おたよりストック場・1  
いただいたメールのうち、少し時間のたったもの、話が長くなってしまったものなどをこちらに展示します。

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6月23日 ネイザーさまからのおたより

生まれてはじめてファンレターというものを出してみます。

初めて小説ドラクエ6を見たのが、7年前でした。

え、僕?とくに名乗るほどの名前はございません。名無しがイヤだったら、ネザーとでも呼んでください。

僕も他の一般大衆とおんなじ様に、久美さんの入りはドラクエだったワケですが。
なにせ中学1年のガキんちょには衝撃でした。ああ、チャモロかっこよかったなー

その後、誕生日にドラクエ4を買ってもらい、次の誕生日に5を揃え、「小説とゆーのは面白いなー、フンフン」と味をしめた僕は、その後しばらくしてルビス伝を揃え、ドラゴンファームを2巻(竜騎士ね)から攻撃して最終的に全部読破、「真珠たち」「修道女マリコ」「恋じゃない」を古本屋で買い占めたあたりから加速がつきはじめ、「おかみき」「鏡の中のれもん」「せりかシリーズ」と禁断のコバルトノベルに足を踏み入れてしまって……気がつけば、毎週のようにブッ○オフに足しげく通っては「く」行を視察する毎日を送ってしまっております(^^;

栗本薫さんの前に(いつもそうなんだよ)ソーントーン2巻があった時はうれしかったな〜

そんなことはどうでもいいのですが。

久美さんはアレがすごいですよね、語彙?でいいのかな。コトバの魔術。
今までいろんな小説を読みました。キャラクターが面白いのアリ、ストーリーのどんでん返しが仰天なのアリ、笑えるのアリ、泣けるのアリ、はらはらドキドキできるのアリ……
でも、久美さんの「美しさ」に並ぶモノカキに出会ったことは、残念ながらまだありません。なんつーか、風景が目に飛び込んでくるというか、目を閉じれば見えてくるというか。
美しい夕日を実際なり写真なりで見て、「うわっ、キレーな景色だなぁ〜」って思うことあるじゃないッスか。『息をのむ』っていうの?アレを、小説の中で魅せてくれる。縦書きの日本語っていう記号の羅列で「ハッと息をのむ」風景を映し出してくれる。
こぉーれは。これは、この技はまざに「魔法」ですよ、ホント。

そういう意味では僕はドラクエ6がイチバン好きです。すごい。ホントにすごい。しばらく後に読み返せば、そのたびにビックリします。他の小説を読みあさった後にもう一度原点回帰すると、その言葉の巧みさに舌を巻きます。「あぁ、コレがやっぱり僕の好きなリズムだよな〜」と、しみじみ感じずにはいられねぇ寸法でして。何度読み返したことやら……セリフなんかはもうほとんど覚えちゃったゼ。イェイ。

ビバ!!

ちょっとテンション上がってます。

ドラゴンファームが好き。
マテウス・ザ・ドラゴンマスターの「死ぬなああぁァァァァッ!!」って所が好き。

ドラクエ4が好き。
マーニャの、芯のあるチャランポランさが好き。

あけめやみとじめやみが好き。
短編によくある深さでも広がりでもなく、ただ単純にジーンとできちゃう。

夜にひらく窓が好き。
『夜にひらく窓』って、猫の瞳孔のことだったんですね。すんごい後で分かりました(汗)

そんでもって、僕からたったひとつだけお願い。
久美さん中で、「こいつぁオススメだぜ!」ってぇ本がありましたら、ひょっとして、ちょいっと、聞かせてもらえませんでしょうか?
そんな、ちょっと考えてフッと思い浮かんだのでいいですから。ね?お願い(はぁと)
久美さんの本探しにいって、なかった時、手ぶらで帰るのイヤですもん。そうでなくっても最近ハズレ小説ばっかり引いてるってのに。チクショウ。

グレてやる。

ごめんなさい。ウソです。

ぽえーん。

……思えば僕の青春は小説家久美沙織と共にあったわけですね……

僕に命をくれたのは両親ですが、感性のアンテナをくれたのはあなたでした。

正しい日本語を教えてくれたのは国語の先生でしたが、日本語の素晴らしさを教えてくれたのはあなたでした。

合計何冊で、何キロあるか分からないあなたの分身たちを、引っ越しのたびに連れて行こうと思います。

重いんだよ、あれ……


いつまでも現役で、バリバリ書きまくってください。
蔭ながら応援してます。

辺境のいちファン

くみ>おたよりありがとうございます。コバルト→MOTHER、ドラクエと、お若いかたに読んでいただく小説を書いてきたので、「生まれてはじめて」のかたから応援のお便りをもらった経験は少なくないです。おかげさまです。「はじめて」のかたを特にヒイキはしませんが、「はじめて」の経験がろくでもないと申し訳ない! その昔のアカセンとかで筆おろし担当だったベテラン娼婦さんって、こんな気分かなぁ???

