yumenooto uminoiro   2016.7.11  

 

 

                                                                                                         Layla 6

 とある午後、こどもたちは磯のほうに探検に出た。

 足場のよくないところもあるというので、ナルミちゃんとアキコとヒロさんは荷物といっしょにパラソルのそばに残った。犬たちは追いかけてきたかと思うと、また戻り、どちらにつこうか、何度も何度も迷っていったりきたりする。

 いつもの砂浜を回り込むと、すぐに磯だ。白っぽい青灰色をした岩は、ぼこぼこ穴だらけで手触りもざらざら。あちこちでっぱったりひっこんだりしながら、どこまでもどこまでも、岬が回り込んで見えなくなるまで途切れもせず、海に逆らい歯を剥きながら続いている。その懐に入ると、なんだか巨大怪獣の背中を歩いているようだ。崖がそのままなだらかになって続いているところもあれば、えぐれて洞窟みたいになりかけているところ、いったん海中に没してまた突き出しているところもある。

 ひとつ岩を越えるたびに、景色や構図がくるくる変わった。同じひとつの岩がちょっと角度を変えてみるとまるで別のものに見えた。積み木のやりかけみたいなところ、鳥居の原始的なのみたいになったところ、桃太郎の絵本の鬼が島の小型版みたいなかっこうのもあった。岩はみな白っぽく明るいから、小さな潮溜りなどは薄青く底まで透けていて、魚や貝やヤドカリや他の小動物がとじこめられているとすぐにわかる。ひとが近づいていくと、パッと逃げたり、砂を撒き散らしたりするものが多いからだ。

 よじ登ったり、伝い下りたり。磯遊びとやらは少々重労働である。大波がくればしぶきもかかる。ちゃんと岩にくっついているように見えるのに、踏んでみるとグラグラなところもある。水着一枚にせんぜい一枚羽織ったぐらいで、みんな腕も足もむきだしだから、うっかり景色かなんかに見蕩れて油断して、肌をこすらないように、躓いて転ばないように、よく気をつけなければならない。

 特に自分は、とレイラは思う。もうケガはしないようにしないと。

 岩につかまろうとして左手を伸ばすたびに、痣が目に入った。傷はとうにくっついたが、打撲のような痛みが続いている。夜はまだ湿布薬をあてている。

 水の冷たい北の海だからなのか、岩にぬるぬるした海草がくっついているところは少ないが、それでも時々はあって、ただ波に濡れているだけのように見えてわかりにくい。用心して踏まないと滑ってしまう。

 道といえるような道はない、ただ天然のままだから、脚の長いスミカには平気でもレイラには充分届かないところもあるし、ぴょんぴょん飛び跳ねるヒトシになら渡れるところでも、迂回していったほうがよさそうな場合もある。前をゆくひとの歩いた通りに歩けばいいとは限らないし、あまりあわてないほうがいい。ひどく尖っているところや、さわると折り取れてしまうところもあって、ギュッとつかまる掌やゴム草履の底が、ときおりいきなりちくりと刺された。痛い、やだ、だめ、こわいー! 双子はわめき、ちょっと無理だと思うところでは、いちいちフクちゃんに手を取ってもらったり抱き下ろしてもらったりしているものだから、だんだん年長三人組とは距離があいた。

 大きな潮溜りのあるところで、レイラは立ち止まった。ちょっと息がきれたからでもあるし、ふと見たら、水の中に、なにやら妙な生き物をみつけたからでもあった。なんだろう。

 そうしている間にも、先へ先へとまるでどこかに目的地でもあるかのようにどんどん進んで行ってしまうのはヒトシだ。そのヒトシを無意識に追いかけているのだろう、スミカの背中ももう遠い。

 振り向くと、双子は、大きな段差のあるところで停滞している。

「ねぇ、これ、見た?」

 レイラが怒鳴ると、ヒトシが振り返り、たちまち猿のようにするすると戻ってきた。

「なに?」

「これ」

 レイラの指差す先、浅くたまった海水の中。ヒトシがどれどれ、と膝を曲げ、ゆっくり引き返してきたスミカも、残りふたりの顔の間に割って入って、覗きこむ。

 ちょっと見には、古タイヤの切れっぱしのようだ。ほぼ筒型で、黒っぽくて、表面はつるんとしている。頭があるのか、あるとしたら、どっちなのか、よくわからない。さわったら、きっとぬるぬるするだろう。大きさは、レイラの両手に乗せれば乗るかな、というぐらい。小さくはない。

 可愛いものではない。どちらかというと、気味悪い。

「げー。なんだ。でっけーナメクジみてぇ」

 ヒトシは水の中に手をつっこんで、さわろうとした。

「あ」スミカが声をあげる。

「なんだよ」

「さわってもだいじょうぶ? 毒じゃない?」

「平気だろお」

「でもそれ、なんかヒルみたいだもん。ぱっくり食いつかれて、血ぃ吸われちゃうかもしれないよ」

 まさか、と言いかけながらも、ヒトシはひるんだ。

 なにみてんのぉ、なんかいるおぉ、甲高い声をあげながら、ようやく双子が追いついて来た。フクちゃんもだ。頭ごしに生き物を見ると、ああ、とフクちゃんは言った。

「ウミウシだ」

 さすが。ちゃんと知ってる。レイラは横目でフクちゃんを見た。

 ちょっと尊敬。

「危ないもの?」スミカが聞く。

「ぜんぜん。けど、さわんないほうがいい」

「どうして?」

 フクちゃんはへにゃっと笑ったような顔をすると、黙ったまま、そばに転がっていた岩のかけらを取り上げ、ヒトシの横にしゃがみこんで、半ば投げるように、半ば落とすように、ウミウシにぶつけた。

 あぶない……! レイラは自分がぶたれたような気がした。

 思わず顔をそむけ目をつぶってしまったので、岩が落ちてぶつかった時、ウミウシが身をよじったかどうか、レイラには見えなかった。気がついた時には、パッと潮溜りが染まっていた。まるで手品のように。チャンネルを切り替えた時のように。ほんとうに一瞬の、あっという間のできごと。こどもたちはみな、驚いて、ああ、と声をあげた。

 鮮やかに濃い紫が、毒々しいまでの色が、煙のように沸き上がり、みるみるあたりに広がったのだった。

「……グレープジュースそっくり」ヒトシがうめいた。

 まったくだ。ウミウシが出したものなのに違いなかったが、それは、生き物が発する色としては、あまりに不思議で、きれいすぎて、嘘くさかった。

「こうなるんで。知らずにさわると汚れます」

 なんでもないことのようにフクちゃんは言って、またサッサと歩きはじめた。双子も、ヒトシも、そのうちにスミカも行ってしまったが。

 ウミウシ、だいじょうぶかな。痛くなかったかな。潰れて怪我してしまったのかな。レイラはぜんぜん透きとおらなくなってしまった紫色の水をじっと見つめたまま、しばらくその場から動けなかった。

 怒ったかな。ウミウシ。あんた、もしかして、もう死んじゃう?

