yumenooto uminoiro

 

                                                                                          Mahane 10

道らしい道はなかったが、まようはずもなかった。行きがのぼりだったのだから、かえりはくだり。さがってるほうへ、さがっているほうへ行けばいい。少し楽だ。

樹の間の通りやすいところを選んで歩くうちに、道かもしれないものをみつけた。こんな場所でも、誰かたまに通ることがあるらしい。ハイキングだろうか。林野管理とかそういうことか。見知らぬ誰かの足跡をたどると、その誰かと並んで歩いて会話しているような気がしてきた。おっと、ここちょっと崩れてる。あぶないね。この枝よけないと。花があった。ちょっときれい。誰もみなくても咲くんだね。えらい。

制服、あつい。スカートうざい。この靴、すべる。かばん、重い。あーあ。水筒とかあったらよかったのに。キャラメルも。

木の間からこぼれる陽ざしがキラキラとまぶしい。もう朝じゃないなと思い、そういえば何時だろうと思って、スマホを出した。圏外なのはしかたがない。十時五十七分。あれまあ。もうそんな時間か。またしても大幅遅刻だ。

ふと、行く手になにか気になるものが見えた気がした。足をはやめてみた。人工物っぽい。もしかして? ああ、やっぱり、たぶん車止め柵だ。横棒のようなものが道を横切っている。ふさいである。ということは、あのむこうまでは、車が来る、来れる、ということだ。

やった! 文明世界だ!

わっほー!

もうすぐゴールだと思うと元気がわいて、足がしぜんとはやまった。下り坂を勢いよくかけおりる。たちまち、木の根につまずきかけ、小石を踏んだ。おっとっと、捻挫しかかり、よろけて笹藪につっこむ。こんなところでメゲてはいられない。マハネは顔をしかめ、ぐいぐい走った。うわわわわ、だめだ、はやすぎた、足が間に合わない! とまれない! かばんがはねる。飛ぶような勢いでおりていく。きゃあああ、とかすかに声がもれる。この調子だと、車止めの柵につっこんでしまう。駅伝のゴールみたいに。それって恥ずかしいかも。必死になんとか減速する。 

くぐった。

ぎりぎりの高さで。

はあはあ息を整える。とたんにベージュと茶色の自動車が目に飛び込んできた。葉っぱの影のまだらの中、停車している。

なんとまあ。

見慣れた、我が家のジープだ。

マハネがまばたきをすると、両ドアがあいて、父と母が飛びだしてきた。

三人はたがいに駆け寄って、どすんどすんとちからまかせに衝突した。対消滅みたいに。

「おとうさん! おとうさん! おかあさん! おかあさぁぁん!」

 あたりかまわず回す腕。涙がしぶきになって、ぷちぷち、あたりに散らばる。ぎゅうっと抱きしめ、思い切り息をすいこんだ。ああ、いいにおい。大好きなひとのにおい。うちのにおい。家族のにおい。ぬくもりだ。

「……よかった……」

 父が大きく安堵の吐息をついている。

「ありがとう、ありがとう!」マハネはいう。「迎えにきてくれて。すっごい嬉しい。ほんと嬉しい」

「だいじょうぶ? こわくなかった? けがは?」

母は訊ねた。指で髪にさわる。おでこから後ろに流して、枯れ枝の切れ端とか、葉っぱのかけらをつまみあげる。

「だいじょうぶ!」マハネは母の首に両手をなげかける。「おかあさん! 大好き!」

 うふ、と、母は笑う。

「わたしも。マハネちゃんが大好き」

「うん」

「はいはい。まずは乗ってください」父がいう。「ここじゃ電波がとどかないから。心配してくださっているかたがたに、一刻もはやく連絡しないとね」

 

 

 

 狭いけれど、ぎゅうづめで並んで座った。真ん中。父と母の間。どちらともぴったりくっつく。なんて幸福だろう。ベンチシートでよかった。

「けど」

 マハネは言う。

「よくわかったね? あたしが、あそこにいるって?」

「うん……」

 母の横顔が、くしゃっと笑う。

「わかってた。時間のほうまではわからなくて、だいぶ、待ちくたびれちゃったけど」

「そうなの?」

「マハネがいなくなったってことがわかってすぐに、どこなの、教えて! って、聞いたら。『日本でいちばん海から遠いところ』って答えがかえってきたから」

「……きいたら……?」

 って。

「誰に?」

「説明はあとだ」

 マハネの問いには答えず、父が言う。前を見てしっかりハンドルにぎって、まじめに運転したまんま。

「いったいなにが起きた? 事態を理解する必要がある。だから、説明してほしい。なるべく、素直に。時系列順に」

 それで、がたがた道を走りながら、マハネは話した。朝、登校のために家を出てからその時点までにあったことを。槙野くんのおかあさんにあった。知らないひとに車に乗せられた。サトリマルとコトヒラ。