とってもとっても嬉しいおコトバをありがとうございますです。しかし、せっかく読んでほしがってくださるかたのある小説が、某大規模古書店にしかない、っつーのは、ほんまに困ったもんです……しくしく(くみくり、くみくらの細かい字のところ参照)。中島さん(栗本薫先生)のおとなりなの? ひぇぇぇぇ。質量ともにぜったいにかなわないですな。京極さんも近所だしなぁ。やべぇ。オススメかと思ってお返事したのは『ソーントーンシリーズ三冊』(ファンタジーがお好きそうなので)でしたが、ネイザーさまはすでにそれもおもちでいらっしゃいました。ありがとうございます。

 

6月22日 こくびゃくさまからのおたよりより

こんにちは、はじめまして。

久美先生の作品は昔小学生のころ、ドラゴンクエスト5を拝読させていただいて以来数少なではありますがずっと読み続けています。
(コバルト文庫の「ミッキー」も読ませていただいてます。もっとも自分、うだつのあがらない男なので購入は出来ず図書館で借りただけなのですが…(汗))
DQ5はー…あれでライトノベル、でしょうか。それにのめりこんだきっかけでした。
一巻を読んだ際はそれほどぐぐっときたわけではなかったのですが(失礼な話ですが^^;)、二巻、特にビアンカとの再会後からぐんぐん引っ張られた思いがあります。それ以降は、一巻もぐぐっと、ええ、ぐぐっと惹かれるようになってしまいました。
何度も読み返したせいで文庫の表紙はぼろぼろですし、二巻に至っては表紙のカバーが破れてテープで補強してあります(笑)

くみ>うわー。そんなに読んでいただいて、作者も本も冥利につきますです。自分でいうたらなんですが5はあーみえて苦労してまんねんで。スミちゃんたちが出てきてからが特に。ひとつの場面におーぜー登場するから、なかなかハナシが進まない。ページ数ばっかりくってしまう。だから、奴隷になったとことかはもうザックリはぶいたし。双子がさらわれるとこなんかは、実は書き上げてすぐに見てもらった時に、これは小学生のよい子などにはあまりにシビアすぎるのではないか、もうちっと抑え目の演出にしたほうがいいのではないかと、と担当に心配されたんです。けど、あまっちょろくはしたくなかったんでおしきってしまいました。それだけに、いちばんおおぜいになった時に全員で必死にやる戦闘シーンがいちばん思い出深いです。

うだつがウンヌンなんていわないでぇ! こんな優しいおコトバを見ず知らずのワタクシメなどにわざわざかけてくださるあなたはステキなひとです。間違いなく。ほんとに。

あっ、それと「久美先生」はどうかどうかやめてやってください。すんごくハズカシーので。くみさんとかくみくんとかでいいです。よろしく。

さて、話変わりまして。巷ではゲームボーイアドバンスでマザー1&2が当時の装いそのままに復活してますね。自分も懐かしさに思わず手を伸ばしてしまった一人ではありますが。
遊んだことあるのは、マザー2の方だけだったのでまずは2から…と始めたのですが、これがもう懐かしくて懐かしくて。
そこでふと、一人暮らしを始める時にも持ってきていたマザー2の小説をおもいだしまして読み始めたのですが。
いやはやなんともかんとも…。
読み始めたが最後、延々と読み続けてしまい気がつけばあっという間に一冊読みきっていました。