 鮮やかすぎるむらさき色の水の中、どこにいるかもわからない。海水のきらめきや、風のつくるうねりや渦にも、邪魔される。

 死なないよね。あのぐらいのことで。このむらさきをおもいきり吐き出しちゃったら、もうそれっきりだったりしないよね? だったら、やらないよね? フクちゃん、そんなひどいひとじゃないよね? 

 きっと、これは、ただ、かまうな、ほっといてくれ、って、そういう意味だ。烏賊とか蛸が墨を吐くみたいな。煙幕を張って、隠れたんだ。それは、そうして、無事に生き延びるため。そうなはず。そういう色だよね?

 でないと。

 レイラは悲しい。

 うっかり、あたしが見つけちゃったから。つい、みんなを呼び止めちゃったから。だからあんたがぶたれて、死んじゃったんだとしたら、あたし。申し訳ないよ。

 ……ごめんね。ごめんなさい。ゆるしてください。

 岩の尖ったところを双子を支えて渡してやっているフクちゃんの裸の、もうすっかり乾いているのにテカテカ金色に光っているようなのを見ると、なんだか溜め息が出た。

 いつまで見つめていても色は簡単には澄んでくれそうになかった。ウミウシが無事なのかどうか、確かめられそうになかった。もしかすると、もうここにいないのかもしれない。波と色にまぎれて、すばやくどこかよそにいってしまったかもしれない。そう思いたかった。そう思うことにする。

 しかたなく立ち上がって、歩き出した。みんなのあとについていかなきゃ。ひとりぼっち離れてしまうと恐い。

 

 いまだにどう考えていいのかわからなかった。フクちゃんというひとのことを、だ。

 何の頓着もない服を着ているより、裸でいるほうがずっとカッコいい。そういうことそのものが、なんとなく好もしい。つまり、見かけ倒しじゃないというか、うわべになんかまったくなんの気もつかってない、ってところが、とてもきちんとしていて、頼もしく男らしいような気がする。

 小さい子に慕われてもうるさがらずに、ちゃんと安全に面倒を見てやってくれるのは有難い。最初思ったより、いいひとなのかもしれない。ウミウシみたいなへんな生き物の名前も、突つくとあんな色のなにかを出すことも、ちゃんと知ってた。博識だ。このあたりのひとなんだからあたりまえかもしれないけど。そんなふうには見えないのに。ちゃんと知っておくべきことを知っている。

 でも、

 いきなり岩をぶつけるなんて、ずいぶん乱暴だ。

 直接さわりたくなかったから、かもしれないけど。近くに、棒とか、そういうものがなくて、そっと突つく方法がなかったからかもしれないけど。

 海で暮らすしごとのひとにとっては、珍しくもない、価値のない、どうでもいい生き物なのかもしれないけど。ハエと蚊とかをなんにも考えずにパチンと退治しちゃうみたいなもので。このあたりの子供たちとか、見つけたらちょっと蹴ったり殴ったりして、むらさき色のやつを吐き出させて遊ぶほうが、ふつうで、当然のことなのかもしれないけど。

 もうちょっとなにか別のやりかたはなかったんだろうか。まだ小さいミキヲやノリヲに、あまり無節操に残酷なことをしてみせてほしくなかった。彼等はフクちゃんを尊敬しはじめている。ということは、じき、なんでもフクちゃんの真似をするようになるに決まっている。

「さかなぁ!」

 ノリヲの声がする。

 すぐそこの岩や手先や足元ばかりを見つめて歩いていたので、みんなが停まっていたのに気づかなかった。

 フクちゃんが大きな潮だまりに膝まで入っていた。海のほうに背を向けて、じっと水面にかがみこんでいる。首に下げていたタオルを手に持っている。それから、目を下に向けたまま、ゆっくりとした動きで両手を水にさしいれた。サッとすくいあげる。タオルが水を孕んで丸くなる。

「さかなだ、さかなだ!」

 すごい、とレイラは思った。あの、すばやく逃げてしまう小魚たちも、逃げ場のない潮溜りの中でタオルで慎重に追いつめられればあえなく掬いあげられてしまうのだ。そうして徐々に水の抜けていくタオルからなら、双子の手にも拾われてしまうのだ。ミキヲやノリヲの嬉しそうな顔といったら! いわば、金魚すくい、の原始天然版である。

 なるほど。たぶん、あれが、フクちゃん流のサービスで、優しさなのだ。唐突で不器用だけれど。

 もしかすると、レイラが悲しい気持ちになったことも、実は察していて、お詫びのしるしなのかもしれない。

 きっと砂浜でいつもビニールボートを引き回している時に、あれを捕まえてみせろと乞われて、ここでは無理だけれど、磯なら、と思っていたんだろう。

 双子はさぞかし嬉しかろう。しじゅうオトナにいろいろと要求や命令をしたがるのだから。小さな彼等の浮気な願いは、そうそう誠実にかなえてもらえない。真剣にとりあってさえもらえない。なのに、こんなに、きちんと対応してもらったら、そりゃあ嬉しい。だからといって、フクちゃんは少しも得意そうな顔もしない。ただあたりまえのような顔をしている。五分刈りの頭からつきだした耳の縁に陽光が光っている。

 やらせて! こんどは、ぼく、やる!

 ミキも!