 そして、

 言いよどむ。

 そう、いつものママの言いぐさじゃないけど、あの感じは確かに説明しにくい。ほんと言葉では言い表しにくい。

 どこから、どういえばいいやら。特別のフィーリング。

「なにが起こったのか、うまくいえないっていうか、よくわからないんだけど」

 マハネは思い出してみる。

「気がついたら、霧の森みたいなとこにいたのね。車に乗せられてることは乗せられてるんだけど、同時に、別の場所にもいた、みたいな感じだと思う。そこで、白い服のきれいな女の人にあった。『海からいちばん遠い場所』で。大きな大きな樹にすわっていた。っていうか、あのひとは樹とひとつだった。おたがいにとけあったなんかすごい大きなものだった。あれ、……サヨラでしょう? おばあちゃんだよね?」

 ママはちょっと唇をかんで、

「いいえ」

 とんでもないことを言った。

「サヨラはわたしの母だけど、マハネちゃん、あなたにとってもママなのよ。おばあちゃんじゃなくて」

 

 

 は?

 

 いま、なんて……。

 

 ええええええ?

 

 

 

 サヨラがママ? ってなに? どういうこと? もしかしてグレートマザー? 慈母神さまみたいな? 彼女どこにいるの? ていうかあれどこなの? 夢? 

 わたしたち、みんなそこでつながってる。夢でつながってるの? サヨラのおかげ? 菩提樹のおかげ? それとも“ひめ”だから? 

 なんか、同じ手繰り車から凧糸うーんと伸びてはいるけど根っこはひとつです、みたいな、端末はそれぞれいろいろだけどサーバかクラウドを共有しているねみたいな、そんな感じなんだけど、ママこの譬えわかるかなあ、同じシチュー鍋から盛りつけたお皿だねっていうほうがいいかしら、ああっ、なにしろ、あんまり爆裂で突然すぎるよ! 

まて。まて。ママはレイラはサヨラの娘だから、ほんとうは、おかあさんじゃなくて、うえええ、おねえさん! おねえさんなんじゃん! ここ太字。

 

おねえさん!

 

うわー。そうだったんだ。ずっとママって呼んできたけれど、実のおかあさんじゃないってことは知った。クラスのみんなだって知ってるぐらいだ。なんか事情があってあたしの養母になってくれたありがたいひとだってずっと前から理解してて、だから、感謝っていうか、遠慮っていうか、グレたりできないなあ、って、ちゃんと納得してるつもりだったけど。

なんだよ。姉って!

だましてたんじゃん!

半分血のつながった姉ぇ?!

だったら、そういってくれればいいのに。なんでそんな大事なこと秘密にすんのよ!

ああ。でも。良かった。よかったほっとした。ママ、他人じゃなかったんだ。おねえさんだった〜。わあい。ずいぶんと近い血縁だったんだ。

 それすっごいすっごい嬉しいけど、でも、ちょっとやっぱショックでもあるし、なんかへんっていうか、照れちゃうっていうか、対応に困るっていうか、あたしあしたからいったいどんな顔すればいいんだ――

 マハネが混乱している間にも、レイラは話しつづけていた。

 途中からすこし耳が鼓膜に届いたことを小出しに脳みそにおくりこむようになってきて、それによると、パパとママのところには学校からきょう、何度も何度も電話がいったらしい。槙野くんのおかあさんは、とんでもない大怪我だったけど、幸いいのちは失わずにすんだみたいだ。

 なんだ、そうなんだ、死んじゃったかと思ったよ、ああ良かった! とホッと息をついた思ったおかげでマハネも気分が落ち着いてきた。なにしろそのミセス槙野本人が超混乱していたので(それわかる。わたし、すっごいわかる)、一時は思いきり疑われてしまっていたようだけど、あの懐かしの槙野晴彦くんだって、犯人ではありえないということがきっぱりはっきりしたのだ。だって高野山にいたから。

「へ? こーやさん?」

 思わず聞き返した。

「って、なんだっけ? 何県にあるんだっけ?」

「和歌山県のお寺です」とパパ。

「……うわ、遠いね……」

「旅行じゃないのよ。晴彦さん、そこで修行生活をしているんですって」ママ、じゃない、おねえちゃんが言った。「朝から晩までこまかく時間割が決まっていて、お仕事を……ううん、行とか、作務とかいうのね。座禅をしたり、お掃除をしたり、何かとけっこう忙しいんだって。つねに何人ものほかのひとたちと一緒に行動しているから、もし、いなくなったりしたら、すぐわかっちゃうんですって」