自分は、なんともお恥ずかしい話ではありますが、時の狭間のクライマックスから最終章にかけて、ぼろぼろと涙をながしながら読んでおりました。
以前読んだ際には純粋に感動しただけだったのですが(だけ、というのもあれですが)
齢20にもなる男が小説を読んで泣いている姿はきっと傍目には滑稽に見えたのではないでしょうか。あ、もちろん読んだのは一人自室でです。
これはあれでしょうか。もうずいぶん前に無くしたピュアーなハートの残滓がぐーっと刺激されたからでしょうか。
確かにもうずいぶんと世俗にまみれてしまっていますからねぇ…。
泣いたのもおそらくは幼い頃のことを思い出してではなく、文の優しさに後押しされたからではないか…などと格好つけても仕様のないことです。

くみ>うわー。ますます、ありがたいです。そんなふうに読んでいただけるなんて。読んで気持ちよく泣けると、気持ちいいもんねぇ(コレがいま褒められたやつの日本語かよ)わたしもよくなにか読んだり観たりしては号泣します。高橋しんさんの『最終兵器彼女』の最後のほうなんて、呼吸困難になるぐらい泣きまくりましたねぇ。……というか、まざー2。アレも小説版の勝手な結末には、賛否両論ありましたねぇ。ポーキーをどうするのか、わたし自身もすごく迷ったんですけどね。


自分は小説家を志してるわけではないので、素人の意見となってしまいますが久美先生の小説はこういった人と人の優しい疎通が味のような気がしてなりません。
DQ5の時も、ドラゴンファームも、ルビス伝説も、根底につながっているようなそう言ったものがあったから自分はすきになったのだろうかと考えております。

再読した回数を見れば、自分の最も敬愛するO・ヘンリと同じほど読んでいる先生の作品ですが、読むたび読むたび万華鏡のような違った見方で新鮮に読むことの出来る数少ない本です。

くみ>すごいかたと比較していただいてしまいましたが……『賢者の贈り物』好きです。それで?WEBダ・ヴィンチで「あのころの宝物」というテーマをいただいたときに、『賢者のオークション』というのを書きました。O・ヘンリさまのあの作品ほどのすんばらしい作品にはまるでなっておりませんですが……ヒトのこころのつながりに関して、書くことができているんだったらこんなに嬉しいことはありません。コミュニケーションがいまいちうまくいかない問題というのは、エラソーにいえば、たぶんわたしの根底的なテーマのひとつだと思います。おかみきも、青春ラブコメというよりは、華雅と森戸南というふたつの(互いに相容れない)文化の間で、どっちにも染まりきれずに、ひとり浮いちゃう自分をいったいどうしたらいいのか延々と悩む話をかいてたつもりだったりしましたです。われながら青臭いけど、そーゆーのを書いてると一番ハマるような気もします。またそういうのをいつか書こうなぁ!

6月21日〜24日 藤田有貴子さまのおたよりより抜粋

初めまして。
突然のメールをおゆるしくださいませ。

たまたま、いやされ、充電しに帰った実家でたまたま、おかれていた丘みきの1巻をみつけ、昨晩、"再会"し、一気に読みあげてしまいました。
ホームページで他の方もおっしゃっていましたが、
女子中学、高校時代のお友達とお茶をして、お手紙をやりとりしたこと(私は共学なのですが。。。半女子校でしたので)の思い出の缶をあけることができ、しあわせな気持ちになりました。

当時中学生高校生の私は、丘みきの世界にずっとあこがれ続けていましたが、
シャイだったので、この思いを自分の胸に抱えることしかできませんでした。
当時、石川県に住んでいた私は、丘みきへのあこがれから、葉山の祖母の家から大学に通うんだわ!という気持ちを支えに受験をし、18歳の時から10年間葉山に住んだくらいです。(しかも、うちは森戸神社のそばなのです)
しかも、前の会社が三番町にあったので、未来ちゃんが華雅に通うルートだわとおもうととても幸せでした。
でも葉山から三番町は遠かったですねえ。。。
また転職先の今の上司は華雅学園のモデルになった学校の出身ですが、「学生時代はもてたのかもしれない」とか「ソロリティはあったのかしら」「ああいう感じでお友達とお話しされたのかしら」と聞くにきけず、でもちょっと幸せな感じの毎日を過ごしています。

帰ったら、丘みきリニューアル版を買いますね。
(めるへんめーかーさんのイラストも好きですが、今回もかわいいですね)
編集部にもお手紙します!!
また、あの時のような友情を丘みきファンでつくれるような
okamikiMLをつくりたいとおもっているのですが、それはかまわないでしょうか?