 双子がばしゃんとばしゃんと順繰りに潮溜りに飛び込んで、フクちゃんにとんでもない水飛沫を浴びせ掛けた。危ないでしょ、気をつけなさい、さっそくスミカに怒鳴られている。

 そういえばスミカは今日はコバヤシくんのみたいなあのシャツを着ていないな、とレイラは思った。

 

 

 

 また別の日の午後には、砂遊びをした。

 レイラは浜辺に座り込んでそこらにいくらでもある砂を掴んで、なにげなく積み上げたり崩したりしていた。そのうちに建物らしい形が生じてきて、となればやっぱり城を作るしかないのだった。

 波が届いたら水が流れたほうが面白いだろうと思ったので堀をつくり、トンネルを作った。ふと気づくと、スミカが、そして双子が、最後にはヒトシまで加わっててんでん勝手に敷地を広げはじめ、気がつくとそこはいつの間にかなんとなく“菩提樹”に似てきた。

 半円形の階段を持ったファサード、横に大きく張った棟、いくつも伸びた煙突、ステンドグラスの嵌まった窓、ツタのまきつくテラス。ガラスの温室。誰が言い出したわけでもないのに、みんな黙々と砂を盛り、整形し、崩れてしまったところを補強した。高さや直線らしさを出すには目のこまかな濡れた砂が必要だったし、こまかなところをきちんと彫り込むには、裏の雑木林から拾ってきた小枝の先が便利だった。いつしか、作業は、真剣この上ないものになった。犬たちがはしゃいで近づこうとして、その気配のあまり、遠慮して立ちすくむような。

 最初に手をつけた子がうろ覚えだったり間違ったりしたところは、別の誰かの手がそっと直した。のっぺりと角張った小山のようだった建物が、どんどんそれらしくなっていった。砂は細かいが粘りがなく、精密な作業をするのにはむいていない。細部まで作り込むにはできるだけ大きくするほかないが、大きくしすぎるとこんどは正しい縮尺で高くすることができない。

 それは、しだいに、完全なバランスで可能な限りぎりぎりの高さと大きさを持ったミニチュアになった。誰かちゃんと考えてからはじめたわけでもないのに。そもそも、みんなでこれを作ろうね、と約束したわけでもなんでもないのに。

 誰も口も聞かず、疲れた様子もなかった。移り気な双子でさえ、飽きて水際にいってしまうこともなく、小さな手で一心に働き続けた。満潮になって大きな波が来れば、いや、ひとがちょっとつまづくか、イヌの尾がひと掃きしただけでもあっけなく崩れてしまうものなのに。

「わー、お城だお城だね」

 オムツひとつでたどたどしく歩くアキコを腰をかがめて支えてやりながら、ナルミちゃんが近づいてきた。

「アキちゃん、しゅごいねぇ。ほんとのほんものみたいだねぇ」

 アキコはその場に立ち止まろうとして、たちまちよろけ、トテンと膝をつき、ハイハイのかっこうになった。薄くパヤパヤした毛しかない頭を大きく前後に振り、丸い目をいっぱいに見開いて、半ば握ったままの手を砂のお城に向けて伸ばして、「う」と「お」の中間に濁点をつけたような音を発する。まるで汽笛のようだ。

 その手がもうちょっとで、建物に届きそうだ。

「こさせないでよ」ヒトシが鋭い声を発した。「アキコに突撃されたら、せっかくのが、一瞬でこわれちゃうから!」

「……ごめんよ、しないよ」

 ナルミちゃんはあわててアキコの向きを変えさせて、別のほうに歩かせようとしたのだが、アキコはガンとしてお城のほうを見たまま、ぼー、とも、もー、ともつかない音をたて続ける。

 双子はついに集中力がきれたらしく、ほうっと座り込んで城を見ていたが、やがて、いきなり立ちあがり(どっちが合図をしたわけでもないのにぴったり同時になるのがさすが双子だ)、それぞれに浮き輪をつけて、泳いでくるー、と飛び出した。あまり沖にいくなよっ、ひとこえ叫んで、ヒトシはまだ柱の飾りつけを続けている。スミカは階段室の縦に長いステンドグラスをより本物らしく見せる工夫をしている。

 フクちゃんがのそりと起き上がり、シャツを脱ぎすてて、双子の面倒をみに海に入っていく。

 ふと、花が香った。

 レイラは目をぱちぱちさせた。あたりを見回した。花なんてどこにも咲いていない。ひょっとして、風が吹いて、ヒロさんの香水でも届いたのだろうか。

 でも

 癒恵の匂いだった。

 ……帰りたい。レイラは思った。あの大好きな樹の下に立ちたい。クリーム色の花が風にそよぐところが見たい。

 だが、夏はまだ途中で、予定は未消化だ。ヒロさんの屋敷の改築工事とやらはそんなにすすんでいないだろう。頼めば本館に泊めてもらうことができなくはないかもしれないが、そんなわがまま、母がいやがるかもしれない。家へのみちのりはあまりに遠く、気軽に往復できるものではなかった。そもそも道を知らない。誰かに付きそってもらわなければ無理だ。

 我が儘を言っちゃいけない。

 でも……これは。

 この砂の城は。

 これを作り上げようとしたのは、せずにいられなかった、みんなの熱心さは。

 ホームシックになりかかっているのは、自分だけではないのかもしれない。

 ふと見るとスミカと目があった。気のせいか、咎めるような表情。

 かえりたいなんて口にだしていったら、怒るよ。ひとり言ったら、みんなが言い出すから。こだまになっちゃうから。そう思っているのかもしれない。

「……あたし泳ぐ!」

 羽織っていたTシャツを脱ぎ捨てて、レイラは海に走った。

 冷たい水。しおからい水。透明な水。

 ここがいい。

 ここが大好き。ここに居たい。ここに居られるのはいまだけで、けっして永遠ではないのだから、ここに居るいまをもっと愉しまなくっちゃ。

 もっと存分に、もっととことん、もっと徹底的に。

 悔いなんか、けっして、ひとかけらも、残らないように。

 

 

 

 ――おおむねそんなふうに日々は過ぎた。

 ラジオ体操のテーマソングに起こされ、いたって健康的な朝食を摂り、午前中から海にでかける。天気が良い昼間は、砂浜か波打ち際か磯で過ごし、おひるごはんの前後は日陰でからだをやすめ、夕方まだ明るいうちに、高台の家に戻る。順番に風呂を使って潮気を流し、元気いっぱいに夕飯を食べ、宿題をやったり映りの悪いテレビを見たりゲームをしたりし、就寝する。

 それは、たゆたう日々。

 小さなぬくまった水たまりに浮かんで、波のリズムで揺れているような日々。

 このうえもなくゆったりと幸福な日々だった。

 みんな裏もおもてもくまなくこんがり陽にやけて、鼻の頭や肩のあたりの皮は、何層にもべりべり剥けはじめた。

 レイラはだいぶ泳ぎがうまくなったと思う。足が立たないあたりまで行くのも平気になった。スミカやヒトシと競って、何度も、ブイまで行って戻る。沖に向うよりも、浜に戻るほうがずっと力が必要だということを知った。へんにリキんで無理に泳ごうとするとコムラカエリを起こしそうになる。沖で疲れ果てて戻れなくなったら溺れてしまうだろう。だが、水面に顔を伏せない平泳ぎで、ごくゆっくり少しずつ確実に進めばいつかはちゃんと戻ってこられる。そういう自信がついた。どうしてももどれないときは、無理をせず、浜に水平にすこし移動して、楽に近づけるところをさがす。あまり体力を使わずに進める力を抜いた泳ぎのコツもなんとなく少しわかってきた。ちょっとぐらい塩辛い水が顔にかかっても、いちいちプールの底に足をつけて立って息を整えられなくても、別になんということはない。しんどくなったら仰向けになって、浮いて休めばいいのだ。

 たゆたう。

 浮かんで、ただ、ぼうっとしている。

 海は、つきつめて言えば、そのためにこそある。

 のではないか?