 ははあ。つまり完璧なアリバイがあるってことか。

「え、晴彦くん、出家したの? お坊さんになるの?」

「そこまでは知らない。けれど。とにかく、すごく遠いところにいたことは確か」

この前学校をサボって各方面にご心配をおかけしてしまったときに、優しい那智くんが調べてくれておいたんだそうだときいて、マハネは感激する。ほんとすごい。彼って。

えへへ。さすがわたしの好きなひと。

そんなことを一瞬思って、ちょっと頬を赤くする。

なんでも、星海町から(逃げるように)お引っ越しをしたたあと、槙野さんちは、何かといろいろたいへんだったんだそうだ。離婚して、二人暮らしになったけど、キツかったんだろう。衝突して、おかあさん困ったんじゃないかな。解決策模索して、児童施設とか、病院とか、カウンセリングとかフリースクールとかいろいろやってみたり、行ってみたりしたらしい。彼が中学を卒業するころ、どこかの講演会で、講師として来ていたある学者さんに出会う。そういうお子さんなら、こういう方向はどうだろう。すすめられた先がお寺で、面白いご住職がいて。お寺での生活が、彼にはすごく合っていたらしい。それから、いろんなことが、うまく回りだしたんだって。

「そーかー……」

 良かった。

 うんうん、よかったね、槙野くん!

でも、おかあさんにしてみれば、息子をよそのひとに預けるのって心配だと思うよ。なんだか見放したみたいな、捨てちゃったみたいな、そんな罪悪感とかも、あったのかもしれない。

だから、玄関の暗がりでうずくまるグレイのフードつきパーカーを見た瞬間、息子だと思いこんでしまったのは、そのせいだろう。ああ、戻って来ちゃった、と思ったんだろう。とっさに。きっと修行がつらくて、逃げ帰ってきちゃったんだ、とか思ったのかも。それで、まんまとだまされちゃったってわけだ。

槙野さんちは、巻き込まれた。

わたしのせいで。

とマハネは思った。挑戦者とやらは、このわたしをさがしているんだから。

あいにく簡単につかまらないから、槙野くんを梃子にしようとした。でも相手が高野山なんてとこにいて手が出せなかったから、かわりに、槙野くんのおかあさんを利用した。

それはあまりに申し訳ないやら悔しいやら、マハネは胸がくしゃくしゃした。あの程度で許してやんないで、もっとバシッとシメてやれば良かったかも!

 なにしろいけ好かないやつらだったから、つい(怒りに任せて)邪険にしたけどさ。

 これでも、あとで、ちょっと気の毒だったかもと。あまりに容赦がなくて、おとなげなかった(高校生なんだけど)かもしれないと、思わないでもなかったのにさ。

 でも、しょうがないじゃん。そっちだって、ずいぶん非道いんじゃん。罰があたってもしょうがないぐらいのこと、さんざん、してきてるでしょ。

「けど……あいつらって、なに?」

 マハネはたずねた。

「なんかすごく由緒正しい家柄っぽかった。それ、ちょー自慢に思ってる感じだった。彼ら、サトリマルとかは、その偉いさんのごく傍系の親戚すじでしょせん子分にすぎないくせに、それでも、たいそう鼻高々だったよ」

 彼らの信じているもの。

 うっとおしい龍みたいなもの。

 西洋ドラゴンじゃなく、和風の、ああ、八岐大蛇かもしれない。金色の柱とか欄干とかあるとこに、とぐろまいて、まきついて、鎌首擡げてたけどその頭が一個だけじゃなかった。いくつかあった。しめなわとか、御幣束とか、サカキの葉っぱとか、あたりにじゅうにいろいろびっしりつけて。神棚かっつーの。

 そういえば、ぜんたいで、なんかへんなマークみたいになってたな。

 白と金がまだらになった、多頭の蛇の多重卍。

 不気味だけど、たいそう仰々しい。

「あいつら、いったい何を祀ってるんだか知らないけど、自分たちがすごい偉いと思うならその誇りをもって、正しく潔く振る舞ってもらいたいもんだわね! 関係ないひとは巻き込まないとか! ……なのに、そこ,かんぺき真逆だった。自分たちは特別偉くて尊いから、利用できるものはなんでも使ってあたりまえ、使い捨てOK、雑魚なんか踏み台にしてあたりまえ、ていうかむしろ光栄に思うがいい! みたいな? 超〜勝手でしかもNO疑問! ありえないほど失礼で、社会不適格だし。頭おかしいよ……で」

 マハネは聞く。

「あいつら、いったい、なにものなの?」

 ママ(じゃなかった、おねえさん! でもやっぱりママはママだ)とパパは顔を見合わせる。

 どうぞ、と、ママがパパにゆずるしぐさをする。

「『挑戦者』は、前にもあらわれた」パパが言った。「そのとき、ママは……レイラは、ひどい目にあった」

「ひどい目って?」

 パパはママをふりかえる。心配そうに。

 ママがうなずく。

「聞かせてあげましょう」ママは言う。「マハネちゃんにも、もう知っておいてもらったほうがいいと思う。なにがあったのか。いったいどんなふうだったのか」