くみ>熱い思い、嬉しかったです! ありがとうございます。

  >メーリングリストはどうぞ、ぜひぜひなさってくださいませ。実現したらお知らせいただければ、久美蔵で告知させていただきますです。 それにしても、葉山から三番町は……遠いでしょうねぇ。おつかれさまでした。


ええ遠かったです。。。半年でダウンしました。
未来ちゃんが本当にされていたら、それってすごすぎるかも。。。


くみ>結局やつは通ってませんからねぇ。 祖父がなくなってしまって、そういえば、しばらく葉山にもいっておりません。藤田さんのおたよりを読んで、森戸商店街のお肉やさんのコロッケがムショーに食べたくなってしまいました(笑)


そうでいらっしゃいましたか。。。
旭屋さんは有名になり、店舗を拡大されましたよ。
ヨコサンがユニオンになったのですが、そこの横にあります。
今度帰った折にデジカメでお取りしてお見せしましょう。
ほっかほかのをお送りしちゃいたいですね。ああ、私も食べたくなってきました。。。

くみ>カドのお店、ミムラさんはまだあります? わたしのことまだ覚えててくださるかなぁ。ああ懐かしい! そういえば、おかみきには雨の日にあじさい公園にいくシーンがありましたね。雨の季節になってあじさいがニュース映像とかに出ると、ちょっと思い出したりします。

 

6月9日 かのんのママさまのおたより

かのんのママと申します。
久美さんの作品は、実は『丘みき』だけです。
すみません…m(__)m
それも、高校の時に後輩に借りて読んで、まだ進行形だったので結果どうなったのか知らずに卒業してしまいました…
まだ『めるへんめーかー』さんの絵の頃です。

もう、結婚して子供が4歳です。
本屋で何気なくぼ〜っと見ていたら、『丘みき』を発見してしまいました。
一緒にいた旦那に「買う!」と一言(一応…)断って全巻買ってしまいました。
子供の「えほん よんでーーーっ!」の声にも負けずに読みふけること一週間!ついに読み終わりました。

もう30歳を越える年ですが、心が高校生に戻ってしまいました。
しばらく心にミッキーが住んでしまいました。

いい作品を本当にありがとうございました。
子供が読める頃まで大切にとっておきます。

かのんのママより

嬉しいお便りをありがとうございます。ええ、ええ。きっとそういうかたがいてくださるはずだ! というのは平成版を作る時の目論見のひとつでございました。見つけていただいてよかった。旦那さまとお子さまの犠牲?をかえりみずご購入くださったので、ちゃんとお気に召していただいて良かった良かった。それにしても、いまも全巻ちゃんと揃えておいてくれるなんて偉い本屋さんですっ! ……それにしても(アゲイン)おかみきといい、ドラクエといい……過去の栄光? にずいぶん助けてもらっているワタシ。そろそろ、次の傑作をかかないとなぁ。(くみ)

 

 

6月4日 浦河セイ太さまのおたより

 こんにちは。とても楽しく内容を拝見させていただきました。
 自分は浦河セイ太と申します。はじめてのメールに恐縮しています。
 今日はネットサーフィン中に偶然「久美蔵」に立ち寄り、少し不思議な気分になりました。僕は先日、ちょうど本棚の整理をしていて、引っ張り出してきたDQ4の小説を読み返してみたばかりだったのです。
 僕は今から十年前、DQ4の小説で先生のお名前を初めて知りました。あの時のDQの流行もさることながら、皆で回し読みをした四冊組のハードカバーの、大好きなDQの匂いを持った、けれどどこか大人びた、不思議で美しい世界の『幻』に魅せられた日々の記憶は、当時の僕(達です、きっと)にとって今でもとても大切な宝物になっています。
 今思えば、文章を書くことに興味を持ったはじめのきっかけは、この小説だったのではないかと思います。
 残念ながら先生の作品で持ち合わせているものはこれしかないのですが、沢山の「気に入りの」センテンスをもったこの本は、これからも絶対に手放すことはないと思います。
 僕に「きっかけ」を与えてくださった久美先生に、ぜひ感謝の言葉をお伝えしたくてメールにしました。
 本当にありがとうございました。
 サイトに出会ったこの縁を機会に、先生のほかの作品を拝見させていただこうと思っています。いままで何も恩を返さなかった僕ですが……。
 何だかひどく感傷的なメールになってしまい、申し訳ないです。