 双子の浮き輪を借りて、お尻の下に敷いて足を前に投げ出して、水面に浮かんだままゆらゆら波に運ばれるのを楽しんでいたら、一度うっかり輪の真ん中にすっぽりお尻が落ち込んではまってしまい、あわてた拍子にひっくりかえって、大波に揉まれた。砂に擦られて、肺の中の空気がからっぽになってしまいそうになった。なまじ浮き輪がからだにくっついていたから、へんに浮力が働いて、波に弄ばれてしまったのである。なまじ水深が浅かったから、逆に、くるりと回って立ち上がるだけの余裕がなかった。以来、懲りた。波が来てはせわしなく砕ける波打ち際よりも、少々沖にいるほうが安全だ。波で上下はするけれども、じっとしていれば、そんなに大きくは動かない。離岸流にさえまきこまれなければ。それなりの場所に定位していられて、安定していられて、つまり、油断していても平気なのだ。

 特に、水中メガネがあれば。

 透明度の高いここの水でも、ちょっと沖に出ると底までは見えない。緑がかった曇りガラスのようなやさしい感じの色をしているのが、あるところから向こうでは急に青くなって、その濃さがどんどん増して、うんと沖の湾の外の部分とほとんど同じように見えるようになる。いったいどこまで深さがあるのかもわからないそんな紺色の海に浮かんでいるのは、さすがに心細い。無力さを思い知る。不意に足先に冷たい流れがそっとさわったり、海草がまとわりついて来たりもして、そのたびについ、ギョッとさせられる。まさか、人食いサメの背鰭や、オオダコの吸盤だらけの触手につつかれているんじゃないだろうな、といらぬ想像をしてしまう。サメにガバリと齧られるのも痛そうでイヤだが、実はタコのほうがもっと恐かった。あがいてもあがいてもじわじわ引っ張り寄せられて、海底の謎の洞窟に引きずりこまれそうな気がするのだ。

 だが水中メガネをつけて覗き込んでみれば、あたりには、とくに大きなものも、まして、怖いものなどいないことがわかる。背の立たない海といっても、なにもいきなりものすごく深くなっているわけではないのだ。何度見回しても、サメのサの字も、タコのタの字も見当たらなかった。たしかにそこらでは砂に岩がまじり、沖に行くほど、その岩がどんどん大きくなり、砂にしめる岩の割合もどんどん多くなっていくのだった。岩には海草がへばりついていたり、ウニやヤドカリやイソギンチャクがもぞもぞしながら巣食っていたりする。みんなちっちゃくて、およそ悪さなどできそうにないような可愛いやつらだ。岩のそばには、魚たちも群れで寄って来る。

 ある時、思い切って潜ってみたら、あっけなく海底にタッチすることができた。まっすぐあがれば、じゅうぶん息が続くうちに戻ってくることができる。その程度の深さ。

 一度タッチしてみれば、そこまで行くのはもう恐くない。

 そのうちに、岩のどこかにつかまって、息がいよいよ苦しくなるまでそこにくっついている生き物たちを眺めていることもできるようになって来た。どっちが長いこと潜っていられるか競争を、ヒトシと、した。ヒトシが得意そうにやってみせるので、水中前転や、水中後転もマスターした。あんまり無理をすると鼻から水を呑んでしまってすごく痛いのだけど。

海の中なら忍者になれる。

 水の中から見上げる空は、とてもきれいだ。水面は、空気との境界面は、涙がでそうになるほどきれいだ。それは氷の宮殿、無限に続くシャンデリア。太陽のあるところだけが丸く抜け、さんざめく。きらきらした輝きがどこまでもどこまでもどこまでも見渡す限りに続いていて、しかも、一瞬ごとにその様相を変える。ほんの少しもじっとしていない。

 すぐそばで見る海底もとてもきれいだ。海底の砂は波になぞられるままに微妙にデコボコしている。砂は一瞬たりともじっとしていない。少しずつ少しずつ動いている。だがとてもゆっくりだから、全体としては止まってみえる。その小山脈のような砂の上を、海面の揺らぎをそのまま映しながら光の帯が通る。波の動きのほうが砂の動きよりはずっとずっと速い。そこで、互いによく似てはいるけれども大きさと速度の違う波形と波形が、どのひとつとて完全に同じものはない模様と模様が、重なって繋がって高めあって打ち消しあって、次々に違う姿をみせることになる。光と影は、つかず離れず、刻一刻変わる永遠のダンスを踊り続けているのだった。

 すべての振り付けが完全にただ一度きりの、そして、終わることのないダンスを。

 潜って、息をとめて、海底近くに留まって砂を見るともなく見つめていると、なんだか焦点がおかしくなってきて、目の調整がきかなくなってきて、砂粒のひとつひとつが見えなくなる。すると、なんだか、自分が大きな大きな雲の巨人になって、サハラ砂漠のようなところの空に浮かんでいるような気がしてくる。水は透明だから、すぐ鼻先にあるものを見つめている時には、ないも同然だった。ちいさなちいさな砂山の起伏は、大きな大きな地球儀でもみつけることのできるような地形のそれに、あまりにもそっくりなのだ。息をつめて、息をこらえて、頬杖をついてみつめていると、レイラの掌で隠せてしまえるほどの砂の丘のひとつの向こうから、ラクダを連ねた隊商がゆっくりゆっくり歩いてきそうだ。実際には、みまわせばどこかには貝殻がひとつふたつ転がっているか、ヤドカリがもじょもじょと髭を動かしていたして、あ、そうだった、ここは海だった、とすぐにわかってしまうのだけれど。

 

 

 

 ――おおむねそんなふうにして毎日がすぎた。

 海の思い出はどんどん溜まって、胸にしまっておくことができなくなりそうだった。あんまりたくさんのことがありすぎて、最初のほうにあったことが薄れてしまう前に、少しメモを取っておいたほうがいいかもしれない。夏休みの終わりに提出するはずの作文は、たぶんかなり長くなるだろう。原稿用紙何冊分にもなる作文をドサッと渡したりしたら、先生はひょっとしてちょっとウンザリしたような顔をするだろうか。あまりにも長すぎると、朗読させられたりしなくてすんでいいかもしれない。

