん。 

2・縮れてるやつはモテない。男女ともに。だから増えない。もしかすると、なにかの理由で結婚しにくいのかもしれないし、エッチをしてもコドモができにくいのかもしれない。

3・縮れる遺伝子は何らかの致死遺伝子とリンクしていて、縮れがちなひとは死にやすく、ろくに生殖年齢に達しないうちにトットとみまかってしまう。

 ……なんてあたりでしょうか?

 幼いわたしの不幸の元凶は、ほぼいつも自分だけ、自分のみが、「見逃しようもなくヘンテコリンな頭」であることであった。どの学年のどのクラスにも癖毛の子はいたが、わたしほどひどいひとにはあまりあったことがない。たまーに、同じ学校内にニ三人、ちょっと近い感じのひとを見かけたりしなくもなかったけど。気のせいかもしれないが、東京よりも盛岡のほうが「天パ」割合がかすかに多いような気がする。ひょっとすると、かの地にはヤマト民族の襲来よりもより古い血を強くひくひとが少なからずのではないかと推定されること、すなわち、縄文系のDNAとなにか関係があるのかもしれない。

 

 

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