 ところで僕も放送委員でした。浦河、というのはハンドルネームです。
 それでは、この辺で失礼させていただきます。

わあん。泣けちゃうようなお便りをありがとうございました。そんなふうに読んでいただけるとほんとうに作家冥利につきます。10年前のこともさることながら、かさばるだろうハードカバーをいまも大切にしてくださって、時に読み返してくださっておまけに「絶対に手放すことはない」なんて……ううっ殺し文句だなぁ! 文章を書くことにご興味とおっしゃいますが、浦河さまには才能を感じます。ヨイショしてもらったからじゃなくて。読んだ人間がマジ感動しちゃう文章って、簡単なようで、けっこう難しいもんがあるんですよたぶん。とにかくほんとに嬉しい。どうもありがとうございました。DQシリーズ以上にお気に召していただけるものがあるのかどうか、やや心配ですが、なにしろ著作数だけはやたらに多いです、中には好きになっていただけるものもあるかもしれません。あまりご散財をおかけしては申し訳ないのですが、ご無理のない範囲でいろいろ探してみてやってください。どうぞよろしくおねがいいたします。おともだちのみなさまにもよろしく。(くみ)

 

2003年5月のお手紙より

5月23日       山田庸晴さま

ホームページ拝見させていただきました。
たくさんの動物の友達がいてうらやましいです。

本当にたくさんの動物たちがいるんですね。
犬や猫は僕も大好きです。
でも自分の都合で捨ててしまうのはひどいと思います。
一緒に暮らすと決めたんなら最後まで面倒をみてほしい。


僕は中学生のときにDQXの小説で久美沙織さんのことをしり、ファンになりました。
「ドラゴンファームはいつもにぎやか」も大好きです。
これからも応援しています。がんばってください。

ありがとうございます! そういえばDQXは「仲間」になるモンスターの出始めでしたね。スミスとかスラリンとか、ほとんど「大切ななかよし動物」の気分で書いたのを懐かしく思い出します。ちなみにe-NEVELSには、ほとんどペットみたいな冷蔵庫を書いております。不定期投稿でなかなか増えませんが……。(くみ)

 

5月26日    CGサイトのsunnyさま

訪れた人への注意書きみたいなページがおもしろかったです。

ありがとうございます……。あそこに関しては同業の何人かからも「よくぞ言うた」とおっしゃっていただいております。セツジツなんす。ほんとに。みなさんよろしく。(くみ)

 

オタクのことについて

 

2003年6月3日   瑞龍瑞希さま

SSジェネレーション、とかいうお話が、巷で、一時、はやりましたが、
もう、だれも、そんなこと、いわなくなりましたね。

よーするに、オタクって、たいしたことないと。

っつー〜〜、(?)はなしになってしまったのでしょうか。
「おまえら、どーせ、コピーしか、つくれないだろう!」とか、
上の人たちに、言われているのでしょうか??

いやいや、うわっつらばかり舐めたような作品が多かったから。
本質を、グリッと抉るようなまねをすれば、
拍手喝采!!!!   の、はずなのですが。

オタクやヲタクのこと、どう思われます?????? 

 

えっ、オタクとヲタクは違うんですか(笑)? 

あくまでわたしの解釈ですが、わたしは自分のことオタクだと思う。この場合、オタクっていうコトバで言っているつもりなのは、この肉体を伴わざるをえない限定的な自分や、有限で偶発的な現実、日々のしがらみなどなどを、時にいったん横において、それらから自由な、理性的精神的な世界に遊ぶことができる、それを楽しむことができる種類の人間ということ。ようするに「一期は夢よ、ただ狂へ」。

対照が虚構の架空のものがたりの世界であろうと、学術的理論世界であろうと、身近な現実以上にそっちに夢中になってそっちを愛してしまっている場合、ともするとフツーの社会的価値観からは逸脱するわけで、あくまでそっちを重視する(ていうかそっちしかわかんない)ひとたちからは「へん」に見えたり「幼く」みえたりするかもしれないけど……。

基本的にはオタクって「思考」のひとだと思う。実際に目に見えるものや手でさわれるもの、いまそこにあるもの以上に、想定することのできるもの、あってもおかしくないもの、もしかしたらありうるかもしれないもの……を、リアルにビビッドに実感できるというか。それって世界を閉ざすことじゃなくて、むしろどこまでも広げることだよね。性別とか年齢とか人種とか時代とかなにもかも超えて、同じように思考する誰とでも密度濃くわかりあえるってことだよね? 違う? それってあまりに理想的すぎ?