 そう、国語担当のエリ子先生はよくできた作文は本人に朗読させる。いや、ほんとうに、「よく」できたものをそうしているのかどうかは実のところよくわからないのだが。

 最初にひとりだけ、書いたものをみんなの前で読むように言われた時には誇らしく気分が高揚したものだ。書いたものにも自信があったし、朗読というものをしてみるのも楽しかった。だが、レイラがおのれの書いたものを目の前に広げて音読をはじめたとたん、クラスメイトたちは、鼻をほじったり、机につっぷしたり、隣や後ろの子と無駄話をしたり、ノートに悪戯書きをしたり、書いたものを千切ってまわしたりしはじめた。なんとか聞いてもらおうと声を張り上げたりわざと囁くようにしたり、芝居っ気たっぷりに感情をこめても、なんの役にもたたなかった。読み終わって座った時には、何人かが拍手をしてくれたが、そりゃもうオザナリの、「よかったよ」の拍手というよりは「やっと終わって嬉しい」拍手で、レイラはたいそう傷ついたのだった。

 たいへん素晴らしい作文でしたね、みなさんも、こんなふうに書いてくださいね、エリ子先生は言ったが、その「こんなふう」というのが具体的にどういうことなのかをきちんと説明しようとはしないで、「じゃ、教科書開いて」だったので、それで誰かがやる気をかきたてられたとはとても思えない。また、ふだんからうまくいっているとは言い難かったクラスメイトたちとの間に、おかげでいっそう壁ができてしまった。「ふん、先生のいい子ちゃん」「なにさまのつもりだよ」「ごますりばっかうまいんだから」といったアレである。目の隅からじろじろ見たり、背中に唾をはきかける真似をするアレである。「さすが“菩提樹”の子は、ひとに気にいられるやり方を知っているよね」エリ子先生がもし男性教諭だったら、その上どんなありもしないウワサをまことしやかに囁かれることになったかわかったものではない。

 次に作文を書かされた時には、レイラだけではなく、他にも、女子がひとり男子がひとりやはり朗読をさせられたのだが、どちらも、指名されると、まるで銃で撃たれでもしたかのようにショックを受け、いやそうにしばらく、読みたくない、と逆らった。どうしても読まずにはすまないらしいとわかってからは、恥ずかしそうに項垂れて、ぼそぼそよく聞こえない声の早口でしかもへんなところでブツ切りにしながら読んだので、いったい何が書いてあったのだかいっしょうけんめい注意して耳をそばだてて聞いていたレイラにもちっともさっぱりわからなかった。女子のほうは、地味で暗くて勉強もできなくてクラスにいるんだかいないんだかわからない覇気のない子だし、男子のほうは、日頃から先生になにかと叱られることの多いお調子ものだ。彼等の当惑と苦痛に満ちた表情を見ているうちに、ひょっとすると、作文を書かせる、あるいは、朗読をさせる、というのは、「罰」の一種なのではないかと気がついた。生け贄に、あるいは、晒し者に、されることに他ならないのではないかと。教師が、生徒たちに、教師の権力を思い知らせる手段なのではないかと。

 とすると、いくらレイラ自身が実は作文を書くことや読むことが好きで得意であっても、嬉々として書いてみせ、あまつさえ芝居っけたっぷりに朗読などしてみせるのは、どうであろうか。クラスの他の子たちとの埋め難い溝をよりいっそう深めることになるのに他ならないのではないか。だからできれば二度とみんなの前で朗読などしたくないと思ったが、だからといって、わざと手を抜いていい加減な作文を書くのはイヤだった。まして「書かない」提出しないという選択肢は考えるだけで卑怯だ。そんなことはけっして許されないだろう。書かなければならなくなると、つい、本気で書いてしまい、できるかぎりおもしろくなるように、うまくまとまるように書いてしまい、また、当然のごとく指名されるのである。

 一度レイラは職員室のエリ子先生のところにいって、もう朗読はさせないでください、と言ったことがある。

 どうして。

 鼻のどこかが悪いのか、いつも風邪をひいているような声をしたエリ子先生は、地味な顔たちを不意に夜叉のようにゆがめて、レイラを見た。

 どうしてこの次もあなたをあてると思うの。わからないでしょう、こんどはどうなるのか。それともどんな題でいつ書かせても自分が誰よりもうまく書けると思っているのあなたは。

 いきなり全力でぶつけられた敵意にレイラは答えに窮したが、事実を言えば、たぶん、九割九部、自分が、思わず読ませたくなるようなものを書くに違いないだろうとは思っていた。マスメを埋めなければサボッていると叱られる、それがイヤさにどうでもいいことばを連ねているにすぎないものと比べられても。もともとぜんぜん書くことをたのしんでないひとたちがしょうがなく書いたものと、同列に並べて比べられても。あたしだって困るんですけど。

 反論は心の内に秘めて黙って目を伏せていると、

 なによ。バカにして!

 エリ子先生が急に興奮して声をはりあげたから職員室じゅうの他のせんせいがたがみんなビックリしたようにこっちを見るのだ。

 がっこうなんてこくごなんてどうでもいいとおもっているんでしょうにほんじんならだれだってよみかきぐらいできるんだからもうそれでいいっておもっているんでしょう。あたしからおそわることなんてなにもないって。しってるんだからみんなどういっているか。

 こみあげる涙をこらえたエリ子先生の鼻はますます詰まって、このセリフの最後のほうなどはきっぱり「びんだどぼびっでびどぅか」になってしまって、聞いているほうが呼吸が苦しくなってくるようだ。病院で治してもらったほうがいいのではないかと思うし、そもそも、そういう声に生まれついてしまったのだったら、小学校の先生などという、どんなに些細な欠点あるいは特徴でも生徒児童にきっぱり指摘されやいのやいの囃し立てられずにおかないに決まってる職業に就こうと思ったのが申し訳ないが少し甘い考えというか間違いだったのではないか、それでもその職業についたなら、マイナス面を打ち消すほどのプラス面を見てのことで、ご自分だって覚悟はできていたはずじゃないんですか、とレイラは思うのだが、そのような気持ちをじょうずに伝える自信がない。どう言ったってエリ子先生は傷ついてしまうだろうし、レイラのことをなんて生意気で憎らしい子供だと思うに決まっている。

 レイラ自身はどっちかというとエリ子先生のことは好きで、尊重しているつもりだ。だった。美人というには無理があるがかわいらしく、おとなしく、ひとがよさそうにおっとりしている。小学生でも大きい子には見下ろされてしまうほどちっちゃくて細い。そういうところも、なんとなく頼りなげで、守ってあげたくなる。できればもうすこし落ち着いていて欲しいし、いつもなるべくニコニコ機嫌よくしていてもらいたいと思う。だが、パッとしない外見も、内気そうでおひとよしそうなのも、つまりは他のもっと華やかでワガママに押しの強い女性たちや、そういう女性たちをついチヤホヤしてしまう男性たちに、無視され押しのけられ後回しにされがちな特徴である。彼女はたぶん少女のころからいつも理解されたい相手にじゅうぶんに理解されぬままいいように利用されてきたのだろう。たかだか二十代の独身女性教師には、悔しさや恨みつらみをひそかに処理する能力はないし、イザぐらっと来た時にぶつける先はといえば目の前の小憎らしい生徒たちの他にはない。ちょっとつつけばパァンと弾けそうなほどふくらんでしまったコンプレックスの風船を抱えていることを、こどもたちは本能的に悟る、そういうのは小学生用語では「ヒステリーばばあ」というのである。

 それでもレイラは作文が好きだ。

 感動的なことがあった時、ちゃんとうまくコトバにして書いて残しておくと、あとで読み返してまたその時のことをこまかく思い出し、うっとりその気分にひたることができる。悔しいことやつらいことがあった時には、書いて自分から出してしまえばスッキリする。書かぬまま、きちんとコトバにしないまま、もやもやとただ抱えているのは苦しい。そのほうがずっとつらい。

 うまく書ければ、書いてしまったことがらを、自分から切り離すことができる。なくしてしまいはしないけれど、整理整頓して、ふだんは見えないところに片づけておくことができる。

 いいこともいやなこともそうやって仕舞っておけば、心はからっぽになり、頭や肩が軽くなり、からだじゅうに血がめぐってポカポカして、新しくたくさんの違うことを見たり聞いたり感じたりする準備ができる。

 だから、エリ子先生が気にいってくれようがくれまいが、書かずにはいられないし、クラスの他の子がくだらないと思おうがゴマスリだと思おうが思うまいが、うまく書けたら誰かにみてほしいし読んで聞いてほしいのである。ひとに渡し、託してしまえば、ただ片づけただけよりも、ほんとうに遠くまで、切り離すことができるからだ。

 たとえば、そう、ホタルのことはなんとしても書いておく必要があるのだった。

 

 

 

 ある日の夜のことである。フクちゃんが高台の家にやってきて、ホタルが出てきたみたいです、と言った。

 フクちゃんのシゴトは朝が早いから、海遊びが終わればあとは御役御免、というのが暗黙の了解だった。浜辺で使う荷物は少なくなかったが、大きなものはいつもの文具屋さんに預けさせてもらえるので、毎日、高台まで持って戻ってこなくてはならないのは、洗濯が必要なタオル類や、昼食のカラぐらいしかない。その程度のものなら、こどもたちで手分けしてでも運べるし、道はとっくに覚えた。だからまぁ、フクちゃんの住まいが、いったいどこにあるんだか知らないが、商店街あたりで「ばいばい」でもかまわないのだが、一応、家までは送ってくれる。

 そう言えば、はじめの頃はとにかく全員を無事に送りとどけた時点でハイおしまい今日はここまで、とばかりに、サッサと坂を下りて帰っていってしまっていたのだった。それが、いつしか、水着姿のままお風呂の順番待ちをしている双子を庭のブランコに乗せて揺すってやったり、ホースで犬たちの毛皮から潮水を洗いおとしたり、ナルミちゃんがアキコにタライで行水を使わせるのを手伝ったり、ひょっとすると、マツエさんのかわりにその日の晩御飯用の魚を捌いたり(さすがだねぇ、速いしうまいわ、とマツエさんが言うところを見ると、やっぱりフクちゃんもふだんは漁師さんのひとりなのかもしれない)なんだかんだと少しずつ長居するようになっていた。

 双子になつかれたせいなのか、やっと緊張感がとけたのか、気がつくと、夕暮れ時にもそのまま家族の一員のようにそこにいる。大皿にざく切りに並んだスイカを庭に立ったまま貪って、じょうずにタネを遠くに飛ばしてみせたり、ブランコの片方に窮屈そうに座ってぼうっとしていたり、縁側に腰をおろして肩を丸めてビールの泡だけが残ったコップをなんとなく握って夕焼け空を眺めていたり。ここにいるフクちゃんのさまざまな姿を、目にするようになった。

 フクちゃんの髪はすこしずつ伸びはじめてきていて、最初の頃やけに目についてヘンテコだった頭のてっぺんのトンガリはもうそんなに目立たない。古びて襟の伸びたTシャツ、落し残しの乾いた白砂を後ろのほうにくっつけた色黒のくるぶし。分厚く大きな背中に、ノリヲが、しょうぶ、しょうぶ、なんて言いながら人生ゲームの箱を持って近づいていくと、フクちゃんはふと物思いからさめて、んにゃ、わるいけど、もう帰るわ。またあしたな。日焼けした目尻の皺をちょっと深くして、ノリヲやミキヲの小さな頭を大きな手で押さえつけるようにごりごりっと撫でて立ち上がり、すぱすぱゾウリの音をさせながら足早に去っていったりするのだった。

 ビールもっと勧めればよかったかしら。

 レイラが思う頃には、もう階段をどんどん降りていってしまっているのだった。

 そう、フクちゃんは、夜にはけっして、そこにいなかった。まるで、昼の光がなくなってしまう前にはかならず自分の巣に戻らなければならないと決まっているかのように。暗くなってからかえるとおかあさんにこっぴどく叱られでもするかのように(まさか!)。

 もしも、夜は家から出られないのだとしたら、ドラキュラの反対だ。

 それがその時にかぎって、もう星も、もちろん漁り火も見え始めた夜の七時過ぎになっていきなり戻ってきたのである。庭先にぬっと立って、前置きなしで声をかけてきたものだから、みんなちょっとギョッとした。真っ黒なフクちゃんは、闇にまぎれてはじめ姿が見えなかった。

 ただ歯だけが、真っ白な歯だけが空中に浮かんで笑っている。レイラはもちろん思ったのだった、ああ、チェシャ猫ってこれね。きっとこいつだわ、と。

 風呂も食事もその片付けもとっくに済んで、家族しかいないから、みんなでテレビの部屋の周囲にごろごろしていた時だった。ほとんど全員、そのまま寝てしまってかまわないようなパジャマのような無防備なかっこうをしていた。チェシャ猫フクちゃんを見ると、スミカはあわててカーディガンを羽織りに走り、浴衣の裾を両側に垂らして太股まで大胆にあらわにしていた(そのほうが涼しい!)ナルミちゃんの膝を、マツエさんがピシャンと叩いて閉じさせた。

「ホタル?」

 背中に垂らしていた濡れ髪を手早くひとつにまとめて留めながら、ヒロさんが立ち上がった。

「どこ? 近いの?」

「すぐそこです」歯だけじゃなくなったフクちゃんは崖を指差した。「その、線路のまわりなんで」

 懐中電灯はじゅうぶんな数がなかったから、あたりはそうとうに暗かったのだが、こどもたちは先を争って階段を下りた。この道の勾配を、段の数を、もう足が覚えている。目をつぶったって駆け降りられる。

 ――ほたる。

 ホタルホタルホタルホタルホタルホタル……ホタル。すさまじい数の、ホタルたち!