その点、既成の何かを安易にへたくそにコピーするだけで満足できちゃうひとっていうのは、まったくオタクじゃないよ(わたしの用語では)。そんなの搾取だし、縮小再生産だし。脳味噌の働きとしてはごくごく低い段階だもの。そんなの気持よくない(笑)。もっというと、剽窃や二番煎じは、作品や作者に対しての敬意や礼儀や思いやりに欠けてるから良くない。自分の思考が大切ならば、他人のそれも尊敬できるはず。憧れや心酔から生まれたパロディやパスティーシュはアリでしょう。ようは、なにかをイタダキするなら、同じものを同じぐらいあるいはひょっとしてそのひと以上にもっと愛する別のひとから見ても、愉しいもの、見事なもの、せめて微笑ましいものになっていなきゃってことじゃない? (くみ)

6月4日

くみさま。
それは、十年以上前の、オタクです。
いまの、真性オタクは、な〜んも、考えてません。
おフェラしてもらいたいだけ。(うっ、いけない表現でした)
オタクというより、「なんとかフェチ」なんです。
なので、
現在の「オタクの定義」からすると、
くみさまは、「お宅」であっても、「オタク」では、
なくなってしまいます。
あたま、つかっているようでも、オタキングさまどまり、のようです。

はっきり申しまして、「いい年こいて、その程度???」
というのが、ほとんど。
作家さまは、あたま、つかってますので、表現者なんですけど、
世の方々、「消費すること」しかないようです。ものすごく、くだらない人間に、
なっただけの人が、あの秋葉原にいかに多いか。

なので、「オタク殺しの必殺技」なら、あるていど、心得てます。

どなたか、おっしゃられてましたけど、
オタクからスタートしても、
アートにいく人と、そうでない人、っているらしいです。

そこらへんかな、わたくしと、くみさまの、意見の違いって。
くみさまのは、「理想的」
でも、「現実は、歪んでます」
と申しまして、果たして、意味は、通じるのでしょうか??

書いてしまった以上、一応、ご説明いたします。

オタクということばが、世間で「認知」されたとき、
「本来の『差別用語としてのオタクという言葉』」を、
オタクのひとが、使おうとしたとき、
「はて、困った!」
になって、「ヲタク」が発生した、と、わたくしめは、考えております。
なので、自虐するか、卑下の意味で、「ヲタク」は最初、存在しておりました。

が、この「ヲタク」でさえも、社会が「一般のオタクをさす」と、
どういうわけだか、「オタク」と「ヲタク」を、同列に扱い出したので、
現在、オとヲに、明確な線引きは、できなくなっております。
が、「ヲ」には、あきらかに、「差別」の心が入っていることが、
ままございますので、ときどき、注意がいるかなぁ、、、、
という程度では、あります。

う〜〜〜〜んんんんん。くどすぎました? くみさま。

オタクに関しては、「差別用語なのかどうなのか」というところで、
双方の見識の違いがあったようですね。 

e-LOGINとか、テック-ジャイアンとか、
そうでなくても、
あのあたりを、目にされれば、
OTAKU=HENTAI
という、差別構造は、いやというほど、
いや、手にしただけで、「変態」扱いされる
雑誌ですから。

                               みずき

 

うーんなるほど。そうか。なんか同じコトバで全然違うものを指してしまったみたいですね。

たとえばなんですけど、フランス人のひとが日本の戦隊モノを見てすっかり好きになって、フランス戦隊なんとかみたいなのを自分たちでも作っちゃった、とか聞くと、「ああ、オタクは世界を繋ぐなぁ」ってわたしは嬉しくなっちゃうんですけど。それとこないだの雑誌CREA(映画特集)で、21世紀になってから一番よかった映画はなんですかみたいな質問にディカプリオとトム・ハンクスとスピルバーグ監督が『千と千尋の神かくし』をあげてたのね。もとから好きだったお三人だったのでますます好きになってしまったりした。テレビのニュースとか特集番組とかで、全然知らないよその国の学者さんとか出てきてなんだかんだしゃべっているのを聞いているうちに「ああ、このヒトもオタクだなぁ」って思って、もしかしてどっかで偶然あえて知り合いになったら、すごい簡単にともだちになれそうだなぁと思ったりする。