 ああ、それを、どういったらいいだろう。絵日記に、いったいどうやって描いたらいいのだろう?

 何百何千という小さな光が、ツユクサの間や上をゆっくりと飛んだり回ったりぴたっと止まったりしながら、いっせいに点滅している。

 いや、いっせいではない。けして完璧にいっせいではない。時々ちょっとズレるやつもいる。だがこの子はあきらかにズレてるなと思うやつもしばらくじっと見つめていると――みんな飛び回っているからひとつだけ目で追いかけるのはかなり難しいのだが――たいがいの場合そのうちには周囲の他のホタルと同じリズム同じ感覚で点滅しはじめる。

 とうに終電のいった線路のそばには、ひとのともす灯かりはただのひとつもなく、崖ももちろん真っ黒で、村は静かに眠っている。そこに、数え切れないほどたくさんの小さな黄緑色がかった光の粒たちが、飛び交っている。舞い上がり、つうっと流れ、追いかけあって、また止まる。ひとつひとつの光は小さく弱々しかったが、あまりにもたくさんいるため、線路一体がぼうっとかすんだ緑色の光の霧に照らされて、満月の時よりも明るいぐらいだった。

 レールを乗せた盛り土と崖の間の低い部分に、一番たくさん集まって来るようだ。湿った地面にしゃがみこんでじっとしていると、ホタルの群れが前も後も右も左も全部をぐるりと囲んでしまう。ホタルの中に埋もれてしまう。

 点滅。点滅。点滅。

 それはまちがいなくホタルのコトバで、歌で、オペラで、信号で、合図だった。いったいなにをそんなに必死に叫んでいるのか。わかることができないのがじれったくて、悔しかったけれど、後から考えてみればそれはたぶん、ただひとつのことを言っていたにすぎないのだ。

 ここだよ。ここにいる。ここ。

 わたしはここ。

 ぼくはここにいるよ。

 みつけて。

 みつけて。

 ぼくを。

 わたしを。

 

 みつけて……!

 

 ホタルが光るのは生物にとってもっとも重要なことがら、つまり繁殖のためだ。オスがメスを呼び、メスがオスを招く。ひとの目にはほとんど区別もできないその点滅に実は微妙な差があり、ニュアンスがあり、光の強いもの、きれいなもの、光りかたが超絶的にうまいものこそが、恋に勝利する。成功する。

 ひとが通り過ぎる雑踏の中から好みの顔を見分けるように、ロミオとジュリエットが退屈なパーティーのひとごみごしに目と目で思いを伝え合うことができたように、ホタルたちは光って訴え、光って答え、たったひとりの生涯の恋人をみつけだし、さだめのカップルを作り、まさに「燃える」恋をして、子孫を残して死んでゆく。

 ホタルの灯が、胸にせまるのも無理ない。

 むろん、その時その場でレイラがそんなふうにそういうくさぐさを考えたわけではない。少なくともここまできっぱりと言語化したわけではない、ただ、その点滅にどこかこよなく必死でせつないものがあることだけはひしひしとひりひりと感じていた。いのち、とは思っただろうか。せいいっぱい、とも。

 これっきり、とも。

 

 ここだよ。

 ここにいるよ。

 これがぼくだよ。

 

 誰か。まだ会えないきみ。みつけて。みつけて。みつけて。

 み・つ・け……て!

 鼓動のように点滅する淡緑の光たちの、ひとつひとつが生きていて、ひとつひとつがよく似てはいるけれどそれぞれにたったひとつで他の全部とは違うもので、ひとつひとつがなんとかただひとつの他の誰かとめぐりあおうとしている。

 なんてすさまじい、なんてすごい、なんておそろしい、なんてせつない、うつくしさだろう? 

きれいだった。とてもきれいだった。あまりにもきれいすぎるものをみると悲しくなるんだろうか。 レイラは喉がキュッとすぼまってしまうのを感じた。

 ふと、こそばゆさに気づくと、いつしかホタルにまといつかれていた。木綿のサンドレスの上に、むきだしの膝の上に、そっと広げた手の中にも、ホタルはやってきてとまった。平気なようだった。人間なんかおそれていないようだった。それとも、レイラがちょうど、ハイビスカス柄の服を着ていたからかもしれない。

「……熱く……ないんだ……」

 驚いた。それはクリスマスツリーにかける豆電球ほどの熱も出していないのだった。懐中電灯がまとうほどの熱も出していなかった。むしろ、冷たい。ひんやりしているようにかんじる。それがとても不思議だった。

 間近に見ると、こんな闇夜でもある程度くわしく見て取れた。ホタルは長細い、その本体だけ見ればかなり地味なまぁいってはなんだが別に美しくもなんともないかたちをした昆虫だ。ようするにただのムシである。だが、いかにもムシらしい小さな頭がついているのと反対側の、フシのある腹のどんづまりつまり尻の部分がひとフシ分ぐらい、ちょうど線香花火の玉ぐらいの大きさで、まるごと発光する。淡い、不思議な、きれいな緑色に。蝋燭のように芯のまわりが燃えているのでもなく、炎を吐き出しているのでもなかった。光っている部分にそっと指で触れてみても、(それでもムシが飛び立ちもしないのにはちょっとあきれたが……あんたたち、そんな不用心なことで大丈夫なの?)蝶の翅に触れたときに燐粉がつくようには、その緑の光が指にこすれて写ったりはしなかった。

 卒業式で歌う歌、あれは、嘘でも誇張でもなかったんだなぁ、とレイラは思った。ほんとうにたくさんホタルを集めたら十分な灯かりになるだろう。でも、こんなに淡い光ではそんなにちっちゃな活字は、ちょっと読めないと思うけど。無理に読もうとすると目がショボショボしちゃうと思うけど。大きめの字だったら、だいじょうぶそう。むかしのひとが筆でかいたようなものだったら、よめたのかもしれない。