アキハバラなんですけど……すみませんわたし好きです。ラジオ会館とか。いまではフィギュア会館なのに、ちょっと前はパソコン会館だったのに、それでもずっと変わらずにラジオ会館という名前のあそこが。つまり昔はオタの最先端は鉱石ラジオを自作するひとで、そのあと、パソを自作するひとになって、最近ではお人形を自作するひと……と時代は変遷してもオタはそれぞれの時時にいたのだなぁ、みたいな。なんか町に歴史と伝統がある感じが好き。

こないだあそこにいった時、某クスのお人形売り場で、ひとりの女性が、一体のお人形をディスプレイしておられたんです。わたしがその店に入ってから出るまで、たぶん30分ぐらい、ずーっと、すごい真剣に、同じひとつのことをしていた。熱中していた。それはわたしの知っているとある活け花のすごいひとが活け花してるのにそっくりだった。シロウトのわたしなんかは、花なんてテキトーな花瓶にザザッとつっこんでそれで終わりじゃないですか。活け花って違うのね。そのかたは延々と一時間ぐらいかけてた。製作している間中、そこらいったいにアーティストがかもしだす緊張感がただよっていて、近づいたりうかつに声をかけたりできないほどだった。そして、できたかたちは、ほんとうに、素晴らしかった。同じものを使っても、すごいことができるひとと、そーでないのがいるのよね。クリエイトしなくてもアートはできるよ。たったいっこのお人形を可愛く座らせてあげるのに、微妙なポーズとか、ひょっとするとどんな小物を持たせるかとかに、某クスの彼女は精魂かたむけてた。その姿勢が美しかった。そういうひとがわたしはすごい好きだと思うし、そういうひとに仕事場や生き甲斐を持たせてあげられるアキハバラやいまの時代はけっこう悪くないんじゃないかなぁと思う。

オタク=ヘンタイで思い出した話をひとつ披露しましょう(さんざんあちこちで言ってるけど)。

もうずいぶん前のことで、誰に聞いたかも忘れてしまったので細部にはわたしの演出が入ってますが、まごうかたなく実話です

あるひと(小説業界周辺のどなただったか残念ながら覚えていない)がみんなの集まってるたしかシモキタの某所にやってきて「いやーまいったまいった」って言ったんですね。彼がその日、ファストフード店で食後の読書をしていたところ、そばの席に女子高生か女子大生か忘れましたが、4人組ぐらいのオンナの子たちがきた。大声でしゃべっているので会話が聞こえてしまった。

「○○ちゃん、ナントカ君とつきあいだしたんだって。どう?」

「んー……それがさぁ。悪いひとじゃないんだけどさぁ。彼って、本とか読むのよねぇ……(溜息)」

「ええっ! マジ?」(驚愕する友人たち)

「うそー、気味わるー」

「やっだぁーしんじらんなーい」

「でしょー。もう、ダメかも。なんか全然あわない、つきあってらんないって感じでぇ」

思わず顔を赤らめ、まさに本を読んでいるところの自分が彼女たちにみつからないように小さくなりながら、知人はさらにキキミミをたてました。いったいその彼ってのがどんな賢そうな本を読んでいるのか知りたかったので。

「なんて本」

「うんとねー、タイトルわかんない。赤川次郎とかってひとの本だった」

同じ時代に生きる同世代でも、これだけ価値観?が違う。天下の赤川先生のご著作を読んでいてすら差別(敬遠?)の対象にしてしまうかたがたにしてみれば、そりゃあマイナーな作品にやたら詳しい雑誌なんてーのは理解不能でしょう。わかんないから気味悪く思える。知りたくないから拒絶する。でも一方、日本アニメを理解したいあまり日本語を勉強しはじめるフランス人とかもちゃんといるわけです。誰とでも仲良くするのはむつかしいことですが、よーくさがせばどっかにきっとアナタやワタシとほんとうに心から仲良しになれるおともだちがいくらでも隠れてる、出会えるチャンスはいくらでもあるよ、ってことじゃないかなぁ。そんなにオプティミスティックにならなくてもいいとわたしは信じたいです。 でなきゃー、小説なんて書いてらんねーってばよ。マジ。(くみ)