 ホタルのいのちは確かそうとうに短いはずだ。昔はたいして珍しくもなくてどこにでもたくさんいたのに最近はどんどん少なくなってしまって、という話も聞いている。必要になったら集めて灯かりにできるぐらいありふれたムシだったのに、いなくなってしまったのは、環境破壊のせいだ。工場の廃液や、川や池をやたらにコンクリートで蓋してしまったこと、そして、宅地開発とかで水源地があれて、きれいな水がすくなくなったせいだ。

 こんなふうに、やたらに光って目立ったりしたら、そりゃあ長生きするのは難しいだろう、とレイラは思った。

 フクちゃんが双子のためにホタルをとってやっている。ツユクサといっしょに牛乳瓶にいれて、そこでもそのまま光っているのを掲げて見ている。

 つかまえたりしたら、かわいそうなのに。

 そうは思ったが、朝にはいったいどうなるのか、興味はあった。見てみたかった。

 朝になってもまだ光っているのだろうか? 昼の光がまぶしすぎて見えないだけなのか。それとも、夜の、ここぞという時にだけ光るのだろうか。ホタルといえば夏だ。夏じゃない時はどうしているんだろう。ああ、そうだ、昆虫は変態するんだ。タマゴやサナギや幼虫の時には光らないのかな。

 答えはすぐに現れた。一時間ほどすると、あれほどそこらじゅうをいっぱいにしていた点滅が急に弱まってきたのだ。おわりです、とフクちゃんがいった。もう今日はここまでです、と。単に光るのをやめたのか、それとも、どこかよそに飛んでいったのか。今日の分のホタルたちはみんな死んでしまったのか。

 学校に戻ったら調べてみよう、とレイラは思った。高台の家には残念ながら昆虫図鑑はない。

 まだ最後のがんばり屋のホタルたちが少しは光っているうちに、別れをつげ、みんなで階段を登って家に戻った。一匹だけ牛乳瓶につかまえられたホタルは心細そうに点滅していたが、明るい部屋の中にいれてみると、ただの地味で平凡なムシらしい姿のほうが目についてしまってあまり可愛らしくない。牛乳瓶の中では飛ぶこともできない。ツユクサにしがみついて、もぞもぞしているだけだ。それでも、針で穴をあけた紙で蓋をした瓶をキッチンテーブルにおいて、双子はしばらく夢中で覗き込んだ。脱脂綿に砂糖水をふくませたのを入れてやる。ついでに夕方に食べたスイカの残りもひとかけら。なんだかカブトムシを飼うみたいだ。

 じゃあ、と庭を引き返しかけるフクちゃんに、マツエさんが、あね、思いがけなく来る時は電話してくださいよ、と居丈高に言った。突然は困ります。あんたに悪気がないのはわかるけど。ここには年ごろの娘だっているんですからね。

 フクちゃんはぶたれた犬のように動作をとめた。それから、ほんの少しだけ眉をしかめたが、結局何も言わず、だまっておじぎをし、肩をすくめ、帰っていった。

 電話するなら、電話ですむ。つまりだ、わざわざ来て、双子のために一匹つかまえてくれたりしなくても、「線路のとこにホタルがいますよ」って教えてくれるだけですむ。そうしないで、わざわざきてくれて、遊んであげてくれた。

 なのにそんな言い方をするなんてちょっとひどいな、とレイラは思い、でも、警戒心が強いのは、マツエさんの本性みたいだし、長年の習慣でしょうがないことなのかな、とも思う。“菩提樹”のこどもたちは守らなくてはならない。モノをわきまえない人間が、うっかり近づきすぎないように、ヒロさんの優しさや鷹揚さに増長して失礼なことをしでかさないように、マツエさんとしては、いつも目を光らせコトバをとんがらせていなければならなかった。

 朝になった時、牛乳瓶の中のホタルは死んでしまっているように見えた。ひっくりかえっていたわけではないけれど、ツユクサの葉の上でじっとかたまったように動かなくなっていた。放してあげなよ、と双子に言おうと思っているうちに、瓶が見えなくなった。どうしたのかレイラは知らない。片付け好きのマツエさんがサッサと中身を庭に放り出して瓶を洗ってしまった、というのが一番ありそうなことだけれど。

 

 

 

 ――そんなふうにして毎日が過ぎた。

 フクちゃんが朝出勤してくる時に、大量の烏賊や他の魚や地元の誰かの手作りの漬物や惣菜を持ってきてくれれば、それがすぐに食卓に登った。最初の一日二日は「ワタ」も捨てずにあれこれ工夫して料理していたマツエさんだったが、みんながあんまり箸をつけないし、たぶん面倒くさくなったのだろう、しまいにワタやスミの袋はサッサと捨ててしまうようになった。野菜をあわせた中華風の炒めものや、大根といっしょに煮込んだもの、イカたっぷり入りのスパゲティ・ナポリタンなどなど、その夏はとにかく、さまざまなイカ料理を食べさせられた……いや、食べさせてもらった……のだけれども、材料が上質である場合、いっそシンプルであればあるほど美味しいものなのだとレイラは知った。

 とびきり新鮮なものをただ食べやすい大きさにそぎ切りにしてもらったお刺し身こそが、いちばん美味しかったし、何度でも飽きなかった。ただ、かなり甘いし、歯ごたえがあるから、量はたくさんは入らない。うんと細く細く切って、繊切りのシソと生姜のすりおろしと細く切ってある海苔を乗せて出汁をかけたのも美味しかった。イカそうめん、というのだそうで、栄養たっぷりの冷や麦のようだ。ゲソは網であぶってちょっとだけお醤油をつけたり七味トウガラシをからめたりするのが好みだった。

 一度、昼食に評判の磯らーめんを食べにみんなで隣町までバスに乗っていったことがある。らーめんはエビやらホタテやら海草やら表面ぜんたいを隠すほどたくさん入っていて豪華だったけれど、正直レイラには分量が多すぎた。そもそも海鮮塩味の中華麺がそんなに好きなほうではない上に、毎日の烏賊ですっかり海ものに飽きていたし、そこのは、麺がすこしべったりして伸びぎみだったのだ。ふつうのシンプルならーめんのほうがよほど食べたかった。残さずぜんぶ平らげるのがちょっとたいへんだった。

 

 

 

 そんなふうにして毎日がすぎた。

 そして、ある日、

 

 

 ――雨が降った。